夏樹先輩ならほんとにやりかねない。

 俺の前だけってのも実質、ほんとのことなのかもしれないし。でも、だからってそれは。

「いやですよ」
「なんで?」
「普段の俺を知ってる先輩に、女装してる姿見られるなんて恥ずかしくてできません」
「一度見た仲なのに?」
「それはそうですけど……ってなんかその言い方はちょっと語弊を招くというか……ゴニョゴニョ……」

 語尾を濁して、目を逸らすと、「何を気にしてるか分からないけど」と先輩は言ったあと、こう続けた。

「約束したんだから、女装するときは俺のこと呼んでね。絶対だよ」

 満面の笑みを浮かべた先輩。

「……べつに約束したわけじゃないんですけど、もしも仮に俺が約束を破ったらどうなるんですか?」

 恐る恐る尋ねてみると、

「どうって、お仕置きしちゃおうかな」
「生徒会の雑務を代わりに請け負うとか購買でパン買って来てとかですか?」
「なんかそれパシリみたいだね」
「……違うんですか?」
「うーん、ちょっと違うかなぁ」

 先輩は、おかしそうにクスッと笑った。

 俺の頭では考えることに限界があって、これ以上は見当もつかない。

「俺のいないところで女装したら矢野くんにキスしちゃおうかな」

 ニコリと笑って平気でそんなことを言うから。

「なっ、何言って……!」

 一瞬で顔が熱くなった。

 ──キーンコーンカーンコーン。

 予鈴が鳴って、会話が遮られる。

「あ、残念。そろそろ俺、教室戻らないと」

 冷静に立ち上がる先輩は、俺とは違って余裕があって、「じゃあまた放課後に」と軽く俺に手を振り階段を降りていく。

 一人取り残された俺は、いまだ放心状態で。

「……今の、何だったんだ」

 頭を抱えてしばらく動けなかった。