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 今日は土曜日で学校は休みであるが、塾で受験生向けの英数の講習が行われていた。その講習に、悠都も参加していた。だから、優月は、講習が終わってから、この前の告白の返事を悠都に伝えることにした。
「悠都くん。待たせてごめん。この前の返事をさせてください」
「うん」
 悠都は、右手を気づいたらグーにして、視線を逸らす。
「ごめんなさい…」
 生半可な気持ちだと相手に迷惑をかけてしまうし、不誠実だ。今は、受験が大事だ。恋愛することが悪いとは思わない。でも、今は恋愛いいや。昔に比べれば、男の人と接する怖さはなくなったけれど、完全に消えたわけではないし、恋愛に踏み入る勇気はまだないし、私には…。
「分かった。ごめん」
 悠都のガラスのように瞳が今にも割れそうで、優月は怖かった。
 何で、悠都くんが謝るの……
一ミリも悪くないのに……
悪いのは私なのに……
 頭を振って、否定する。
「じゃあ。お疲れ」
 悠都は手を振り、優月から離れていく。
何か言わなきゃと思うのに言葉が出てこない。申し訳なさがこみ上げてきて、言葉が海の底へと飲み込まれていく。

 気づいたら家に戻っていた。二階に上がって、勉強するかと思い階段に上がろうとしたとき、梨乃が声をかける。
「優月おかえり」
「あっ、梨乃ちゃん…ただいま」
 梨乃が急に出てきたことに、優月は、ビクっと反応し、上手く笑えず、頬が引きつってしまう。梨乃とすれ違った後、思わず、頬に手をやる。
「優月は何も悪くないよ」
 背後から聞こえた梨乃の声で階段を登る足が止まる。
「えっ?」
 優月は思わず声が漏れ出る。振り返り、梨乃の顔を二度見する。
「まぁ、女の勘」
 目を細めて、鼻を鳴らしながら、首を少し横に傾げる。
「ここ座りな。守くんは買い出しで一時間ほど返ってこないと思う。実はさぁ、コンビニで美味しそうなアイス買って来たんだ。一緒に食べない? この前の出産祝いのお礼」
 優月は、梨乃にいちばん奥の座敷に案内された。そこに、未光がスヤスヤと寝ていた。
「どっちがいい?」
 未光を起こさないように、梨乃はウィスパーボイスで、ラズベリー&ヨーグルト、ピスタチオ&塩ミルクを袋から出し、優月に選択を委ねる。
「じゃあ、こっちで」
 優月は、ピスタチオ&塩ミルク味を選んだ。
「やっぱり。優月はそっち選ぶと思った」
「ありがと」
「どいたー」
 たまに梨乃ちゃんが使う「どういたしまして」の略だ。
「梨乃ちゃん…告白されて、今日、断ってきたんだ」
 梨乃ちゃんの前だと…なぜだか、言葉が滑り落ちる。隠そうと思っても、この人は全てお見通しだっていうほど、勘が鋭い。
「そっか。優月頑張った、頑張ったよ」
「これで良かったのかなって。でも、まだ恋愛に踏み込むのが怖いし、今は受験生だから、するタイミングじゃないなって」
「そうか。でも、焦らなくてもいいと思う。恋愛は早いもん勝ちとかないし、早いからといって、成功や幸せを掴み取ることが出来るとは限らないし、好きな人が違う人の所にいったとしても、目の前にまた現れることなんて珍しくない。浮気とか不倫はだめよ。もうこの人、ダメだとなったら、潔く別れなさい。これからの人生、優月は沢山の人に出会って、その中で生涯を共にしたい人が現れるだろうし、もう目の前に現れているかもしれないし。私も、守くんに出会うまで、何人かの人とお付き合いしてきた。性格の不一致、浮気、遠距離とか理由はいろいろとある。でも、失敗の先に必ず成功はある。好きな人と付き合って結婚できたらそれで終わりじゃない。今、私は幸せだけど、幸せを続けるのって簡単なことじゃないよね。ちょっとしたことで、ずれていき、そのずれに気づかず、気づいていてもまだ大丈夫だと決めて放っておいたらもうその時はすでに遅しということもある。恋愛は、私は死ぬまでするもんだと思うよ。結婚で終わりじゃない。生涯歩むパートナーを選び、その人と恋愛を続けていく」
「うん」
 梨乃の熱弁に優月はあっけにとられてしまった。
「あぁ、ごめん」
 優月は首を振る。
「恋愛について、こんなにも語ったの久しぶりだな」
 いつの間にか、梨乃は額に汗をかいていた。
「人間って好意を寄せてくれる人全員の期待に応えることなんて出来ないからね。推しにガチ恋している人って沢山いると思うけど、推しと結婚できる可能性なんて、まぁ推している人の数によって違うとは思うけど、ゼロに近いじゃん。推されている側のアイドルや俳優って、ファンからの応援には応えることができるけど、ガチの恋愛感情には応えることができないじゃん。ファンサって、芸能界や音楽業界は、推してくれる人の数が物を言うから、ファンサをすることで、まぁ、ビジネスで言う顧客が他の会社に乗り換えないように引き留める役割をしているのだと私は思う。まぁ、それだけではないけど、推してくれていることへの感謝の気持ちを現わしているのは間違いない。でも、そのファンサをガチの恋愛感情として受け取り、ガチ恋勢のファンが増えていき、中にはストーカーとか、勝手に婚姻届けを書いて提出する人もいるからね」
 梨乃ちゃん、話が脱線しすぎているよと心の中で呟く。
「そうだね。私は推しが幸せを掴んでくれたら嬉しいなと思う」
 私にも、推しが何人かいる。単純に好きだからという理由で推しているけど、この「好き」は恋愛感情としての意味ではなく、尊敬だ。好きには、色んな意味がある。便利だけど、厄介だ。
「優月は優しい子だね」
「そうかな。でも、推しが選んだ人がクズだったら、嫌かもしれない…かもじゃない、嫌」
 苦笑いとグーパンチをする前かのような表情を浮かべて、答える。すると、梨乃は、感心した表情を見せる。
「まぁ、優月らしい。優しいけど、優しくない」
 優月が目をパチパチさせている。
「まぁ、つまり、そんな落ち込むなって。誠意持って断ったんでしょ」
 梨乃は、優月の肩を揺さぶり、なだめている。
「うん」
「じゃあ、大丈夫。きっと、その子も分かってくれるって」
「うん」
「アイス溶けちゃうから、早く食べよ。そして、勉強頑張りな。恋はいつでもできるんだし」
 気づかないうちにしているかもしれないし…と優月の気持ちを察して梨乃は心の中で問いかける。
「うん、ありがと。梨乃ちゃん」
「今度はこの子と一緒に恋バナしようね」
 梨乃は未光に視線を向ける。
「うん」
「キャハッ」
 寝ていた未光が、いつの間にかお昼寝から、目を覚まし、笑顔を向ける。「あら、いつの間に」と、梨乃は瞠目し、微笑む。
「未光ちゃんも楽しみだって」
 優月が、未光の顔を見て、梨乃に視線を向ける。そして、梨乃は、呟いた。
「三人で恋バナ出来る日が今から楽しみだわ」