……え? 今、俺なんでホッとしたんだ。

「矢野くん?」
「え? あっ、何でもないです! 先輩のクラスメイトさんだったんですね! それより会長戻ってくるの遅いですね」

 と、はははと笑って誤魔化してみる。

 なんで俺、夏樹先輩のことになるとこんなに焦ったり、悩んだり、ドキドキしたりするんだろう。

「話戻すけど、矢野くんの女装してる姿また見たいな」

 なんてことを横からいきなり言うから、

「せせせ、先輩……っ!」

 思わず力が入り椅子から立ち上がると、ガシャーンとパイプ椅子は床に倒れる。

「矢野くん、大丈夫?」
「だっ、大丈夫じゃ、ないです!」

 ──主に先輩のせいで。
 心を、乱されてばかりだ。

「こんなところで、誰が入ってくるか分からないような場所で、女装だなんて安易に言わないで、ください!」
「でも、さっきも話してたよ」
「さっきは人がいなかったので……今はちょっと危ないので気をつけてください!」

 椅子を起こしながら、ぷんすかぷんすか怒ると、笑ったあとに「ごめんね」と先輩は言う。

「ていうか、この前先輩俺の女装姿見ましたよね!?」

 テストが終わったその日、俺は久しぶりに女装をして街に出た。

「うん、まあそーなんだけどね。もっと見たっていうか」
「……俺はやですよ」
「どうして?」
「だって先輩、普段の俺も知ってるのに女装とか……先輩の前じゃ恥ずかしいっていうか……」

 一人で堂々と女装する分にはいいのに、先輩が隣にいるってだけで心がざわざわして落ち着かなくなる。

「矢野くんそれって」

 他の人はそんなことないのに、夏樹先輩にだけドキドキする。
 きっと、俺にとって先輩が特別だから。

 俺のことを軽蔑しないでくれるのは嬉しい。
 だけど、他のみんなが同じとは限らない。もしかしたらみんなが俺のことを軽蔑するかもしれない。そうなったら俺の居場所はあっという間になくなる。

「……と、とにかく、俺の秘密は毒薬だと思って厳重に保管しとかなきゃならないんですから」
「え、毒薬? なにそれ」
「それくらい女装っていうのは男子校ではタブーなんですから……」