よし、これでいいかな。鏡の前でスーツに身を包んだ優月が最終確認をする。
 何か、自分が自分じゃないみたいで、不思議だな。
「お待たせ!」
 緊張した面持ちで、廉介の前に現れる。
「おぉ!」
「変じゃないかな?」
 心配そうに優月が聞く。
「変じゃない。似合っている! でも、リボンをちょっとだけ」
 廉介は、優月の首元のリボンを少し手直しする。
「ありがとう」
「忘れ物ない?」
「うん、大丈夫!」
「よし、そろそろ家出るか」
「うん」

「今日、ユヅ。どんな夢見たの?」
「えっ⁉」
「何か横で寝言言っていたから」
「言ってた?」
「うん、言ってた」
「うーん。どうしようかな…秘密!」
「えぇー。ユヅ、教えなさーい」
 廉介は優月に後ろから抱きつく。
「やだっ」
 優月は、上目遣いで咄嗟に唇を隠す。
「お口チャックしたな」
 廉介は、優月の頬をチョンと左右交互に両手を使って突く。
「夢の話は置いといて、入学式、行こ!」
「はいはい」
 
 桜の花が咲き誇る四月初旬、キャンパスは新たなスタートを切る人たちの熱気に包まれている。空を仰ぐと、透き通った空の青と気持ちよさそうにスイスイ泳いでいる真っ白な雲。風に揺れる桜の花びらが、道に淡いピンクの絨毯を作っている。学び舎の前には、整然と並ぶ学生たちが、スーツで身を包み、期待と不安が入り混じった表情で集まっている。彼らの間には、親や友人が見守り、拍手や笑い声が賑やかに響き渡り、記念に写真を撮っている人で溢れている。
「廉くん、撮ろ!」
 優月が廉介の手を引っ張りながら、スマホを動かしながら、桜が映るベストな位置を探す。
「この位置かな」
 優月が必死に手を伸ばしているのを見て、廉介はしゃがみ、どんなポーズで撮るのだろうと、優月の指示を待つ。
「はい、チーズ!」
 えええ…あまりにもサラッと言うもんだから、準備が…
「もう一枚撮る?」
「今度は俺が撮ってもいい?」
「うん」
 廉介は、優月を抱き寄せる。優月の顔が桜色に染まる。シャッターを切る。取り終わった後、「あっ」と優月は声を漏らす。
「もう一枚行こ!」
 廉くん、手長いな。うらやましいなと優月は心の中で呟く。
「じゃあ、行くよ」
 優月は、「うん」と小さく頷く。
「はい、チーズ!」
 優月は、澄み渡った青空に向かってピースをし、レンズに飛びっきりの笑顔を向ける。
 廉介は、優月の顔を見つめて、もう一枚こっそり撮る。

「友達できるかな。不安」
「まぁ、今日は入学式だから気楽に行きな。それに、悠都も同じ大学なんだから、もし何かあったら、あいつを頼れ。じゃあ、行っておいで」
「行ってくるね!」

 体育館での式が終わり、優月が出てくるのを待つ。それにしても、桜が綺麗だな。こんなにも桜に見惚れてしまうのは子供の以来な気がする。ユズと毎年、お花見してたからな。
「廉くん! お待たせ!」
「おぉ。ユヅ。お疲れ」
「大丈夫?」
「これ、スニーカー」
 廉介は、カバンの中から優月がよく履いている水色のスニーカーを取り出す。優月は、目を大きくして、微笑む。
「ありがと。足、疲れてしまっていたから」
 廉介の気遣いが身に沁みる。
「あそこにベンチあるから座って履き替えな」
「うん」
 ベンチに優月が座る。
「やっぱり、俺が」
 廉介が躓き、優月のパンプスを脱がせ、盛ってきたスニーカーを右、左の順番で履かせる。
 私が廉くんを見下ろすのなかなかないから、新鮮かも。廉くんと目が合う。心臓がドキっと反応する。
「できたよ」
 廉介は紐を結び、優月に視線を移す。
「ユヅ? ユヅ」
 反応がないので、もう一度呼ぶ。
「ありがとう! これで歩きやすくなった」
 立ち上がり、足踏みをする。
「おぉ。今日、母さんと父さん来るみたい。ユヅの入学祝いをしに」
「えっ! 聞いていない」
「さっき連絡来た。母さんが、そこそこいい店予約しているから、そこで待ち合わせだって」
「嬉しい。でも、何か申し訳ないな」
「そんな気にするな」
「うん。夜が楽しみだな…でも、まだまだ時間あるね」
「よし、何か食べに行こ。お腹空いたし。食べ終わって着替えて向かったらちょうどいい時間になると思うし」
 廉介は優月に提案する。
「うん! 賛成!」
「何食べたい? ユヅ」
「パスタ!」
「じゃあ、ティラミスとジェラートが付いてくるイタリア料理のお店にしようか」
 廉介は、美容室の人にオススメされたお店を思い出し、優月に提案する。
「あぁ、あのお店? 確か…Salute ! 気になっていたんだ」
「了解! 行こうか」
「うん!」
 穏やかな春の陽気が町全体を包み込んでいた
 廉介の右手が優月の左手に触れる。優月は、ためらうことなくそっと掴み、指を絡める。
これって、恋人繋ぎだと心の中があつくなる。優月が廉介の目を見つめ、頬を緩ませる。
 春の穏やかな陽気が何もかも穏やかで明るい雰囲気に包む。

 一七年と月日を経て、再会を果たした。飼い主とペットだった関係が、塾の先生と生徒。そして、恋人になった。

 幸せだ。「私幸せだ」と声を大にして言いたい。心臓がバクバクいっている。
 ユズが人間に生まれ変わっていると知った時は本当に驚いた。でも、嬉しかった。俺が死んでからではないと会えないと思っていたから。あの時の後悔を謝ることが出来た。
「んっ?」
 優月が廉介を無言で見つめすぎて、廉介はどうしたのだろうと優月に向けて、首を傾げる。
「何でもない」
 恥ずかしさで顔をぎゅーっと真ん中に寄せ、赤らめる。優月のお腹の音が鳴る。
「お腹空いた…」
「じゃあ、走るか」
 優月が頷くと、繋ぐ手の力を強め走り出す。離れて迷子にならないように昔はリード、今は手を繋いでいるとは、あの頃の自分は想像していただろうか。

――君に再び出会えて、あの頃からの好きを伝えることができた。これからも、君の後ろを、ううん…君の隣を一緒に歩いて行きたい。一分、一秒でも長く。廉くん、あの日、出会えて良かった。これからもよろしくね。