「だから、矢野くんを軽蔑するなんて絶対にないから」
──真っ直ぐ向けられた瞳は、キラキラとしていて。
「……夏樹、先輩……」
ああ俺、泣きそうだ。
ふと、そう思ってしまったんだ。
一生、女装をして生きようとは思っていなかった。自分の女顔がコンプレックスで、人よりも自信がなくて。どうしても自分に自信がほしかった。
それだけ、だったのに。
夏樹先輩に自分自身を肯定されて。
──素直に嬉しいと思ったんだ。
「俺は、矢野くんのことを軽蔑したりしない。矢野くんが何を抱えているのかは分からないけど、尊重だってする」
切れ長の瞳が緩められて思わず、どきっとする。
「だけど、ひとつだけ俺と約束してほしいな」
突飛なことを告げられて、また顔を上げる。
「……約束、ですか?」
それって一体、なんだろう。
「うん。女装するなら俺の前だけにしてほしい」
「…………へ?」
だから、困惑するのは当然のことで。
〝女装するなら俺の前だけにしてほしい〟
「えっと、あのー……」
「ああうん。だからね、俺がそばにいるときだけ女装してほしいってこと。そういうわけで、女装するときは連絡してよ。俺、すぐ駆けつけるからさ」
「いやっ、あの……なんで……」
わけが分からず尋ね返そうとするけれど、夏樹先輩は、「タケたち待ってると思うし戻ろ」と言って俺の横を通り過ぎていく。
全然、理解が追いつかなくて俺はその場に立ち尽くす。
俺の前だけで、って夏樹先輩の前だけ女装しろってこと……?
なんかそれって──
「おーい、矢野くん?」
聞こえた声にハッとすると、夏樹先輩の真っ直ぐ向けられる瞳とぶつかって、その瞬間顔が熱くなる。
「顔、赤いけどどうかした?」
それって〝独占欲〟みたい。
そんなふうに思う自分が恥ずかしくなって。
「なななっ、何でも、ありません……っ!」
慌てて誤魔化すと、歩き出す俺。
けれど、手足が同じタイミングで出てしまう。それはまるで壊れたロボットのようだ。
「なんでもないって顔してないけど」
俺の隣を歩く先輩が、いきなりひょこっと顔を覗かせる。
「こっ、これはただ暑かっただけです!」
そうだ。顔が、身体が、暑いのは、この真夏のせい。きっとそうに違いない。
それなのに。
「ふーん、そっか」
先輩は全く信用した素振りも見せずに、ふはっと吹き出して笑うから、
「しばらくこっち見ないでください!」
隣にいる先輩に顔が見えないように、横を向いて歩いた。
──これは、女装した俺と先輩のお話だ。