「何なんだよ、お前ェ!!」
全身から憤怒の気配をまき散らす男が拳を振り上げて飛び掛かった。
相対する青年は男を睥睨《へいげい》し、首を軽く傾げただけで殴打を躱してみせる。
「なにって……クラスメイトだよ」
殴りかかった男の腹に深々と腕が突き刺さり、きり揉みながら宙を舞う。
何人かの取り巻きが巻き込まれ、望まぬクッション役を務めることになった。
腕を後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされていた少女が身を縮こませる。
「悪いけど、お嬢様は返してもらうよ」
青年は、その顔の平凡さと真逆の威圧感を放ちながらゆっくりと歩き始めた。
*
(転職しようかなぁ)
窓の外をぼんやりと眺めながら俺は悩んでいた。
教室の中は雑踏のなか所々で笑いが起こり、いまは休み時間真っ只中。
(今回の周期もそろそろ終わるし、俺ももう39だし。婚活もしないとヤバいよな……実感ないけど)
組んだ掌を額に押し付け項垂れると、視界が机の天板で埋め尽くされる。
見えない履歴書を空想で描いているところに声がかけられた。
「どうしたの?進路の悩み?」
透き通るような、それでいて、どこか華やかさも感じられる声色。
「西園寺さん?あぁいや、大したことじゃないんだ」
顔を上げると、窓際最後列の特等席に来訪したのは一目でわかる美少女。
彼女の名前は西園寺 葵。
古くは財閥に端を発し、国内有数のコングロマリット企業として名を馳せる大企業の跡取り娘。
まごうことなき一級品のお嬢様だ。
それが何故こんな場末の公立高校に通っているのか、ほとほと理解に苦しむというもの。
「何か相談があったら遠慮なく言ってよね?勉強でもなんでも、私、力になれると思うよ」
そういって得意げに胸を張るお嬢様。
(しいて言うならこうやって構わないでほしいかな。目立っちゃうから……)
雑談に夢中だったはずの各コロニーから奇異の目が向けられている。
(気配を薄める忍術を使ってるんだけど、どうしてこの娘には効かないかなー?)
しげしげと眼前の存在を観察する。
整った目鼻立ちに、それらを際立させるうっすらとしたナチュラルメイク。
濡羽色の長髪は陽の光を吸って艶を放っており……まさに大和撫子ここに極まれりといった風貌だ。
「なっなに……?私なんか付いてる……?」
無言で見つめられたことで勘違いしたのか、目の前の少女はもじもじと身なりを気にし始めた。
「埃が付いてたけど、もうとれたよ」と返すと同時にチャイムが鳴り、皆がいそいそと座席に戻っていった。
こんなに構われるようになったのはいつ頃からだったか?
そうだ学園祭だと、きっかけとなった出来事に思いを馳せた。
*
「いいか葵。お前は将来西園寺グループの未来を~」
家にいるといつも同じ言葉を掛けられる。
小さい頃から繰り返し聞きすぎたせいか、もはやその台詞は鳩のさえずりと同じ環境音にまで成り下がっていた。
そんな鬱屈した気持ちを非行ではなく、“進路を自分で選ぶ”ということに向けて発散したのだから、自分では十分孝行娘だろうと思っている。
そんな理由もあって選ばれたのは、何の変哲もない公立高校だった。
幼稚園の頃から一貫性の女子校に通わされていた私には目に映るもの、体験することすべてが新鮮で輝いて見えた。
とはいえ、人間とは慣れてしまうもの。
通い始めて三年が経つ高校生活では、少しばかりの退屈さも感じるようになっていた。
ただ、ここで重要なのは「退屈だ」というだけで、「迷惑なイベントが起きてほしい」という訳ではないということ。
高校の文化祭は規模も大きく、中学と違って一般の人も招き入れる。
それゆえガラの悪い人たちも入り込んできてしまう。
そして私は、そんな人たちに纏わりつかれていた。
「なあなあ、君この学校の生徒でしょ?オススメのところとか案内してよ~」
ねっとりとこびり付くような声で至る所にピアスをつけた金髪がすり寄ってくる。
「ごめんなさい。クラスの仕事をしていて忙しいの」
「それなら手伝ってあげるからさ?パパっと終わらせて遊びに行こうよ?学校の外とかどう?」
むしろそっちが本心であろうに下心が見え見えだ。
とはいえ、走って逃げようにも向こうは6人組みの大人の男性集団。
途中で捕まってしまうだろう。
ジワリと掌に汗が滲んでくる。
周囲に目を向けると、心配そうにこちらを見ている人が幾人かいるが、目が合った瞬間に顔を逸らされてしまう。
「時間がもったいないし、早く行こう?」と声が聞こえた時には、腕を掴まれて引っ張られてしまっていた。
意識していない方向に力を加えられ、関節が小さな悲鳴を上げる。
「いたっ、やめて!離して!」
状況が更に悪くなり頭が真っ白になり、その白いカンバスを塗りつぶすように黒い不安が心に広がっていった。
どんな目が待ち受けているのか。
不安と孤独と恐怖がないまぜになって身体が固まってしまったその時――
「あの、やめて貰えます?」
一人の男の子が立っていた。
同じ高校の制服を着ているがその平凡な顔に見覚えはない。
いや、クラスで見かけたような気もする。
しかし、自分がそんなにもクラスメイトを覚えていないものだろうか?
