十二月、客が来店する度に共に入って来る冷たい風。それにぶるりと体を震わせ、涼は辺りを見渡した。
 年末に向けて増えていく客足と共に、目当てのものを探して困っている人の姿も自ずと増える。今もまたひとり。視線があちこちへ、それでいて一冊ずつ注視している様子に、棚下から在庫分を取り出そうと屈めていた腰を持ち上げる。

「なにかお探しですか?」
「あ、あのー、っ」

 自分の姿を確認するや否や、びくんと震える肩。いつも通りの光景。だが涼は、もう他の店員に引き継ぐことはしない。胸元の名札を示し、店員だということを真っ先に伝える。

「この辺りを探されているということは、小説ですか?」
「あ……はい、そうなんです。昨日発売されたもので――」

 第一印象こそ、この容姿ではマイナスになってしまうのはどうしたって避けづらい。それでも逃げずに真摯に向き合えば、こうして安堵したように受け入れてくれる人のほうが圧倒的に多い。そんなことに、この歳になるまで気がつかなかった。
 大地の決意に感化された秋。最初のうちこそ、この容姿から変えていかなければと涼は考えたのだけれど。髪色を黒に戻す決心はどうしてもつかず、それならばせめてとピアスを全て外して出勤したことがあった。なにがあったのとひどく心配してきた店長、呆然とした後に指をさしてまで大笑いしてきた先輩、それに釣られるようにピアス似合ってたのにと言ってくれた同僚たち。その日の苦くて、けれど長らく自分を縛っていた鎖がほどけたような感覚を、涼は忘れない。だから髪色もこのままでいる、ピアスだってやめないと自信を持つことが出来た。
 容姿の奥の本当の自分を見てくれる人は、思いのほかそばにいる。変わるべきは意識で、脱ぐべきは見えない鎧。信念ではない。
 大地と出逢っていなければこの冬も、ひとりであることをきっと嘆きもしなかった。
 そんな大地は今日も大きな体に大らかな心で、自分のことはもちろん仲間たちの想いに目を配って、瞬間瞬間に打ちこんでいるのだろう。そう思えば涼は、今日も明日もその先だって、逃げない自分でいられる。そう感じることができた。
 ポケットで揺れる白くまの鈴の音を耳に、さあと次の仕事に取り掛かる。休憩の時間になったら、また大地とのやり取りを眺めて力を貰おう。
 死にそうになったら連絡すると言った大地とのそれは、あの秋の夕暮れの下でかかってきた通話の履歴で途切れている。元気でやれている、その証拠に憂うことなどない。なにもないのだ。


 来週にクリスマスを控え、店内も賑わうとある日。店長が困った顔を見せたのは、ひと際忙しい午後だった。

「誰か、虹野高校に行ってくれないかな。注文分届いたんだけどねー……」

 ありがたいことに近辺の学校のいくつかが、この書店を通して本を仕入れてくれている。涼の母校である虹野高校もそのひとつだ。通常であれば担当の者が配達するところだが、あいにく今日は風邪で休暇を取っている。
 店長は本当に困り果てていて、けれど店内の業務も疎かにはできない。この時期だから皆が休みなく動いているのだ。
 そんな状況を目の当たりにしても、今までの涼であればそれだけは勘弁してくれと逃げ、店内業務は引き受けるから虹野高校だけは――と誰かに頼るところだが。
 今、自身の業務にひと段落ついているのは涼だけで。なにより、引き受けてもいいと思える心を持てている。

「店長、オレ行きますよ」
「本当? 猫田くん初めてじゃない?」
「そうっすね。まあでも母校なんで。分かるし大丈夫っす」
「よかった。じゃあ頼むよ」

 三毛音書店所有のバンの鍵が、店長から涼へと手渡される。よろしくね、と肩を叩いてくれる店長が安堵した顔を見せるのは、取引先へ届けられるからだけではないと分かっている。
 段ボールで三箱分の、新刊や生徒から希望があったのだろう少しコアな本。それらをバンに積んで、虹野高校へと到着した。来客用の駐車場へ停め、受付へ向かう。

