朝か。きっと朝なんだろうな。
 頭で理解しても、体は(なまり)のように動かない。まだ夢の中に浸っていたくて、目の前の何かに(すが)る。
 まだ起きたくない。あと二時間は寝たい。
「日置、日置起きろって」
 そんな俺の願いも虚しく、周りの音が騒がしくなり、体を揺さぶられた。やっと重い瞼を持ち上げると、眩しさでグッと眉間に(しわ)が寄る。
 しかめ面をして数秒。ボヤける視界を瞬きで整えた。手探りで眼鏡を探せば、そっと手を取られ、手のひらに細いフレームの感触を得た。
「起きた? おはよ」
 クリアになった視界の先で、渡会が柔らかい笑みを浮かべていた。開け放たれた障子から差し込む朝陽と相まって、すごく眩しい。
「日置! おはよう! 遅い!」
 突然背後から飛んできた大きい声に、肩を跳ねさせ振り返る。そこには仁王立ちの学年主任が、どっしりと構えていた。
「……え、あ、おはようございます。すみません」
 状況が理解できないまま、慌てて挨拶と謝罪を返す。周りには、まだ起きない仲里と守崎に手を焼いている、担任と堀田の姿が見えた。
 そういえば、朝の巡回時間を確認していなかった。運が悪くも、俺たちはその時間前に起きることはできなかったようだ。
 のろのろと洗面所へ向かい、身支度を整える。客間に戻ると、仲里と守崎はやっと起きたようで、学年主任と担任から軽くお叱りを受けていた。
 疲労の滲んだ教師陣を見送り、緊張が解けた俺は、また布団に突っ伏した。寝ようと思えば寝れる。
「おっ、朝陽すげーな」
 堀田の声に、ピクリと体が反応する。彼の目線を追って立ち上がると、窓の外を見た。
 この旅館が建つ土地は、住宅街より高い。目を凝らせば海も見える。
 昇ってきた太陽に、キラキラと照らされる街並みは美しいものだった。
「朝陽綺麗だな」
「朝陽とか朝焼けが一番綺麗だと思う」
「写真撮っとこ」
 窓際に集まっている仲里と堀田と守崎は、目の前の景色に感嘆の声を漏らした。
「日置もこっち来なよ。朝陽すごい綺麗……日置?」
 こちらを振り返った渡会の表情は、困惑が混ざっていた。他の三人も渡会の反応に疑問を持ったようで、同じように振り向き、同じように戸惑いの表情を浮かべた。
 それもそうだ。
 だって、俺の顔が赤くなっているのだから。
 いたたまれずうつむくと、手で顔を覆い隠した。理由も理由なので余計に恥ずかしい。
 しばらくして畳を擦る音が聞こえ、肩に優しく手が触れた。
「どした? 体調悪い?」
 渡会の声に弱々しく首を振った。
「やっぱ先生に言ったほうが……」
 あまりにも様子がおかしい俺に、堀田も口を開く。
 微妙な空気にしてしまった自分に、恥ずかしさよりも罪悪感が勝った。
 うつむいたまま、顔を覆っていた手を()がす。きっと、まだ顔は赤いままだろう。
 誰もからかうことなく、俺の言葉を待っていた。
 そうか。やっぱ言わなきゃダメか。ダメだよね。
「…………………………から」
 静かな部屋に落ちたとは思えないほど、か細い声だった。
「ん?」
 渡会がそっと手を握ってくれる。
「………………………だから」
「いいよ、ゆっくりで」
 どうしても小さくなってしまう声を、四人は辛抱強く待ってくれた。
 言ってしまえ。あとのことはその時考えろ。
 意を決して、小さく息を吸う。
「……お、俺の……名前が、…………朝陽(あさひ)だから」
 口に出せたのは良いものの、改めて言葉にするとアホらしい。
 つまりはこうだ。俺の名前は朝陽。四人が朝陽が綺麗だとかなんとか言うから、寝起きの脳は勝手に褒め言葉として受け取ってしまったわけだ。
 危惧(きぐ)していた通り、俺と四人の間に、しばらく沈黙が流れた。
 どうしよう。「なんちゃって」とか言ってみる? あんなに恥ずかしがって心配させたあとなのに? 窓から突き落とされる未来しか見えない。
 本当にどうしよう。誰か助けてくれ。
「なにそれ、可愛い」
「え」
 思いもしなかった言葉に、反射的に顔を上げた。けれど、状況を理解する前に、いつの間にか渡会の腕に抱き締められていた。
「焦ったー! もっと深刻なことかと思った」
「俺も、持病とかそっち系の」
「無駄に緊張したわ」
 渡会の腕の中で、彼の肩越しから仲里と堀田と守崎を窺う。三人とも、胸を撫で下ろして笑っていた。
 何の奇跡か、軽蔑(けいべつ)(まぬが)れたようだ。なんていい奴らだ。
 心優しいグループメンバーの反応に冷静を取り戻し、渡会から体を離した。
 物理的にも水に流してこよう。タオルを手に取ると、火照った体を冷ますため、また洗面所へ向かった。

「皆さん、おはようございます! よく眠れましたかね? かなりリラックスしすぎていた生徒もいたようですが」
 大広間に学年主任の声が響く。チラッと向けられた視線に、俺たちはいろんな方向へ顔を逸らしてしまった。動じずにいれば良かったものの、これでは〝自分たちのグループです!〟と自白しているようなものだ。
 修学旅行二日目の朝食は和食だった。昨日の新幹線で食べた幕の内弁当と似たような献立だけど、できたての温かいご飯は格別に違う美味しさがあった。
 普段より豪華な朝食を堪能する中、同じグループの彼らは浮かない表情で箸をすすめていた。
