今日は、優月が英検準一級を受ける日で、受験会場に指定されている隣町の高校に来ていた。英検二級までは、優月の通う高校で、受けることができるのだが、準一級からは、本会場でしか行われていない。試験会場付近に、ショッピングがあり、廉介も、そこのショッピングモールに用事があったので、付いて来ていた。
「ユヅ、大丈夫か」
「少し緊張……してる」
「落ち着いて問題解いたら、大丈夫。ユヅが頑張っているの知っているから」
「ありがとう」
「終わったら連絡して。帰り、美味しい物でも食べて帰ろ」
「うん!」
 カバンから駅のコンビニで買ったものが入った袋を出し、優月に渡す。
「袋の中に、ブドウ糖のゼリーが入っているから。試験前、時間あると思うから飲んで」
 英検って、かなりの長丁場で、リスニングに差し掛かる時、脳が疲れてしまい、集中力が途切れてしまうので、それを防ぐためのブドウ糖。英検だけに関わらず、模試や入試でも役に立つアイテムday。食べ過ぎて眠くなってしまうのもあれだけど、頭を回転させるのに糖分が必要なので、少し余裕を持って摂取しておく方がいい。どうせ、終わる頃には空っぽに近い状態になってしまうから。
「ありがとう」
「ユヅ」
 優月の肩に手を置き、廉介は口元を綻ばせる。
「深呼吸して」
「うん」
 廉介の指示に優月は素直に従う。
「よし。いってらっしゃい」
「いってきます」
 
 もうそろそろ優月の試験が終わる頃かと思い、ショッピングモールを出て、受験会場の玄関前で待っている所だ。他の級も行われていたので、子どもを待っている親たちが視界に入る。
 ユヅ、無事に終わったかな…。
「ユヅ」
 玄関から、優月の姿を見つけると、右手を振り名前を呼ぶ。
「廉くん!」
 廉介の姿を見つけるとパァっと明かりがついたかのような笑顔を浮かべて走ってくる。
 この様子からすると、無事解けたんだな。良かったと心を撫でおろす。
「お疲れ!」
「お待たせ。待っててくれてありがとう」
「いいよ! 何食べよっか?」
「お寿司!」
「いいね」
「帰ったら答え合わせしなきゃ」
「今日はいいから、ゆっくり休みな。ま、とりあえずご飯食べよ! お腹空いたでしょ?」
 公式の答えが出るのは明日の午後だから、今日は疲れた脳を休めて欲しい。
「うん!」

「ごちそうさまでした!」
 ショッピングモールにある人気の回転寿司屋で、ご飯を済ませる。休日で、ちょうど昼時というのもあって、混んでいたが、カウンター席は空いてたのですぐ座ることができた。
「今日さ、ガラポンやっているみたいで、買い物したら、貰ったんだ。三千円で一回らしく四枚と、今、ご飯食べて一枚貰ったから、五枚。ユヅ、やらない?」
「え、いいの?」
「俺、こういうの運ないんだよな」
「でも、全部は申し訳ないから、二回でいいよ。廉くん、三回やりなよ」
「おぉ。分かった。俺、本当、こういうのあれだから……タワシ三つとか来るかもしれないよ」
「まぁ、そうなったら、そうなったときよ」

「お願いします」
「五回ですね」
 赤色の半被を着た男性の従業員が引換券を数える。
「廉くん」
 優月が廉介に視線を送り、先攻を譲る。
「オッケ」
 取っ手を握り、深呼吸をする。よしと覚悟を決めて回す。
白い玉が二つ。
「白はポケットティシュ、タオル、トイレットペーパー、タワシのどれかです」
 日常生活を地味に支えている縁の下の力持ちのメンバーが揃っている。
「ユヅ」
 助けを求められた優月は、仕方ないなという表情を浮かべて廉介の手を掴んで、一緒に回す。
「せーの」
 シルバーの玉だ。
「おめでとうございます。沖縄一泊二日の旅行券です」
「お、えっ!」
 戸惑いながらも、ハイタッチを交わす。
「あと、二回残っています」
 次は優月が回す番。何も考えずに、ササっと回す。
 赤と緑の玉。
「赤が商品券三千円分と緑が洗剤」
 顔を綻ばせて、手を叩く優月。
「ありがとうございます」
 従業員から商品を受け取り、カバンに入れる。
「ユヅ、さすがだね」
「えっ。そんなことないよ」
「商店街でやっていたガラポン思い出したわ。あの時もユヅの運にあやかったんだった」