「三毛音書店です。ご注文の本をお持ちしました」

 事務員にそう伝えるだけでも、涼はどうしたって緊張を覚える。カラカラと口が渇くのを感じながら許可証を受け取り、持参した台車を押して校内へ入る。避けて通れない職員室の前は、少し早足で過ぎ去った。もう放課後なのだろう、賑やかな生徒たちの声が響いている。金髪を隠したキャップをぐっと引き下げる。
 この学校を卒業して、もう五年は経った。不良だとか喧嘩っ早いだとか、そういった噂ももうさすがに残っていないだろう。分かっていても避け続けてきた学び舎は、まだどこか冷たく涼の行く先を阻んでいる。
 廊下を一度曲がって、突き当たり。目的地である図書室は、今も変わらずそこにあった。校舎の端にあるこの場所は、高校生の涼にとって唯一のオアシスだった。蔵書数はこの近辺の学校の中でもトップクラスなのよ、と司書の教諭は誇らしそうで。三年間図書委員を務めたことは、数少ない良い思い出だ。
 その入り口で深呼吸をひとつして、引き戸の扉を開け中へ入る。懐かしい香りは一瞬で、いたずらに過去を連れてくる。オアシスと言ったって半ば隠れるように過ごしていたのだから、苦い思いが色濃い。

「あら。猫田くん?」
「え……あ、先生」

 だから、本を引き渡したらすぐ帰ろうと思ったのに。よく覚えているその声が、涼の名を呼んだ。弾かれるように顔を上げた先には、初老の女性の姿。たくさんの本を慈しむ司書のその人は、今もここを守り続けていたようだ。

「えっと……あ、三毛音書店です。ご注文頂いた分、お持ちしました」
「まあそうなの。猫田くん、書店員さんだったわね。そっか、三毛音さんだったの」

 ここに置いてくれる? とカウンター前を案内される。言われるままに段ボールを下ろしながら、涼は内心首を傾げていた。世話になったが、進路の話をしたことはなかった。当時の担任こそ就職先を把握はしていたはずだが、良好な関係とはとても言えなかったあの教師が伝えたとも考えづらい。

「元気にしてましたか?」
「まあ、はい……先生がいてびっくりしました」
「ふふ、もう長いものね」
「よく覚えてましたね、オレのこと。もう五年前なのに」
「私は記憶力が自慢なの。それに、猫田くんのことは忘れようにも難しいわね」
「はは、そうかもっすね。悪目立ちしてたし」

 高校生の頃から、涼は今と変わらない風貌をしていた。厳しい学校というわけでもないから黙認されていたが、かと言って教師たちには疎まれているように感じていたし、生徒にも距離を取られることが常だった。

「そうねえ。よく怪我してたものね、喧嘩なんてしたくもないくせに」
「……先生、知ってたんすね」
「優しい物語を好んで読んでいたあなたが、進んで人を傷つけるとは思えなかったわ。なんにも教えてくれなかったけどね」
「あー、はは……」

 喧嘩をしたことは、たしかに一度や二度じゃない。それでも自分から吹っ掛けたことなんて、一度もなかった。見た目で不良だと思われ、弱いわけでもなかったせいでなまじ勝ってしまうから、噂はどんどん尾ひれがついていった。言い訳をする気にもならなかった。自ら望んだことではなくとも、好んでしている格好が引き起こすなら、評価も受け入れるべきだと思ったから。誰かを巻きこむことになったら、それこそ後悔してしまう。そんな想いをするくらいなら、離れていってしまう人はそれでよかった。

「でも、あなたが本屋で働いてるって聞いて、すごく嬉しかったわ」
「……あの、それなんすけど、なんで知ってるんすか?」
「ふふ。だって最近、たまにここに来る子に教えてもらったから」

 司書の教諭はそう言って、ただその視線を窓ガラスの外へと向けた。ここからはグラウンドがよく見渡せて、活気ある声が寒空の下から届いている。サッカー部、陸上部――ああ、まさか。
 窓までの数歩すら惜しいと駆けた涼に、教諭が続ける。

「熊崎くんのことは野球部のキャプテンで有名だから知ってはいたけど、ここに初めて来たのは今年の秋の頃だったわ。先生、猫田涼さんって知ってますか、図書委員してたらしいんすけどーって。ふふ、開口一番がそれよ? ここは本を借りるところなんだけどな、ってつい言っちゃったわ。でもすごく必死だったから。知ってるわよ、って色々教えちゃった。個人情報だって怒られちゃうかしら」