 その理由はなんとなく分かっていた。おそらく四人が懸念している、今日のビッグイベント。
「そんな嫌なの? 自由行動」
 同じタイミングで、四つの頭が縦に揺れた。
 自由行動は女子のグループと一緒に回ることになっていた。顔面優良物件が揃うこのグループとの行動権を勝ち取った女子グループは、それはそれは嬉しそうに盛り上がっていたのを思い出す。
 そこまでテンションを下げなくてもいいのでは……と思ったが、昨夜の恋バナ(という名の傷えぐり大会)を聞いたあとだと、彼らが肩を落とす理由も納得できてしまった。
「ずっと先生が監視してるわけじゃないし、集合時間決めて解散すれば?」
「……一理ある」
 短く答えて黙り込んだ仲里は、口に含んだ白米と俺の言葉をやっと咀嚼(そしゃく)できたようで、急に「それだ!」と表情を明るくした。希望が見えるやいなや、仲里を筆頭に、この場の雰囲気も元気を取り戻した。
 俺たちが自由行動で向かう場所は、最近テレビでも取り上げられたテーマパーク。新設されたばかりで、今のところ評判も良い。
「日置はジェットコースター無理なんだよな」
 朝はあまり食べない派らしい守崎は、そう言いながら箸を置いた。
 守崎が言った通り、俺は絶叫系が苦手だ。だから、留守番係をする予定。
 肯定するように頷くと、彼は小首を傾げた。
「何なら乗れそう?」
「激しくなければ乗れるけど」
「じゃあ、俺らがいない間、メリーゴーランド乗ってれば?」
「嫌だよ」
 首を振れば、何を楽しみに行くのか不思議そうに見つめられ、思わず目線を逸らす。
 実は、行き先を決める時にテーマパーク以外の候補も上がっていた。絶叫アトラクションが乗れないと言う俺に、四人は行き先を変えようと気を遣ってくれたのだ。けれど、「行けば楽しめる」という自信を武器に、なんとか説得をした。
 自分の都合だけで、グループの雰囲気を壊したくなかった、というのは建前(たてまえ)で。本当は女子の圧力を感じたから。全くもって自分の意思ではない。
「はい、皆さん食べ終わりましたか? 今日もたくさんスケジュールが詰まっていますが──」
 待ち時間の潰し方を考えていれば、学年主任の声が耳に届いた。もう朝食の時間は終わってしまったようだ。今日は別のホテルに泊まるので、ここの旅館で食事をするのはこれで最後。そう思うと、少し寂しい気がした。
 昨晩とは違い、出入り口が空く前に席を立つと、昨晩と同じく、渡会が隣に並んだ。
「今日は二人で前の席に座ろ」
「いいけど……三人はそれでいいの?」
「さぁ? いいんじゃない」
 渡会は軽く返事をして、クルッとうしろを振り返った。
「今日のバス、俺と日置で座るから」
 提案ではなく報告をした渡会は、それだけ伝えてまた前に向き直った。文句が飛んでこないということは、見事了承を得たのだろう。
 女子の隣決定戦のジャンケンをしているのか、背後から阿鼻叫喚(あびきょうかん)が聞こえてくる。仲里の悲痛の叫びに苦笑を溢すと、ふと疑問が浮かんだ。
 俺の隣は楽しいのだろうか。
 基本的に話しかけられたら答えるし、俺からも何かあれば声をかける。何もなければ何もしない。ただそれだけ。会話が面白いわけでもない。
 考えれば考えるほど、謎である。
 隣を歩く渡会を見上げれば、視線に気付いた彼は、端正な整った顔をこちらに向けた。
 聞いてみようか。俺の何がいいの?って。
「…………」
 いや、やっぱ無理。面倒くさい恋人かよ。
 結局口には出せず、代わりに別の言葉を口にした。
「楽しみだな」
「うん」
 隣からは嬉しそうな返事が聞こえた。

 旅館のスタッフに見守られ、バスは発車した。道路の角を曲がるまで手を振ってくれるスタッフに、控えめに手を振り返し、見慣れない街道へと目を移す。
 昨夜は雨だったが今日は快晴。雨の名残を留める地面を、太陽が水面(みなも)のようにキラキラと照らしていた。
「そういえばさ、日置は休日とか何してんの?」
 窓の外を眺めていると、渡会が声をかけてきた。
 彼の質問に、意味もなく「んー」と唸る。熱中している趣味がないから、コレ!という回答ができない。何かないかと最近の休日を思い返した。
「姉の荷物持ちとか、出掛けることが多いかも」
「へぇ、お姉さんいるんだ」
「上に二人」
「あー……だからか」
 まるで知っていたかのような口振りだった。
「なに?」
「いや、こっちの話」
 一人で納得した様子の渡会は、ニコリと微笑む。
 なんだよ、気になるな。
 彼はたまにこちらがモヤモヤするような言動をしてくる。昨日、手を繋いで廊下を歩いていた時もそうだ。突き止めようとしても、黙ってこちらが折れるのを待つ。
 ずるい。ずるすぎる。顔が良いからって何でも許されると思うなよ。
「渡会は兄弟いるの?」
 仕返しにはならないが、俺も質問を投げた。
「いるよ、弟。十個下だけど」
「あー……だからか」
 だから世話焼きなのか。かいがいしく介抱された理由に合点がいく。
「なんだよ」
「何でもない」
 先程の渡会を真似するように、ニコリと微笑んだ。結果的に、仕返しができたようだ。せいぜいモヤモヤしてくれ。
 俺がくだらない意地を張っていると、誰かの叫ぶ声が耳に届いた。
「シカだ!」
 ……なんて? シカ? シカってなんだ? あの鹿か?
