夕夏は扉に背中をつけ、目の前の少年を見据える。

不思議だった。以前の自分ならこんなことを言われれば平静でいられなかっただろう。怒り狂って暴れたか、ヒステリックに喚き散らしたか。どちらかだ。
しかし今、自分は落ち着いている。心の泉に巨大な石を投げられたはずなのに、波紋などまるでない。穏やかな水面だけがどこまでも広がっていた。

その理由のひとつに、彼……真弘に対する特別な想いがある。
彼は自分を挑発しようと必死だ。そして無理して笑っている。本当は笑えないくせに、自分の為に取り乱している彼を見たら……何だか嫌でも冷静になった。
「ありがとな。俺はお前の、色々はっきり言ってくれるところが好きだよ。そんで、感謝してる。俺が先輩達に襲われて、学校で独りになったとき……お前だけは傍にいてくれた」
彼の胸を押した。と言っても、そんな強い力じゃない。なのに彼は、バランスを崩しかけて数歩後ろへ下がった。

「反省と後悔は一生していく。だから卒業まで、あと半年……ここに居させてほしい。頼む」

頭を下げ、薄汚れた床を見つめる。二年前はこんなことになるなんて思ってなかった。彼も、自分も。
クラスが一緒。真弘は、当時の親友だった。それを変えたのは自分。変わったのは、自分の方。
部活の上級生達に襲われてから、自分は真弘のことも避けるようになった。二年に上がってから、ようやくまともに会話ができるようになったんだ。
いつだって真弘が先に話し掛けてきた。……それに気付いたのは、彼に抱き寄せられるようになってから。

「そんなに、あの転校生が好き?」

気付けば、真弘の視線も床へと注がれていた。
彼の後ろの窓から夕陽が差し込む。目が痛いぐらいだ。
でもこの痛みすら、来年の今頃には忘れてしまっているだろう。
「……うん」
俺達はもう、あと半年で卒業だから。

「俺、あいつが大好きだ」

その頃には変わってるかな。
今よりもっと成長できてるかな。誰にも傷つけられない。誰も傷つけないぐらい、強くなれてるかな。
変わりたい……誰かを守れるぐらい、俺は変わりたい。それを彼に約束したい。
「一緒にいてくれてありがとう、真弘。ずっと独りだって勘違いしてたけど、お前や皆のおかけで……俺、また人を好きになることができたよ」