 冷たいガラスの上で、涼の指がきゅっと音を立てる。グラウンドの奥、遠くにいたってすぐに大地の姿を見つけることができた。胸の奥からこみ上げそうな感覚に、そっと鼻を啜る。部員たちを前になにかを大地が話した様子の後、ランニングが始まった。体内に押し戻した涙が心臓に刺さって痛い。

「絆創膏、じゃなかった。ティッシュ持って来ましょうか?」
「いえ、大丈夫です。先生、アイツにオレのなに話したんすか」
「読書量の多さが五年経った今でも誰にも抜かされてないこととか、そんなことよ。でもね、それだけじゃ不満そうなの。来る度に新しい情報を求められて、私も大変。たまに怪我してたことも……ごめんね、つい言っちゃったんだけど。熊崎くん、なんて言ったと思う?」
「痛そう、とか?」
「『あんな優しい人が喧嘩? 辛かっただろうな』って。自分が怪我したみたいに痛そうな顔して、そう言ってたわ。仲がいいのね、あなたたち」

 トンと肩を叩いて、教諭はカウンターの中へと戻ってゆく。けれど涼はしばらく動けそうになかった。
 なんの連絡もしてこない大地に、死にそうって言ったのに、と虚しくなる日がないわけじゃなかった。自分こそが死にそうなくらい寂しくて、この仕事を引き受けたのだって、ひと目くらい大地の姿を見られるかもとの打算もあった。
 涼が恋心の扱い方に苦心していた時、大地は日常の中に自分の姿を探してくれていたのか。死にそうな日はもしかしたら大地にもあって、けれど自分が決めたことだと踏ん張っているのかもしれない。そしてそこで見つけた涼のかけらに、あたたかい手を添えてくれていた、なんて。
 ぐすんと鼻を啜った涼の視界に、制服を着たあの頃の自分が図書室のすみっこで蹲っている。
 お前、よかったな。人生捨てたもんじゃないぞ。諦めたように生きている、“今の”お前の時間もだよ。
 人の心は他人には見えない、自身の真実が伝わらないように。もしかすると司書の教諭や康太以外にも、例えば図書委員で一緒だった生徒たちだとか、気にかけてくれていた人はいたのかもしれない。そんな風に、見えない過去にまで希望は光る。大地が添えた手によって。


 それじゃあまた、と教諭に挨拶をした涼は、外の自動販売機で缶コーヒーを購入した。名残惜しさに負けてしまったからで、ここなら気づかれることもないだろうとバンに凭れ、こっそりと遠くの大地を眺めている。グラウンドを走りこんでいる野球部が校舎側に回ってくる時、大地の白い息まで見えるのが癖になりそうだった。
 その表情をあまりに見つめていると、落ち着かせた涙がまたやってきそうで。そろそろ帰ろうと、缶の底で揺れるコーヒーを飲み切った時だった。トントンと肩を叩かれ振り向いた先、そこにいた人物に涼は目を丸くする。

「りょーう。何してんの」
「おー、康太こそ。って、野球部か」
「そ。この時期はもっぱらトレーニングだけどね」
「へえ。オレは図書室に配達したとこ」
「そういう仕事もあるんだ」

 寒そうに肩を縮めながらダウンのポケットに手を突っこみ、康太が涼の隣にやってくる。共に過ごした学び舎で私服で車に凭れ、生徒たちを眺めるのは不思議な感覚がする。

「康太と会うのもなんか久しぶりだな」
「あー……」

 涼がそう言うと、康太は突然歯切れが悪くなった。唸りながら、ずるずるとしゃがみこんでしまう。
 どうしたのだろうか。膝についた右肘で頭を抱え、その視線はグラウンドのほうだ。今も走り続けている大地に並走し、時折笑顔を零しているのは康太の弟、柊。何度か康太の自宅に行った際、顔を合わせたことがある。纏う空気がよく似てるよなと涼は思う。

「弟と喧嘩か?」
「え? あー、いや、全然違う。今日も仲良し。そういうんじゃなくてさあ」
「うん?」
「なんつーか、罪悪感?」
「は?」

 なにを言っているのかやはりさっぱりと分からないが、憂う友人をそのままにしておきたくはなかった。けれど康太は次の瞬間にはもう、何事もなかったかのように勢いよく立ち上がる。