 ある生徒の一声で、クラス全員が窓際に貼りつき、道路を覗き込んだ。俺も気になって窓に顔を寄せるが、この席からは鹿らしいものは何も見えない。
「あ、いた」
 隣の渡会がポツリと言った。窓から顔を上げて振り向けば、彼は通路側に頭を倒していた。
 そっちか。好奇心が(おもむ)くまま、通路側へ身を乗り出した、瞬間──、
 ゴチンッ。
「「い"っ……」」
 上体を戻そうとした渡会のおでこと、俺の頭がぶつかってしまった。お互いに額を押さえて唸る。
 これは俺が悪い。
「ご、ごめん」
「こっちこそごめん」
 鹿の存在も忘れ、席に座り直して渡会を窺った。前髪に隠れているが、ぶつかったおでこは、うっすら赤くなっている。
 痛みがなくなるわけでもないのに、罪を(つぐな)うように赤く色づいたおでこに手を伸ばした。
 イケメンを傷つけてしまった罪って、懲役(ちょうえき)何年だろうか。よりによって顔だ。終身刑かもしれない。さよなら俺の人生。
「もういいって」
 くだらないことを考えながらおでこを撫でていると、渡会は珍しく照れた表情で俺の手首を掴んだ。
「ごめん」
 もう一度謝罪を口にし、手を引っ込める。
 子供扱いされて恥ずかしかったのかもしれない。何から何まで、すまん。
「俺が武士だったら切腹してた」
「そこまでしなくていいだろ」
 覚悟を込めた言葉を捧げれば、渡会は声を上げて笑った。

 修学旅行二日目の午前。たくさんの鹿に囲まれていた。
「そろそろ本堂に移動するよ〜」
 担任の声が(あた)りに響いた。その声を合図に、残りの鹿せんべいを手当たり次第目についた鹿に与える。
「そういや、違う学校も来てるんだな。制服見たことないけど」
 観光客や鹿で溢れかえる街道を器用に避けながら、堀田が周りを見渡した。
 たしかに、知らない制服の生徒が点々といる。どこの学校だろうか。
「前見てないとぶつかるよ」
 他校の生徒に気を取られていると、腕を引かれた。
「ごめん。人多いもんな」
「いや、鹿に」
「鹿に……」
 渡会の言葉を復唱する。進行方向には、鹿が数頭(たたず)んでいた。当たり前だが鹿は人語を喋らないし、気を遣って対向者を避けることもない。
 渡会が腕を引いてくれなければぶつかっていた鹿に会釈をする。偶然なのか、鹿もペコリと立派な角を下げた。賢い彼(?)となら意思疎通はできそうだ。
 鹿エリアを抜け、迫力のある大きな門をくぐれば、そこには目を見張るほどの美しい庭園が広がっていた。
「広いな」
「あ、池に(こい)いる」
「鯉の餌とかねーの?」
「てか撮影OKだっけ?」
 見かけによらず、庭園を楽しんでいる四人。失礼だけど、こういう観光メインの場所には興味がないと思っていた。
 撮影許可がおりた途端、写真を撮りまくる彼らのうしろ姿を眺めながら、俺もスマホを取り出した。
 手入れの行き届いた風景にすっかり夢中になっていると、遠くから名前を呼ばれた。声がした先で、仲里が手招きをしている。いつの間にか、四人との距離が開いていたようだ。
 スマホをポケットに突っ込み、急いで彼らの元へ向かった。その道中、他校の生徒とすれ違った。華やかな白のセットアップや、凝った刺繍のエンブレムから私立高校だと窺える。
「朝陽?」
 すれ違いざまにかけられた女子の声。久しぶりに聞いた声に、急いでいた足が止まる。
「やっぱ朝陽だ!」
 振り向いた先にいた女子生徒は、パッと顔を明るくした。そのまま、(つや)のある長い黒髪をなびかせて駆け寄ってくる。
 彼女は中学の同級生、池ヶ谷(いけがや)杏那(あんな)。恋愛相談に乗っていた女の子だ。
「一年ぶりくらい? 背伸びたね」
 変わらない彼女の様子に、懐かしい感覚が蘇る。
「まぁね、杏那も修学旅行?」
「そうそう」
「見ない制服だけど、高校どこ行ったの?」
「あー! わたし県外の高校受験したんだよね。この制服が着たかったの!」
 池ヶ谷は嬉しそうに顔をほころばせ、体を左右に振って華やかな制服を見せびらかせてきた。
「どう? 似合う?」
「……似合ってるよ」
「分かりやすい嘘つかないでよ」
 なぜバレる。
 正直、制服にこだわりはないので気持ちは分からない。それでも、お世辞を言えただけ褒めてほしい。
「そんなんじゃモテないよ」
「余計なお世話──」
「日置! 集合写真撮るから早く来いって……」
 池ヶ谷に返そうとした言葉は、焦った声にかき消された。
 振り向けば、少し息を切らした渡会が立っていた。
「あっ! ごめん」
 完全に、急いでいたことを忘れていた。しかも、迎えに来させてしまった。本当に申し訳ない。
 すぐに切り上げようと池ヶ谷に向き直ると、急いでいたはずの渡会が先に口を開いた。
「友達?」
「え……あ、そう。中学の友達」
 思わずぎこちなく頷き、池ヶ谷を見る。彼女はポカンと渡会を見つめたまま、ポツリと呟いた。
「ヤバ。ガチのイケメンじゃん」
 心の声が漏れてしまったようだ。
