智紀の残念そうな声が、静かな車内に通る。絶対周りに聞こえただろう。こんな場所でデリカシーのない発言をする恋人を夕夏は睨んだ。

急行の為、次の駅に到着するまで時間がかかる。狭苦しい環境だと、それがまた倍の長さに感じた。
少し揺れただけで肩がぶつかる。たまに人の鞄が当たったり、雨の日は人が持ってる傘でぬれることもある。満員電車は本当にうんざりだ、と夕夏は目を伏せた。

おまけに手摺や吊り革にも掴まれないから、無駄にエネルギーを使う。
早く着いてくれ。
ため息が出そうになるのを堪えて、また瞼を開ける。するとさっきよりも近くに智紀が来ていた。そして周りから見えないよう、低い位置で手を差し伸べている。
「…………」
多分、揺れた時に危ないから握ってろって意味だろう。体重の軽い女じゃないんだから余計な気遣いだと思った。
すっかり俺が女役か。
とはいえ今さら不満を言う気はない。彼には散々弱音を吐いてきたし、ここで文句を言っても「また照れてる」と思われるだけだ。そんなムカつくことはない。

智紀はわずかに微笑んでる。本当によく分かんない奴だ。
でも、それも今さらだ。初めて会った時からずっと彼の考えてることは分からない。だから強がる必要もない。視線は天井を向いたまま、彼と手を繋ぐ。それが離れたのは、次の駅に到着したときだった。

「あ~。やっ……と空いたな」

主要駅を過ぎてから車内は一変、がらがらになった。智紀と夕夏は適当に、近くの空いてるシートに腰掛ける。智紀は軽く咳払いして足を伸ばした。
「いやはや……女の人のきつい香水と、おじさんのきつい過激臭がタッグを組んで俺を襲ってきたよ」
「へぇ。俺はあまり感じなかった」
「マジで~? 鼻詰まってんじゃないの?」
「そういうことにしとけ。つうかお前、さっきはよくも大声で俺の身長を貶しやがったな」
「別に貶してねえよ! 事実じゃん」
智紀は驚き、真面目な顔で抗議する。確かに正論の為、返す言葉もない。夕夏は歯軋りしてそっぽを向いた。

「あぁ、背が低いの気にしてたんだな? 良いじゃんか、可愛いし頭撫でやすいし、一石二鳥だよ」
「お前だけな! 俺は何も得してない!」
「まぁまぁ! 怒ると背縮むぞ?」
加えて適当な智紀の返事に、夕夏は到着駅までため息が止まらなかった。