 ユズとの散歩の帰り道、杖をついたおばあちゃんがどうやら鍵を落として困っていたので、手伝うことにした。三十分ほど、おばあちゃんが通った道を探していたら、おばあちゃんが、買い物に寄った服屋さんで、帰り際、鍵を落としていたみたいで、無事に見つかった。
「助けてくれてありがとう」
「鍵見つかって良かったです」
 おばあちゃんがポケットから、紙切れを出す。何だろうと思っていたら、廉介の手に紙切れを包む。ユズは不思議そうな顔をして、廉介を見上げる。
「これ良かったら。この先でガラポンやっているから、二回だけど、助けてくれたお礼」
「いいんですか。ありがとうございます」
「ワンワン」
 ユズもお礼を言う。
「どういたしまして」
おばあちゃんは満面の笑みを浮かべる。
ガラポンやっている場所は、あそこだ。目と鼻の先にある。よし、行くか。

「いらっしゃい」
 緑の半被を着たいかにもフレンドリーそうなおじいちゃんが待ち構える。
「二回お願いします」
「はいよ」
 残念賞以外でお願いします…いざ、勝負。
 白い玉…。
「残念賞! ティシュかたわし!」
 まぁ、そう簡単に上の賞当たるわけないよな。パパッと回して、帰りますか。ハンドルに手をかけた瞬間、ユズが吠える。
「もしかして、ユズもやりたいの?」
「ワン」
 もう、仕方ないな。ユズを抱っこし、取っ手に手を置いて、回す。
「行くよ、せーの」
 赤とピンクが半々になった玉が出てきた。初めて見た。ガラポンするの初めてだけど、ドラマやゲームで目にする機会は今までにあった。でも、こんな玉あるの? と思い目が点になっていると、半被を着た人が持っていたベルを鳴らし始める。
え、何事⁉ と挙動不審になってしまう。
「おめでとうございます。神戸牛の詰め合わせです」
「ふえっ!」
 驚きのあまり、珍しい声が出てしまう。何だよ。ふえっ! って。
「お写真よろしいですか。商店街の雑誌に載せたいので。もし、あれだったらモザイクするんで」
「あ、はい。いいですよ」
「ワンちゃんも」
「はい、チーズ! 後何か一言貰えますか」
 心の準備もなしに、おじさんのズボンのッポケットから出てきたスマホのカメラで撮られる。
「やったー」「ワンワン!」
「ありがとうございます」
 どうやって持って帰るのだろうと思ったら、指定された精肉店で引換券を渡し、引き換えるらしい。
「歩いて五分なので、良かったら、引き換えて帰ってはどうです? 外なので、ワンちゃんも大丈夫だから」
「はい」
「これ、引換券」
「ありがとうございます」
 気さくなおじさんは、後ろを振り向くと、手を振ってくれていた。

 半信半疑で指定された精肉店に向かうと、店員さんが引換券を見せると、「おめでとうございます」と目を輝かせていた。廉介はここで本当なんだと信じる。
「お待たせいたしました」
「この部位はステーキ、ここの部位はしゃぶしゃぶやすき焼きにオススメです」
 精肉店に行くのは初めてだから、部位について説明されても、さっぱりだ。
「説明の紙も入れておくので」
 廉介が頭にクエスチョンマークを浮かべているのに気づいたのかお店の人が、気を利かせる。
「すみません。ありがとうございます」
「楽しみだね」
「ワンワン」
 尻尾を振り、喜びを体現しているユズ。

 スマホがポケットの中で震動する。
「廉、どうしたの? 帰ってくるのが遅いから」
「お母さん、今日いろいろあって、今から神戸牛持って帰る」
 精肉店寄る前に伝えておけばよかった。やってしまった。
「えっ! どういうこと? 今年一、呑み込めない、状況を」
「あと、五分ぐらいで帰れそう」
「ワンワン」
「分かったわ。詳しい話は帰ってから聞くから、ユズちゃんと気を付けて帰ってらっしゃい」
「分かった。じゃあ、切るね」
「今日の晩ご飯、何かな」
 首を傾げて、ニコッとするユズ。
「ユズ、ありがと!」
「ワンワン!」

