4日目。首里城。

 修学旅行最終日の朝が訪れた。目が覚め、視線を窓に移すと、昨日の雨が嘘みたいかのような快晴が広がっていた。起きようとするが、体が鉛のように動かない。
「ツッキ―、おはよ!」
 功祐が、由真の布団に飛んでくる。
「おはよ…う」
 声も力が入らない。頭がボーッとする。そして、寒気がする。しっかり掴んでいないと、意識が飛んでいきそうだ。でも、迷惑かけるわけにはいかない。どうにか力を結集させ、立ち上がる。
「朝ご飯食べに行こうぜ!」
 功祐が、ドアに手をかけ、振り返り、制服に着替えている漣、晴陽、由真を急かす。
「珍しいな」
「いつも寝坊すんのに」
 漣と晴陽が、声を合わせ、功祐をガン見する。
「えー⁉ そう?」
 功祐は、首を傾げ、天を仰ぎ、とぼける。晴陽と漣は、そんな功祐から、視線を逸らす。
「月くん、大丈夫?」
 会話に参加していなかった晴陽が由真へと視線を移し確認する。
「う、うん」
 口角をあげて、笑顔をつくりあげる。まるで、錆びついた戸を必死で開けるかのように。
「よし、行こうか」
 漣の声を皮切りに、部屋から出て足を数歩踏み出した時、由真は意識を手放してしまった。
「ツッキ―」
 大きな物音に、前を歩いていた功祐、漣、その後ろの晴陽が振り返る。
「月くん!」
 晴陽はすぐさま駆け寄り、由真を自分の膝に乗せ、おでこに手を当てる。
「熱いじゃんか…大丈夫なんかじゃない」
「俺、先生呼んでくるわ!」
 功祐と漣が、先生を探しに足を急がせる。

「ここは…」
 真っ白な天井、次に点滴の袋が目に映る。さらなる情報を求めて首を横に向けると、四十代ぐらいの白衣を着た男の人と目が合う。僕が目を覚ましたことに気づき、近づいてくる。小麦色の肌を手にした体育教師のような情熱を内に宿しているかのような雰囲気がする。
「まだ動いたらダメだよ。月島由真くん」
 あっ、この声、聞き覚えがある。そして、こんな雰囲気を覚えるのも初めてではない。朝に比べると頭が働くようになり、記憶を辿れるまで回復した。
「あっ、お久しぶりです」
 父の妹の未千(みち)さんの旦那さんの松下和人さんだ。おばさんと言ったら、半殺しにされるから、お父さんには、さん付けで呼びなさいと言われている。未千さんは、前職は看護師で、今は、カメラを持って沖縄の魅力を発信するライターとして働いている。和人さんとは、病院で知り合い、結婚を機にライターに転身し、僕と同じ高校二年生の女の子と、中学一年生の男の子がいる。前回会ったのは、父方のおばあちゃんの葬式だから、五年ぶりか……。
「未千が、今度由真くんが修学旅行に沖縄に来るって話していたけど、まさか、こんなところで会うとは…」
 驚きの声を静かに漏らす。
「すみません」
 いつでもいいから遊びにおいでと言われていたけれど、まさかこんな形で再会するとは…僕も思っていませんでしたと心で呟く。
「ちょっと待ってて」
 和人は、処置室から出ていき、誰かを呼んできた。
 僕は、その人物を見て、思わず目を丸くした。
「月くん」
 晴陽は、由真の心を震わせる声で問いかける。何だか浮かない表情を浮かべ、目線を斜め下に持ってきて、由真に近づく。
「橘くん、どうして…」
 もうすぐ朝食の時間が終わり、部屋に戻って荷支度を整えているはずなのに、どうして僕の前にいるのか、呑み込めなかった。
「大丈夫?」
 目ではなく、心を射抜かれている晴陽の視線に、胸がチクリと痛くなる。
「うん。ごめん、迷惑かけて…」
 僕のせいで、橘くんの時間を無駄にさせてしまった。
 でも、晴陽はすぐさま首を振り否定する。それから重たい空気が二人の間を彷徨い、何を話せばいいのか二人とも右往左往していた。