「よし、コーチもどき頑張ってきますかあ」
「大丈夫なのか?」
「うん、平気。なあ涼、今日夜空いてる?」
「空いてるけど」
「じゃあ涼んち行っていい? なんか夕飯買ってくし」
「分かった」

 掴みどころがないのは昔からだったなと、制服を着た康太との懐かしい記憶が蘇る。いつも笑顔で人に好かれる、空気を変える力を持っている。纏う光を惜しみなく涼にまで齎す、隙を見せることなく。そういう男だった。
 監督だろう男性の元へと駆けていき、その場に召集される部員たち。康太の両手が柊の髪をくしゃくしゃと混ぜていて、微笑ましさに白く笑みを溶かす。あんなに仲の良い兄弟は見たことがない、と大地が言っていたっけ。
 光を齎す人間にだって、そうしてくれる相手がいてほしい。友人への密かな願いは、もしかすると叶っているのかもしれない。


「ビールでよかったよな」
「やったありがと! しかもいいヤツじゃん」
「まあな。てかすげー美味そ」
「デパ地下のだからね」

 あれから書店に戻った後、仕事を終えた涼はいつもより奮発して高めのビールを買った。こんなもので何になるわけでもないだろうが、夕方の康太の横顔が忘れられなかった。
 その康太はと言えば、あれからわざわざデパートまで行ったらしい。わざわざ悪いなと思いつつも、美味いものには抗えない。缶のままビールをコツンと合わせて、寿司やローストビーフ、洒落たサラダにと舌鼓を打った。ごちそうさまと手を合わせた後、飲み足りなさそうな康太に、グレードは下がるが冷蔵庫に冷えていたビールをもう一本。涼はアルコールはもう十分で、作り置きしてある麦茶をグラスに注ぐ。
 テーブルへ戻ると、康太は頬杖をつきビールを飲みながら、どこかぼんやりとテレビのほうを眺めていた。特にチャンネルを選ぶこともなくつけたそれは、今はバラエティー番組が賑やかに笑い声を響かせている。

「敵わないな、って思うよな。まあもういいんだけど」
「ん? なにが?」
「ううんー。ねえ涼さ」

 体を起こした康太は、もうほとんど空けたらしい缶を手の中で踊らせる。くるくると回して、少ししたら回転方向を変えて。それを止めたと同時に、その瞳が涼へとまっすぐ向けられた。

「最近クマと会ってないんでしょ」
「へ……あー、うん。大地に聞いたのか?」
「聞いたって言うか……俺のせいだし」
「え?」

 康太は申し訳なさそうに眉を下げ、大地と交わしたという約束を涼に語り始める。大地がキャプテンになってしばらくたった、九月のことだと。

「アイツはさ、もうすでに上手くやってたよ。昔の俺よりずっと。同じ目線で仲間たちのこと見てやれる。俺にはなかったもんなあ」
「そうか? 康太はキャプテンシーのある主将だったろ」
「えー、ありがと。俺もそうあれたかなとは正直思ってるけど。クマはまた違うタイプの良いキャプテンだよ。ただ、覚悟が足りてなかったっつうか。本当に自分がキャプテンでいいのかって、あの頃のクマはまだ不安がってた」

 缶の底に残っていたビールを康太が呷る。天井に向かって吐かれた息は、憂いた色だ。

「成し遂げたいものがあるなら、時にはなにかを捨てなきゃいけないこともある……って言ったんだ。まあ俺の持論だけどさ。球児の夢っててっぺんひとつで、そんな奴らをまとめなきゃいけないわけだから。誰がキャプテンかってそれだけでチームは変わるし、逆に言えばクマならいいチームを作れると思ったから俺も推したんだけど。クマが漫画読むのやめたって柊に聞いたのは、それからしばらくしてからだったな。漫画かよって最初は思ったけど、あークマにとっての漫画って涼のことじゃね? って。そしたら学校でしょんぼりしてる涼がいたからさ。なるほどなって」