 そんな夢心地の表情を浮かべる池ヶ谷をよそに、続けて迎えに来てくれた守崎と仲里も到着してしまった。案の定、彼らを視界に入れた池ヶ谷は、また心の声をダダ漏れにしていた。
「おい、マジでそろそろ行かないと」
 ただ一人、最後にやってきた堀田だけは違う反応を見せた。
「堀田くん!」
「おー、池ヶ谷じゃん。久しぶり」
「久しぶり! 元気だった? あれ、堀田くんと朝陽って仲良かったんだ」
「この修学旅行でね」
「へー、何がキッカケだった──」
「杏那、悪いけど俺らもう行かないと」
 会話が長引くことを察知し、慌てて口を挟んだ。俺が原因だけど、さすがに戻ったほうがいいだろう。
 池ヶ谷は会話を邪魔されて不満の声を上げたが、自分も修学旅行中だと思い出したのか友達を振り返っていた。
「じゃ! また! お邪魔してごめんなさい」
 艶のある黒髪がひるがえる。
「朝陽ー! また連絡するから未読無視やめてよねー!」
 人混みをかきわけて元気な声が響いた。おそらく、渡会たちのことを満足するまで聞いてくるのだろう。面倒だな、未読無視しようかな。
「マジでごめん、行こう」
 四人に声をかけ、クラスメイトが集まる場所へ向かう。そこには、腕を組んだ担任が待ち構えていた。
「遅い! まだカメラマンさん来てないからよかったけど……何してたの」
「あ、えっと、女の子助けてました」
 面倒ごとを回避したい俺は、咄嗟(とっさ)に嘘をついた。
 担任は(いぶか)しんだ目で、うしろに並ぶ四人にも「本当?」と首を傾げた。彼女の隣で、ひそかに圧をかける。頼む、首を縦に振ってくれ。
 要望通り、四人は顔を見合わせて頷いてくれた。担任はしばらく黙って俺を見つめていたが、しばらくして「やるじゃん」と言って腕を小突いた。
 嘘を褒められてしまった。罪悪感はあるけど、怒られるよりはマシ。
 到着したカメラマンの元へ向かう担任を見送り、四人のほうへ向き直る。
「ありがと。助かった」
「貸しイチな」
 守崎は人差し指を上に向け、意地悪な笑みを浮かべた。
 今回ばかりは俺のせいだし仕方ない。渡会に関しては、昨日からの迷惑料を含めると、貸し十個じゃないと釣り合わないかもしれない。
「写真撮るよ~! 並んで〜!」
 カメラマンの横で担任が手を挙げた。
 刻一刻と時間が過ぎる。気がつけば、今日のビッグイベントまで一時間を切っていた。

「四時間後にまたこの駅に集合してね、それでは解散!」
 さて、自由行動が始まってしまった。
 俺たちのグループ以外にも何組かテーマパークに行くらしく、入場ゲートに向かう街道には、同じ制服の生徒があちこちに見えた。
 心配していた四人も解散直後は浮かない顔をしていたが、テーマパークが近づくにつれて活気を取り戻していた。
「ホットドッグ食べたいな」
「俺はチュロス食べたい」
「やっぱ、ポップコーンでしょ」
 堀田と仲里と守崎は、歩きながら堂々とスマホを覗き込んでいた。
 今の時間は正午近い。食べ物の話題になるのも当然だった。
「ねぇねぇ、私たちお化け屋敷に行きたいんだけど、一緒に来てくれない?」
 いきなり割って入ってきた、女子グループの一人の声。
「え、入り口解散・入り口集合じゃダメ?」
 仲里の返答に、女子たちは顔を見合わせて言葉を続けた。
「テーマパークは人気だから先生も巡回するっぽいし~、見つかったら怒られちゃうよ〜」
「そうだよ! お願い!」
 手を合わせて上目遣いで訴えてくる。
 そういえば、先生の存在をすっかり忘れていた。別行動が見つかって、学年主任と仲良くコーヒーカップに乗る刑になったらどうしよう。
「いいよ。お化け屋敷くらい」
 誰もが押し黙る中、意外にも口を開いたのは守崎だった。
 どうした。どんな風の吹き回しだ。
 一番拒否しそうな守崎の発言に、渡会と堀田と仲里も驚いた表情をしている。この短期間で大人になった守崎に感心していると、
「その代わり、お前らが先歩けよ」
とても男らしくない発言をしていた。もちろん、女子からは非難殺到だ。
 守崎は異議を唱える女子に怪訝な顔を向けているが、それはそうだろう。女子たちはお化け屋敷に本当に行きたくて言っているわけではないのだから。
 結局、女子の熱意に負けてお化け屋敷へ行くことになった。誰にも言っていないけど、ホラー系も得意ではない。知られたら、からかわれるだろうし、そもそも行かないと思っていたから誤算だった。
 お化け屋敷の対策を練っていれば、いつの間にか入場ゲートに到着していた。
 パーク内に足を踏み入れると、愉快な音楽が迎えてくれる。
「ミミ付けようぜ!」
 テンションの上がった仲里は、近くのショップを指差した。彼の背中に続き、ゆったりとした音楽が包む店内へ足を踏み入れる。
「日置はコレ」
 綺麗に整頓されたオリジナルグッズを眺めていると、渡会が一つのカチューシャを俺の頭に被せた。近くの立ち鏡を覗けば、淡い茶色にところどころ柄のついたミミが頭に生えている。茶トラ猫がモチーフのようだ。
