ピンクのゼッケンを着た3番の選手が、迫ってくる相手を華麗にかわし、風のようにゴールへと駆け抜ける姿が目に飛び込んできた。「よし、今だ」とシャッターを切る瞬間、ブザーが鳴り響く。そして、ボールは音もなくリングを通り抜け、完璧な「ブザービート」が決まった。

「あ…かっこいい」

 思わず心の声が漏れてしまった。撮影に集中していたつもりが、その選手と目が合う。彼はタオルを受け取ると、そのままこちらに歩み寄ってきた。緊張で全身が固まる。こ、これは…怒られるやつだ。逃げた方がいいのか? でも、逃げたら余計に怪しまれそうだ。周りから「盗撮?」と囁く声が聞こえ、焦りが募る。どうすればいいんだ…。
 俯いていると、突然手首を掴まれた。心臓が大きく跳ねる音が耳に響く。まるで捕まえられた小動物のような感覚。目の前にいるのは感情を読み取るのが難しい男で、絶対に「怒」だと思い込んでしまう。何か言ってくれ! そう願いながらも、体育館の中へと引っ張られ、言い訳を考える時間がどんどん削られていく。

「ご、ごめんなさい!盗撮じゃなくて、ただ…」
「中に入って撮りなよ。その方がいい写真が撮れるだろ」
「えっ?」
 驚いて顔を上げると、彼は落ち着いた声で言葉を続ける。
「写真部の月島由真(つきしまゆま)くん」
「なんで俺の名前を…」
「同じクラスだろ」
「あ、橘くん」
 橘晴陽(はるひ)くん。クラスの中心的な存在で、出席番号は俺の二つ前。爽やかな印象があり、センター分けの髪型が特徴的。髪は少し光沢のある黒で、よく手入れされている。記憶を辿り、彼の名前にありつく。
「こんな奴、同じクラスにいたっけ?」
 横にいた松井功祐(こうすけ)が俺を頭の先から足の先まで見下ろすように言う。身長が高く、二の腕から筋肉質であるのは一目で分かる。短めの黒髪で、キリっとした目が特徴的である。まぁ、俺のような陰キャは目立たないから仕方ないか…。
「おい、功祐。失礼だろ」
 晴陽が功祐に軽くチョップを入れると、功祐は「すまん」と謝った。
「大丈夫です…」と俺は小さな声で応える。

「月島…じゃあ、ツッキーって呼んでいい?」
 突然のニックネームに戸惑いながらも、功祐が右手で俺の肩に手を置いた。
「あ、はい」
 え? ツッキー…?
「休憩終わり!」
「じゃあ、月くん。俺たち練習戻るから、ゆっくりしていってね」
 晴陽が去り際に俺に声をかける。
 ん? 月くん…?
「あ、ありがとうございます」
 初めて呼ばれたあだ名に衝撃を受けながらも、なぜか嫌な気分じゃなかった。

 晴陽の好意で二回の観客席から写真を撮っていると、隣に誰かが立つ気配を感じる。視線を横に向けると、女子生徒が一人、穏やかな微笑みを浮かべてこちらを見ている。おそらくマネージャーだろう。ポニーテールにまとめた髪が揺れ、可愛らしいリスのような顔立ちをしている。小柄で、明るく快活な笑顔が印象的だ。彼女の顔を見て、どこかで見たような気もするが、名前が思い出せない。焦るように記憶を辿っていると、彼女がすぐに気づき、口を開く。
「同じクラスの牧田しずく」
「あ、す、すみません。名前覚えるの苦手で…」
「まだクラス替えして一週間しか経っていないんだから、仕方ないよ。」
 しずくの優しい言葉に、由真は心の中でホッと息をつく。頭を軽く下げる。クラス替えなんて毎年あるんだし、クラスの陰に潜む僕にとっては、覚えても無駄だと思っていた。去年も、忘れられていることが多々あったし…でも、僕の名前を覚えてくれている人がいるのだと思うと、嬉しかった。だから、今年はクラスの人の名前頑張って覚えようと思った。

「勝手にお邪魔してすみません。」
「いいよ! それより、いい写真撮れた?」
 その言葉に、由真はカメラの画面を確認しながら頷く。
「おぉ、上手じゃん。さすが写真部。」
 たまたま視界に入った写真を見て、しずくは目を見開き、褒める。
「ありがとうございます。でも、スポーツしてる人の写真撮るの、ほぼ初めてで…」
「でも、すごく上手だと思うよ。」
 しずくの言葉に、由真は少し恥ずかしくなりながらも、胸の中に温かい感情が広がる。そんな中、しずくがふと思いついたように、軽い口調で言った。
「良いこと思いついた。このバスケ部の専属カメラマンやってみない? 試合の写真を撮って、選手たちのアピールを手助けする感じでさ。広報みたいな役割って言うのかな。バスケ部のSNSとかの写真、私たちマネージャーがスマホで撮ったりしているんだけど、何かあまりいい写真撮れなくて」
「あと、カレンダーとかブロマイドを作ってさ。遠征や合宿の費用もかかるし、バスケしてる男子って、実際モテるから学校外にもファンが多いんだよ。学祭のミスターコンでも、毎年バスケ部のメンバーがランクインするくらいだし。結構需要あるんだよ」 
しずくの声は明るく、冗談めかしているようだが、その目は真剣だった。由真は一瞬返事に迷い、カメラを握りしめた。
「考えておきます。」
「もちろん無理はしないで。写真部の活動もあるだろうし、そっちを優先していいから。」
 しずくの言葉に、由真は軽く笑みを返すが、心の中では少し動揺していた。
「はい」
 しずくは二階から、晴陽に視線を送る。その視線に由真は気づき、ボールをパスした後、微かに微笑む。そんな二人の様子が横から見えてしまう。もしかして、これがいわゆる、恋? というものなのかと思い、目線を戻し、カメラを構えて二人の間を邪魔しないようにする。しずくは、そんな由真と晴陽を交互に眺める。
「月くん、本当にすごい写真撮るんだから。きっとバスケ部の皆も喜ぶよ。じゃあ、頑張って」
 そう言葉を残すと、マネージャーとしての仕事をしに、1階へと降りていった。

 その言葉には、密かな応援の響きが込められていたが、由真はまだその意図を汲み取ることができない。
 ただ、しずくの明るい笑顔と温かい言葉に思わず顔が綻んでしまった。