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 八月。夏休み、蝉の鳴き声がうるさくて、うだるような暑さが俺を襲った。
 首元にまとわりつく髪は鬱陶しくて、そこから熱が発生する。黒髪ロングのさらさらウィッグを装着しているからだ。

 ……あー今日も暑い。

 片方の髪を耳にかけて少しでも首元の熱を逃すようにする。

 タイミングよく吹いた風によって、ふわりと髪は攫われる。

 ──あっ、涼しい……。

 膝下まである白いワンピースはほどよくなびいて、女らしさを強調する。

 通りすがる男子は、ちらちらと俺の顔を見ている。中には鼻の下を伸ばしながらでれでれとして、その表情を隣にいた彼女に注意されている。

 まさか俺が〝男〟だとも知らずに。

 ……今日もすごい視線の数だなぁ。

 心の中で本音が漏れて、思わずにやけそうになる表情をぐっと堪えると、目の前だけを真っ直ぐ見て歩いた。

 俺、矢野朝陽(やのあさひ)。性別は男子。趣味は休日に女装をして街を練り歩くこと。趣味っていうと、少し語弊があるかもしれないが、要は自分に自信をつけるためにしているといってもいいかもしれない。 もちろん異性が恋愛対象だ。

 男である俺がなぜ休日に〝女装〟をしているのかといえば、それは──

「──あれ? 矢野くん」

 何の脈絡もなく呼ばれた俺の名前に、身体が勝手に反応して立ち止まり振り返る。

 視界に映り込んだのは、ふわふわした柔らかそうな栗色の髪。その隙間から覗くピアスが二つ。切れ長の瞳は真っ直ぐこちらを向いていて、無地のTシャツにズボンとラフだけれど、おしゃれに見えるのはそれだけ実物が整っているから。

「あ、夏樹先輩」

 そこにいたのは、見覚えのある人物だった。

 高校の一つ上の夏樹孝明(なつきたかあき)先輩。
 俺が通っている高校は男子校で上級生と仲良くなるなんてことは部活に入らない限り滅多にないが、俺と夏樹先輩は生徒会で一緒だ。

 だから当然、お互いを知っているわけで。

「矢野くんとこんなところで会うなんて珍しいね」

 ──だが俺は、ハッとした。

 なぜならば、俺は今、女装をしているからだ。

 それなのに夏樹先輩は俺のことを知ってて声をかけたらしい。
 その証拠に今も俺のことを名前で呼んだ。