 渡会も赤茶色のミミを身につけ、鏡越しに首を傾げた。
「どう?」
「似合ってるよ」
 そう伝えれば、嬉しそうに顔がほころぶ。
 他の三人も選び終わったようで、堀田は犬のミミ、仲里はクマのミミ、守崎は黒猫のミミを頭に生やしていた。
 ショップを出て向かうは、さっそく売店……ではなく、空腹より思い出作りの彼らは写真を撮り始めた。満足するまで彼らの撮影会に付き合い、ようやく売店を目指す。
 その道中、キャストにたくさん声をかけられた。さすがはテーマパーク。盛り上げ上手なキャストの歓迎に、自然とこちらの気分も高揚(こうよう)する。
 売店で買ったホットドッグを手に、テラス席に座ると、ちょうどパレードの時間になったようだ。名前の知らないキャラクターの着ぐるみや、楽器を持ったパフォーマーが行進してきた。
 パーク内に盛大で華やかな音が広がる。周りのゲストも手を振ったり、手拍子していたりと、とても賑やかだった。
 盛り上がるパレードに気を取られていると、トンと肩を叩かれる。
「ケチャップついてるよ」
 振り向いた先で、渡会が自身の口の端を指し示していた。ペロッと舌を出してみるが違ったようで、彼は頬を緩め「逆」と笑った。反対側に舌を出すが、拭えた気はしない。
 諦めて紙ナプキンに手を伸ばすと、先に渡会がティッシュで拭ってくれた。あ、これ子供っぽいな。
 恥ずかしさに他の三人を窺う。幸いにも、三人ともパフォーマンスに見入(みい)っていて、こちらのやり取りに気づいている様子はなかった。
 少し物足りない昼食を済ませ、早速ジェットコースターへ向かう。食後にハードなアトラクションは出るもん出そうだと他人事に思ったけれど、そこは若さで何とかなるのだろう。
「マジで一人で平気?」
「巡回の先生に見つかんなよ」
「ちょっと待ち時間長いかも」
 まるで、初めて留守番を任される子供のようだった。
 仲里と守崎と堀田の心配する声に頷けば、女子たちの呼ぶ声が聞こえた。
「何かあったら連絡して」
 渡会もそう言い残し、待機列に向かった三人の背中を追った。
 待っても三十分くらいだろう。のんきにパンフレットを開き、ジェットコースター周辺のエリアを眺める。
 マップの上を泳いでいた目は期間限定のシェイクに魅了され、そこを目指した足は……ズボンを引っ張られる感覚によって止められた。
 なんだ、変質者か?
 ここは人通りが少ないわけではない。むしろ、ジェットコースターの前だから多いほうだ。
 大胆にも程があるだろ。そう思いながら振り向くが、そこには誰もいなかった。それでも、ズボンを引っ張られる感覚は続いている。下から。
 目線を下げると、小さな男の子が俺のズボンの裾を握って立っていた。
「まま……」
「人違いですけど……」
 子供相手に敬語になる。
 おそらく迷子の彼は、今にも泣きだしそうに顔を歪めた。
 これは……一緒に探してあげたほうがいいよな。待ち時間暇だし、探してあげるか。
 念のため、グループチャットに一報入れようとしたが、男の子は待てないのか、また俺のズボンを先程より強い力で引っ張った。
 やめてくれ。こんなところで大衆にパンツを(さら)したら、俺が変質者になってしまう。
 諦めてスマホをしまい、ズボンを押さえながら男の子の目線に合わせてしゃがんだ。
「だっこ」
 話しかけるより先に、むちっとした腕が首に回る。どうやら、そのためにズボンを引っ張っていたらしい。
 子供を抱っこした経験などなく、おろおろしながら男の子の両脇に手を差しこみ持ち上げた。見た目より重たい男の子は、高くなった視点で首をキョロキョロと動かした。
「どっから来たの?」
「おうち」
「あー……そうじゃなくて。ママはどこでいなくなっちゃったの?」
「あっち」
 男の子は奥のエリアを指差した。
 情報の少ないナビを信じ、彼の示したエリアを目指す。一方、男の子は俺のカチューシャが気になるようで、ジッとミミを見つめていた。あげくの果てには、小さな手が頭に伸びた。
「あ、ダメだろ」
 地面に転がり落ちたカチューシャを追ってしゃがみこむ。男の子は降ろされたことが不満だったらしい。目に涙を溜めて俺の脚に巻きついた。
「だっこー!」
 ついにはぐずりだしてしまった。手を広げて迎えれば、すぐに首に腕を回してくる。ちょっと可愛い。
 男の子をあやしているうちに、彼の言っていたエリアに到着した。男の子と同じ年齢の子供たちが、小さい機関車に乗ったり、仕掛け噴水でずぶ濡れになったりしている。
 服の色も髪の長さも何もヒントはないが、とにかく、焦ってウロウロしている女性を探した。けれど、母親らしき人は見つからない。
 仕方なくインフォメーションに向かうことにした俺は、パンフレットを開くため、空いていたベンチに男の子を座らせた。予想通り、彼はまたぐずりだす。