「そんなことあったね。神戸牛美味しかったの思い出した。廉くんたちはその日、すき焼き食べてたね。うらやましいなと思っていたた」
「じゃあ、今日晩、すき焼きにする?」
「今日寿司食べたし……晩ご飯すき焼きはちょっと豪華すぎない?」
 今日は、守の居酒屋が休みなので、晩ご飯の材料を帰り買って帰ることにしていた。
「神戸牛はちょっと用意できないけど、スーパーで美味しいお肉買ってすき焼き食べよ!」
「そう言われると何かすき焼きの口になってきた」
「美味しいお肉あるといいね」
「うん」
「ちょっとトイレ行ってくる。もし、あれだったら、先降りて座ってて」
 駅構内に入り、改札口をくぐると、廉介は、トイレに向かった。
「うん、分かった!」

 トイレの個数が少ないのに、一つ壊れていて、思いのほか待ってしまった。電車は十分に一本出ているため、焦らなくていいけれど、ユヅを待たせてしまっているから、早くいかないと。
 待ちくたびれて、階段を降り始めることにした優月。
 優月の背後に灰色のフードに黒色のロングスカートの女が立つ。そして、その女が優月に手を伸ばす。
 トイレから出てきて、優月の姿を、目をキョロキョロさせて探していた。すると、優月が階段を降りようとしているのが視界に入る。嫌な予感が背筋を走る。優月の背後に、フードを被った女が付きまとっている。手を上げる。走っても、間に合わない。
「ユヅ、危ない‼」
 優月に聞こえるように叫ぶ。廉介の慌てた声で振り返った瞬間、不審な女は優月を階段から両手で勢いよく突き落とし、その場から逃げる。その場を目撃していた人たちが耳をつんざくような悲鳴をあげる。
「ユヅ⁉」
 優月が階段から転げ落ちる。廉介は、優月の元にすぐさま駆け寄る。優月を突き飛ばした犯人を偶然目撃していた眼鏡をかけた出張帰りのサラリーマンが、スーツケースを置いたまま、追いかける。
「しっかり、ユヅ」
 野次馬をかき分け、優月のからだを揺する。再び大切なものを失うのではないかという恐怖が体中を駆け巡り、震えが止まらなかった。
「どうされたんですか」
 悲鳴を聞きつけた駅員が駆けつける。
「誰かに階段から突き飛ばされて」
「警察と救急車呼びました。すぐ来ると思います」
 別の駅員が息切れしながら駆けつける。
「ユヅ、しっかりするんだ。ダメだよ、死んじゃあ……お願い」
 頭を強く鈍器で殴られたかのような衝撃で、視界がぐらついている。

 通報してくれた駅員が来た後、近くに交番があるため、警察の人が、五分もしないで現場に来た。そして、腕まくりをし、眼鏡をかけたサラリーマンの人が息を切らしながら、優月を突き落とした女を強引に引っ張って来た。そして、警察に突き出した。
「その女の子、突き飛ばしたのこの人です。俺、見ていたので」
 優月を突き落としたと思われる犯人が態勢を崩し、地面に手を突く。その瞬間、フードが脱げ、その犯人の顔が露わになる。
 知ってる。この顔…。
 色々な感情で脳内がぐちゃぐちゃになる。
「萌乃?」
 その女は静かに右口角を上げて、首を傾げ、高らかに笑う。
「おい。何してんだよ」
 言葉では怒りを抑えたが、その分、目から放たれる怒りの感情は壮絶で、場の空気を凍らせてしまうほどだった。
 廉介は萌乃に掴みかかろうとする。その手を警察官が制止する。廉介の目を見て、警察官は頭を振り、目で手を出すな、気持ちはわかるが怒りに呑み込まれてしまうなと訴える。
「監視カメラあるので、確認したらすぐ分かりますよ」
 廉介は、息切れをしながら、零れそうなほどの怒りと格闘している。
 この女を殴っても、何も解決しない。こんなことしたって、ユヅは喜ばない。
「同行してください」
 萌乃を警察が二人がかりで連行する。萌乃が振り向き、廉介を見て、冷ややかな目をしながら、不気味な笑い声を発し、空気を冷たくする。
「廉介が悪いのよ。そのガキと楽しそうにしているから。まぁ、死ぬでしょ。あはは、良かった。これで、廉介は私のもの、ははははぁ」

 怒りで真っ赤にどす黒く理性が染め上げられていく。許せない、あの女も、自分も……。
担架で優月は運ばれていく。廉介はそんな優月を見つめる。そして、振り返り、萌乃を静かにねめつけ、また優月に視線を戻す。