 そこまで話した康太は、俺も麦茶ちょうだいと立ち上がった。コップはそこ、と教えると注いで戻る。

「オレそんな顔してた?」
「してたしてた。寂しい~! って感じ?」
「うわー、恥ず……」
「はは、いいじゃん。クマはさ、大事なものを一旦しまったんだなって思ったよ。他への気持ちが必ずしも邪魔になるわけじゃないし、むしろ糧に出来る奴もいるんだけどな。クマも不器用なわけじゃないしそっち側の感じするけど、そのくらいの覚悟で夏にかけてるんだなって。アイツをキャプテンにしたのは間違いじゃなかった」
「うん。康太がそう言うなら絶対そうだな。大地もお前とやれて嬉しいだろうな」
「それはどうかな。恨まれてるかも」
「んなわけないだろ。少なくともオレにはそう見える」
「はは、そっか」

 学校で康太が零した罪悪感とは、そういうことだったのか。だが聞いてみれば、康太が背負うことなどなにもないとそう思う。康太が大地に齎したものは、チームが前を向く力だ。むしろ、寂しい顔だなんて言われるような、そんな想いを持っている自分が恥ずかしい。

 
 うあー、と大きく息を吐きながら天を仰いだ康太は、頭をベッドにぼすんと置いた。それからテレビのほうへどこかジトリとした目を向ける。

「あーあー、俺も高校球児だったんだけどなー」
「は? うん、そうだな?」
「野球の勉強してんの?」
「……あー、うん。勉強っつうか、ルールもちゃんと知らないなって思って」

 その視線はどうやらテレビではなく、ボードの上の野球のルール本へと向けられていたらしい。そう言えば康太には、大地を白くまみたいだと言ったこともあるなと思い出す。飾られているオブジェなどを今更片付けるのも不自然だけれど、居た堪れなさに苛まれる。

「俺の時は試合も見に来てくれなかったのになー、あーあー」
「えー、見に行ってよかったのか?」
「は!? いいに決まってんじゃん!」
「……そっか。勿体ないことしたのかもな」

 高校の時の康太には感謝ばかりだ。今も続く関係は夢みたいに嬉しい。そんな康太にあの頃、どんな風に接していたか。いつかコイツも、と訝る気持ちは消せなかったように思うし、多くの人に囲まれる康太のそばに自分がいる必要もない、なんて考えていた。だから、試合を見に行こうと考えることすらできなかった。
 もっとちゃんと康太の光に照らされる覚悟があれば、違う今もあったのかもしれない。例えば野球をもっと理解していて、臆することなく親友だと呼べるような、そんな今が。
 だが、それを過去のことだと諦める必要もきっとない。そう思える自分になれていることが、なんだかくすぐったい。

「康太はこっちに戻ってきてからもうやってないのか? 野球」
「たまにやってるよ。そのうち、高校の時の奴らと草野球チーム作ろうかなって思ってる」
「へえ。じゃあその試合は? 見に行っていい?」
「来てくれんの!?」
「うん。いいんだろ?」
「はは、やった!」

 突き出された拳に涼もコツンとぶつける。
 窓の外が凍えるような冬だなんて忘れてしまう、あたたかい夜。ひとしきり笑い合った後、康太が投げてきた「で? クマのどんなとこが好きなわけ?」との爆弾を避けきれなかったのはきっと、深まった友情に気を許してしまったからに他ならない。

「は、はあ!? す、好き? そんなのオレ、い、言ってな……」
「はいはい、そういうのはいいから。もうバレバレなんで。てか付き合ってる?」
「付き合ってはない!」
「はい好きなのは確定ね。で? どんなとこ?」
「――……っ、……か、かわいい、とこ?」
「わお。それで?」
「……世話焼かせてくれる、とこ、とか……っだー! もう終わり!」
「えー、けち。でもなるほどね。涼はそっちが良かったんだなあ。……俺じゃダメなわけだわ、残念」
「ん? 最後のほう聞こえなかった、なに?」
「なーんも」

 口を滑らせてしまったことを大いに悔いた涼は、康太の言葉を最後まで聞き取ることはできなかった。けれど康太が次々と新しい話題を振ってくるから、今までのように気に留めることすらも叶わない。
 

 笑顔で帰る康太にまっすぐ注ぐ月光は美しく、名づけるならただただ、いい夜。これから先も、きっと何度もくり返す夜。
 懐かしい図書室や遠くから大地を見た一日の終わり。過ごした相手が康太だったことが、涼は心から嬉しかった。