 迷った末、男の子を膝の上に乗せてパンフレットを開いた。男の子はコアラのようにしがみついている。隣に座っている夫婦に、なごやかな笑みを向けられて恥ずかしい。
 インフォメーションの場所は、ここからだいぶ距離があった。というか、ほぼ反対側の入場ゲートの方面だ。最初からそっちに向かえば良かった。
 男の子を抱え、パーク内を練り歩く。俺の腕の疲れなどつゆ知らず、男の子は相変わらずキョロキョロとせわしなく首を動かしていた。そんな彼を見つめ、ふと思う。
 どうして俺を選んだのだろう。
「俺の何がいいの?」
 渡会には聞けなかった質問は、子供相手にはいとも簡単に口にできた。
「まま……」
「俺はママじゃない」
 返ってきた答えは、何の参考にもならなかったけど。

 人混みを()って歩いていると、目的地のインフォメーションが見えてきた。
「そろそろ着くよ」
 男の子に声をかけるが反応がない。聞こえてくるのは、規則的な呼吸だけ。途中から静かになったとは思っていたけど、まさか寝ていたとは。場内アナウンスをするには、名前と住所が分からないとダメだろう。
 男の子を軽く揺すったり、背中を叩いてみるが、起きる気配はまったくない。
 腕の限界が近い俺は、音を上げる筋肉を叱咤(しった)してインフォメーションのドアを開けた。そこには、スタッフと話し込む一人の女性がいた。
「あ」
 俺に気付いたスタッフが声を上げる。女性もスタッフの反応を追うように振り返った。彼女はこちらを見るなり、安堵の表情を浮かべ、パタパタと駆け寄ってきた。
「その子うちの子です! すみません! どこにいましたか?」
「えっと、ジェットコースターのところで会いました」
「ありがとうございます……! 急にいなくなってしまったもので」
 母親は涙を浮かべ「良かった」と呟いた。
「すみません。寝てしまったのですが……」
 男の子に目を向けると、母親は困ったように笑って手を伸ばした。その瞬間、体を動かされる感覚に目が覚めたのか、男の子はいきなり寝起きとは思えない大声で泣き出した。俺の服を強く握り締め、引っ張ってくる。
 なぜかパニックになっている男の子に、母親も困惑していた。
 男の子はなかなか泣きやまない。すっかり困り果てていると、制服のポケットに入れていたスマホが振動した。着信を告げるそれに、今の自分の状況を思い出す。
 まずい、今どれくらい経ったんだ。しかも、グループチャットに何の連絡も入れないまま、ここまで来てしまった。
「すみません……! 一旦このまま電話出てもいいですか?」
「はい! 全然構いません! ご迷惑をおかけしてしまいすみません」
 母親はバッと頭を下げた。
 俺ももう一度頭を下げ、泣いたままの男の子を抱えてスマホの画面をスライドした。
「もしも……」
『日置! 今どこいんの!?』
 画面の向こうから、切羽詰まった渡会の声が聞こえてくる。
「ごめん、迷子届けに来てて」
『迷子? 今迷子センターいんの?』
「そう、でもちょっと離れたくないみたいで」
『……分かった。今からそっち行くから絶対動くなよ』
 プツリと通話が切れた。
 怒ってるかな。怒ってるよな。
 チャットルームには、仲里たちからもメッセージが届いていた。渡会に関しては、毎分おきに通知が入っている。
 罪悪感に、自然と溜め息が溢れた。

 ぐずる男の子を抱えて数分、ドアの開く音がピリつく空気を裂いた。
 出入り口に立つ渡会と目が合う。息も上がって髪も乱れているが、それさえもスタイリングされているように見えて眩しかった。
「今ってドラマの撮影やったっけ?」
「あかん、惚れてまうとこやった」
 受付の女性スタッフの声が耳に届いた。
 イケメンはなんでも味方につけてしまうんだな。場違いに感心していると、渡会は男の子を一瞥(いちべつ)したあと、こちらに近付いてきた。
「触れてもいいですか?」
 俺の隣に腰を下ろした渡会は、母親に声をかけた。
「え……? あ、はい!」
 突然現れたイケメンに魅入っていた母親は慌てて頷く。触れるのは母親ではなく子供のほうだが、彼女はもちろん、受付スタッフまで頬を真っ赤に染めていた。
 寄せられる甘い視線を気にも止めず、渡会はそっと男の子の頭を撫でた。男の子はバッと顔を上げると、目に大量の涙を浮かべて泣きの姿勢に入る。
 渡会はすぐに話し出さず、男の子の目を見て微笑み、大きな瞳から溢れた涙を優しく拭った。
「一人でよく頑張ったね」
 彼の振る舞いは、ドラマのワンシーンのようだった。
「もうお母さん来たから、大丈夫だよね」
 渡会の言葉に、男の子がキョトンとした表情を浮かべた。小さな頭で一つ一つ、状況を読み込んでいるようだ。男の子は渡会を見て、俺を見て、そして恐る恐るうしろを向いた。
「ママ‼」
 今までの態度が嘘のように、男の子が母親に飛びつく。
 どうやらパニックになって泣き出したのは、母親を知らない人だと勘違いしたからのようだ。ずっと俺にしがみついていたうえ、ろくに顔も確認できず、母親の声も自身の泣き声でかき消していたので、誤解が続いていたらしい。もはや、奇跡の重なり合いだ。
