「でも行くところなんか特にないんだよなぁ……」

 目的もなく今日家を出て来たから。

 テスト明けということもあり、比較的早い時間に街に出た。そのおかげもあって学生は少なかった。

 うーん、このまま街をぶらぶらして帰るかなぁ。

「──今日はパーっと遊ぼうぜ! なぁ、夏樹! 山崎!」

 不意に聞こえた声。

 ……あれ、これどこかで聞いた声だ。

 それに〝夏樹〟って。

 恐る恐る振り向くと、そこにいたのは。

 ……あっ、やっぱり先輩だ。

 夏樹先輩のほかにも山崎先輩や武田先輩がいた。

 じゃあ今の声は、武田先輩。

「せんぱ──…」

 思わず声をかけようと思ったが、ハッとして口を覆った。

 今は、まずい。

 なんといっても俺は、女装中だ。

 こんな格好で声をかけて先輩たちに見つかったら、俺が女装してるって気づかれるかもしれない。

 ここはひとまず距離をとって──…

 ──ばちっ。

「……あ」

 夏樹先輩と視線が重なった。

 思わず、パッと目を逸らす。

「夏樹? どした」
「あー、いや今……」

 まずい。先輩、今絶対俺のことに気がついた。

 やばい。逃げなきゃ……!

 焦った俺は、慌てて踵を返すと、走って逃げる。

「ハアハア……」

 部活に入っていないせいで、体力はなくてすぐに力尽きた。

「でも…っ、ここまで来れば……っ」

 なんとか大丈夫だろう。

 建物の死角に入れば、逃げ切れる。

 そう安堵した矢先、

「──矢野くん、捕まえた」

 背後から現れたのは、

「……せ、せんぱい……」

 夏樹先輩だった。

 思わず、ゴクリと息を飲む。

「どうして逃げるの?」
「いや、だってそれは……武田先輩たちもいたので……」
「ふつーにしてたら矢野くんだって気づかないよ。それにタケたち全然気づいてなかったし」
「それは、そう…なんですけど……」

 先輩、少しいつもとは違う雰囲気を纏っていて、さらに質問を重ねてくる。

「それと矢野くん、俺さひとつ気になることあるんだけど」

 先輩の瞳がまっすぐ俺を見据えるから、どきっと意識していると、

「俺との約束破っちゃったの?」

 と、告げられて。

「約束……」
「うん。忘れた?」

 あれ、そういえば何か約束したよな。

 なんだったっけ。

 〝女装するなら俺の前だけでしてね〟

 急速に手繰り寄せられる記憶に。

 ……ほんとだっ! まずい……っ

「こっ、これには理由があって──…!」

 慌てて言葉を取り繕おうとするけれど、テンパったせいで言葉は出てこない。