 その一方、処置室を出た所で、和人と担任の福沢が話をしていた。
「まだ熱が下がりそうにないので、今日、飛行機で帰るのはちょっと」
 和人は、由真の容態について伝える。
「そうですか…」
 頭を抱えて、苦虫を嚙み潰したかのような表情を浮かべる。
「この子、知り合いなので、私が面倒を見るのはどうですか」
「知り合いなんですか? 月島と」
 待合室は、騒々しかったので、聞き間違いだと思い、福沢はもう一度聞き返す。
「実は、伯父にあたりまして」
「何となる偶然⁉」
 担任の福沢が目を見開く。
「点滴が終わりましたら、私の家の方に送って、体調良くなったら、明日でも責任を持って空港まで見届けますので、任せていただけませんか。あの子の親には私の方からも連絡しておきますので」
「分かりました。よろしくお願いいたします」

「月島、お大事にな。元気になってから帰って来るんだぞ」
 和人と外で話していた福沢が最後に月島の顔を見るために、処置室に入ってくる。
「はい」
 なかなか動こうとしない晴陽の肩に福沢は手を置く。
「橘、行くぞ」
 諭すような目線を注ぐ。
「分かりました」
 消化不良のような顔をして、処置室から晴陽は去っていった。由真は晴陽の顔に視線を向けた瞬間、言葉が喉元に引っかかってしまった。
 ――きっと、怒らせてしまった。せっかくの修学旅行が僕のせいで。何だか悔しそうな表情を浮かべていたから、申し訳なさで言葉が出てこなかった。あぁ、嫌われてしまったかもしれないと布団に潜る。

 これは、幻覚。いるはずもない、橘くんの姿が見える。
「月くん、月くん、月くん」
 橘くんの声が段階的に大きくなっているのだが…幻覚に幻聴まで、あぁ、どうしたんだろ。
「ほ、本物⁉」
「偽物じゃないよ。ほら」
 由真の右手を掴み、晴陽の頬に引っ付ける。ちゃんと感触がある。
「でも、どうして…この時間だと首里城行っているはずでは…」
 時計の針は、十一時二十分を指していた。
「首里城は、修学旅行じゃなくても行けるし、月くん一人にするの、嫌…だったから」
「てっきり、嫌われたものだと」
 晴陽の言葉を受けて、安堵のあまり、本音がつい零れてしまった。
「月くんのこと嫌いになんてならないよ」
 相好を崩し、由真の目を見つめる。
「橘くん…」
 晴陽の言葉と行動がじんわりと身に沁みていく。先ほどまでの冷え切った心が温かくなっているのを感じる。その後ろで、ドアに寄っかかり、腕を組みながら、二人のやり取りに、和人は思わず頬を緩ませていた。
「和人さん。いつからいたんですか」
 その視線に気づいた由真は、和人に向けて目を細める。
「まぁ、秘密! 由真くん、良い友達持ったね。晴陽くんも、今日、俺の家泊まりに来ることになったから」
「そういうことになったから、月くん」
 晴陽は、視線を由真に戻し、微笑む。
「えっ!」
 驚きのあまり目が飛び出そうになる。
 驚きのあまり事態を完全に呑み込めていないが、晴陽の雰囲気が元通りに戻っているのに気づき、由真は思わず嬉しさを密かに噛みしめていた。
「もう一日、修学旅行増えたと思うと、ラッキーだなって」
 いたずらな笑みを浮かべる。こっそり、晴陽は由真にピースサインを向ける。由真も、思わずピースサインで返し、二人は、昨日の日が嘘かのように、雨雲がどっか遠くにいってしまったかのように、陽光に照らされた木漏れ日のような心地よさに包まれていた。