 俺もアトラクションに乗ったくらい疲れた。
 まだ少しだけ手続きがある親子をあとにして、俺の迷子救出チャレンジは幕を閉じた。

 迷子を助けたからと言って、俺の失態が帳消しになるわけではない。
(……気まず)
 隣を歩く渡会を見ることさえできない。
 口を開けば言い訳にしかならない現状に、適切な言葉を探していると、先に話を切りだしたのは渡会だった。
「先生たちには、日置がいなくなったこと言ってないから安心して」
「…………え」
 予想外の発言に思わず顔を上げる。
「怒ってないの?」
 怒られると思っていた。迷惑をかけまくっているから……特に渡会には。
「少し焦ったけど、無事だったからもうなんでもいい」
「え、あ、……そ、な」
 やばい、日本語飛んだ。
 たまに忘れそうになるけれど、俺と渡会は元々親しい間柄ではない。この修学旅行で少しずつ距離が縮まっている程度の、友達と呼んでいいのかすら分からない関係。
 なんでそんなに気にかけてくれるのだろう。
 なんでそんなに優しいのだろう。
 なんで俺なんだろう。
「俺の何がいいの」
 口から漏れた言葉に自分で驚く。
 修学旅行は明日もある。ここで亀裂(きれつ)が入ったら、気まずいどころではない。それでも出てしまった言葉は戻せない。
「さぁ? なんだろ」
 俺の心配をよそに、渡会は首を傾げて笑った。
 え、そんな感じなんだ。
 俺が思っている以上に、彼の気遣いは気紛れらしい。
 自分の考えすぎだと気付けば、ふっと肩の力が抜けた。

「まったく、日置はすぐいなくなるんだから〜」
「せめて連絡くらい入れろよな~」
 仲里はわざとらしく唇を尖らせ、堀田は大げさに手に持っていたスマホの画面を叩いた。
「マジで大変だったよ。渡会が」
 守崎が目配せで伝えると、視線を受けた渡会は怪訝そうに顔を顰めた。
 本当に申し訳ない……とはいえ。もちろん反省は大前提として、もし、連絡を入れていた場合は、俺が下着を晒した変質者として彼らの前に戻ってくることになっていたけど、それはそれでいいのだろうか。絶対ネタにされるから言わないけど。
 葛藤を墓場まで死守することを誓えば、ジェットコースターで乱れた髪やメイクもろもろを直した女子たちが戻ってきた。
「ね、お化け屋敷行こ!」
 忘れてた。そういえばそんな話だったか。
 悲しいことに、ジェットコースターと近かったお化け屋敷は、すぐにたどり着いてしまった。
 よくある廃病院をモチーフにしたそこは、外観から気合いが入っており、館内から聞こえてくる悲鳴がさらに恐怖を引き立てていた。
「ではお気をつけて〜」
 脱落者が多いのか、最悪なことに順番は秒で回ってきた。実際、数十分は待っていたが、心の中で十字を切っていた俺にとっては、一秒と変わりない。
 討論の末、男子が先陣を担うこととなり、懐中電灯を持っている仲里を先頭にぞろぞろと暗い館内を進んだ。
 視界に映る全てが怖い。開け放たれた扉の向こうはカーテンで締めきられ、人間のような影が(うごめ)いてる。「手術中」とランプのついた部屋からは、(うめ)き声が聞こえてくる。
 膝を震わせながら歩いていると、突然背後からギィ……とドアの開く音が聞こえた。恐る恐る振り返るが、黒い影がいるだけでよく見えない。
 仲里が手にしていた懐中電灯を向けた。
 そこには、首があらぬ方向に折れ曲がった人(?)が立っていた。「ぁ」とか「が」とか、わけの分からない声を漏らしている。
 恐怖の沈黙、三秒。急に首がぐるんと一回転した。そして、あろうことか俺たちに向かって駆けだした。
「キャー‼ 」
 女子の悲鳴と共に、その場の全員が駆けだした。もう順番はぐちゃぐちゃだ。
 無我夢中で長い廊下を走った。足元が暗くてよく見えない。仲里が持っている懐中電灯と、時折点滅する照明だけが頼りだ。
 バァンと破裂音が耳をつんざいた。顔を上げれば、暗い館内に一筋の光が見えた。その光に向かって夢中で走る。
 いつの間にか、出口を駆け抜けていたようだ。辺りは暗い館内ではなく、賑やかなパーク内に変わっていた。
 整わない呼吸を落ち着かせるように、深く息を吸う。
「日置大丈夫?」
 大丈夫ではない。それでも、渡会が持ってきてくれた自分のショルダーバッグを背負い、コクリと頷いた。
「あと一つくらい乗れそう」
 恐怖を味わった人間とは思えない淡々とした口調で、堀田が腕時計を見ていた。俺はもう帰りたいよ。
 自由時間終了まで残り三十分。今から乗れて、あまり並ばないもの。
 周りを見渡せば、馬と目が合った。
 そう、メリーゴーランドだ。

 キラキラと光沢を放つ馬にまたがり、ポップな音楽に身を任せる。
 メリーゴーランドなんて久しぶりに乗った。
「日置、こっち見て」
 隣の馬に乗っている渡会が、スマホを構えていた。咄嗟にピースを向けるも、いつまで経ってもレンズは下がらなかった。
「これ動画」
 早く言ってよ。動画は写真より何をしたらいいか分からない。
 したり顔の渡会に怪訝な目線を送ると、彼は笑みを溢してスマホに向き直った。
 やられっぱなしはなんだか性に合わず、俺もスマホを取り出し、四角い枠に渡会を閉じ込めた。傾きだした夕陽は、彼の形の良い横顔を照らしていた。
「外カメあんまり盛れないんだけど」
 撮られていることに気付いた渡会は、困ったように笑った。
「いつでもかっこいいよ」
 素直にそう伝えると、彼は照れたように耳を赤く染めた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。
 退場ゲートに向かう頃、仲里がポツリと呟いた。
「楽しかったな〜」
 その言葉に全員が頷いた。
 そういえば、お土産を見ていなかった。けれど、ゆっくり見ている時間はもうない。
 また来ればいっか。
 ゲートをくぐると、馴染みのある街並に目を(すが)める。
 ただいま、現実。

 ホテルに着くまで、バスの中は誰かの寝息が聞こえるほど静かだった。クラスメイトは全員、自由行動を存分に楽しめたようだ。
 隣の渡会も珍しく眠っている。いつもは大人っぽい彼だが、寝顔は年相応のあどけなさを見せていた。
「はい、皆さん起きてください〜! そろそろホテルに着きます。寝てる子がいたら起こしてあげてね」
 担任の声がバス内のマイクを通じて響き、静かだった空間に音が溢れ出す。
 さわがしくなる音をものともせず、眠り続ける渡会。体を揺すると、グッと眉間に皺が寄り、ゆっくり瞼が上がった。
「おはよ」
「…………はよ」
 まだ眠いのか、ボーッと俺を見つめていた瞳は、また瞼の裏に隠れてしまった。徐々に速度を落とすバスに、夢の中に戻る彼を慌てて叩き起こした。

「仲里君のグループちょっといい?」
 ホテルへ向かう道中、担任に呼び止められた。振り向いた先の表情は、少し曇っている。
「実は手配ミスで、仲里君のグループの部屋を四人部屋で取ってたの。だから一人、違うグループのところに行ってもらうことはできる?」
 ブラウンに縁取られた眉が、申し訳なさそうに下がる。
 なるほど。つまり一人分ベッドが足りないと。移動先のグループが気になるけれど、一晩だけなら問題ない。
 立候補しようと口を開くが、それは渡会に(さえぎ)られてしまった。
「それってベッドの数以外に問題はあるんですか?」
「え? 特にはないと思うけど、みんながいいのであれば」
「じゃあ大丈夫です」
 あれ、俺の意見は? それに、まだ五人で話し合っていない。
 渡会以外の三人に目を向けるが、その表情から反論の色は窺えなかった。
 必然のように決まった四人部屋を、俺は何も言わずに受け入れるしかなかった。
 ホテルのエントランスを抜け、向かうは五〇七号室。キャリーケースはすでに部屋にあるそうだ。
 カードキーで開いたドアの先は、担任が言っていた通り、本当に四人部屋だった。
「誰と誰がペアになる?」
 堀田はさっそくベッド問題を取り上げた。
 部屋のベッドは四つ。俺たちは五人。誰かが犠牲になって一つのベッドを二人で使う他ない。床という選択肢もあるけど、それはあまりにも可哀想だ。
「俺は寝相悪いからパス」
「俺も〜」
 守崎と仲里が我先にと手を挙げた。
 譲る気のない二人に、文句をグッと飲み込む。今朝の様子を思い出すかぎり、蹴落とされるのは間違いない。それはできれば回避したい。
 残った者同士で顔を見合わせる。身長から考えて、堀田と渡会の組み合わせはなくなった。そうなると、堀田と俺か、渡会と俺かの組み合わせになる。
「バスで一緒に座ってた二人でいーじゃん」
 傍観(ぼうかん)していた守崎が、俺と渡会を指差す。
「俺はいいけど」
 渡会はあっさりと頷いた。
 マジで? そんな軽い感じでいいの? 男とくっついて寝るのに?
「日置はどう? 俺と一緒でいい?」
「え……あ、俺はどっちでも」
 なぜか真剣な面持ちの渡会に、首が縦に揺れる。
「じゃあ、決まりな!」
 最後の一人ベッドを獲得した堀田は、嬉しそうにニカッと笑った。
 ただ一人、状況を把握できていない俺は、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 不安を残したまま迎えた消灯時間。
 ベッドの上で真っ白な天井を眺めていると、最後にシャワーを終えた渡会が戻ってきた。
 邪魔にならないよう、なるべく壁にくっついてスペースを空ける。
「そんな寄らなくてもいいのに」
 ベッドに上がった渡会は、俺の腕を引っ張った。やはり、男二人が寝そべると当然狭い。少しでも寝返ると体が当たってしまう。
 今日はみんな、遊び疲れたらしい。雑談もそこそこに、ひとり、またひとりと眠りについた。俺も細心の注意を払いながら、そっと瞼を閉じたのだった。