釈然としない疑問が顔に出たのか、金髪ピアス達と同じようなポカンとした顔で男の子を見つめてしまう。
次の瞬間、私は気が付いたら彼の後ろ背に守られていた。
いったい何が起こったのか理解が追いつかない。
「お前!邪魔すんじゃねぇよ!」
事態をどこまで理解しているのか定かではないが、金髪が怒りを露わにして距離を詰め始めた。
身をすくめた私に背中越しに「大丈夫だよ」とだけ言った彼の姿が風と共にかき消えて――
瞬きのあと目に映ったのは地面に倒れる暴漢たちと中心に飄々と立っている彼の姿だった。
「あっ、あのっ」「じゃあね。可愛いんだから気を付けなよ?」
私の言葉を自分の言葉で遮った彼は、呆然とする私を残してすたすたと去って行ってしまった。
そこからだ。私が彼を意識するようになったのは。
彼の名前は陰柄《かげがら》 真守《まもる》。
成績は中の中、顔や背丈は平の凡で、驚いたことに去年も一昨年も同じクラスだったのだ。
それなのに、まったく彼のことが記憶にないし、クラスの子たちも「あれ?そんなやついたっけ?」といった有様だ。
得体の知れなさに少し怖くもなったが、あの時助けてくれた彼に悪意や下心のようなものは感じられなかった。
これまでの記憶がない分、これからの記憶は逃すまいと、折につけ彼に話しかけるようになっていった。
*
年も明け、受験も本格化してクラスのピリつきもピークを迎える2月。
私は早々と推薦で志望大学に決まっていたので、ゆとりのある放課後を過ごすことが多くなっていた。
ちなみに、陰柄くんとの進展は何もない。
形容しがたい淡い気持ちに突き動かされて、遊びに誘ったり下の名前で呼ぶようにしてみたり、色々と試したが彼との距離が近くなることも遠くなることもなかった。
どこか寂しい気持ちも感じつつも、こうなってくると逆に闘争心が湧いてくるもの。
受験がどいた心の隙間に“陰柄くんと仲良くなろうゲーム”が収まった形だ。
どうやってこのゲームを進めるかうんうんと頭を悩ませながら歩いていると、聞き覚えのある不快な声が耳に届いた。
「あれ、あのときの子じゃん」
視界に納めないようにしていたゲームセンター前にたむろっていた集団に顔を向けると、文化祭の時に絡んできた人……と思しき男がいる。
というのも、ピアスはそのままだが髪は伸びて“金髪ピアス”から“ロン毛ピアス”へとその姿を変貌させていたからだ。
「オイお前らぁ!」
最初に声をかけられてからまだ10秒も経っていないだろう、瞬くような速さで男たちに掴まれ、声を上げる間もなく暗がりに引きずり込まれる。
声を上げようと大きく息を吸い込んだところで、狙っていたかのように上着で口元を縛られ、危機を知らせる警報はムームーという惨めな音に変換されてしまった。
まだ自由に動かせる目でロン毛ピアスを睨みつけたものの、味わったことのない恐怖で身体が凍り付く。
その目はどこか恍惚と遠くを映しているようで、以前とは別物のねっとりとした凶器をはらんでいた。
*
その後、私は暗がりの奥に鎮座していた車に詰め込まれ、人気のない工事現場で乱暴に地面に放り出された。
(いたい……っ!)
手も後ろに縛られ受け身をとることも叶わず、打ち付けられた身体が不満を示す。
衣服の下で肩口を擦りむいたのか、じくじくとした痛みが広がっていく。
男たちに目を向けると、集まって何かをしているようだった。
(あれは……?何かタブレット?みたいなものを飲んでいるの?)
大の大人たちが1人の男に群がって雛のように何かを与えられる様は、この非日常な景色の中でいっそう異様な光景に感じられた。
餌の配給が済んだ獣たちは、全員が虚ろな目をしてゆらりとこちらに足を向けた。
「むー!!む゛ー!!!!(こっちに、来ないで!)」
この獣たちと同様に、人間の言葉が発せない。
それ以前に、これから何をされるかなんて火を見るよりも明らかだった。
虚ろな中突き抜けるような不快な視線が、めくれ上がった太ももや胸に集まっているのを感じる。
これからおぞましい行為に晒され、そもそも生きていられる確証すらない。
気丈に振舞っていた心は決壊し、目からはとめどなく心の破片が溢れだす。
この破片が全部出切ってしまったとき、きっとこれまでの自分は全て壊され空っぽの何かになっているのだろう。
いくら泣き喚いたところで時間は止まらない。
ロン毛ピアスの手が私のシャツに掛けられたそのとき――
「あんたらも懲りないね?そんなムーブじゃ虫でも逃げるよ」
聞き覚えのある声が男たちの興奮した吐息をかき消した。
*
完全に失態だ。
他の厄介ごとに時間をとられて、こちらの事件が後手に回ってしまっていた。
奥に転がされている少女を見やると、さるぐつわを噛まされ手は縛られ、顔は泣き腫らしてグシャグシャだった。
さぞ怖い目にあったであろうことを考えると、胸にジワリと苦みが広がる。
街を見張る式神が事態を伝えてくれなかったら、取り返しのつかないことになっていた。
「おい!あの時のガキじゃねえか!」
不快さを覚える乱暴な声に考えが中断される。
数ヵ月前と少し風貌は変わったが、文化祭の時に西園寺さんに絡んできた男に間違いなかった。
「痛い目味わわせてやれ!」
取り巻きに指示を出す姿に、どうにも違和感を覚える。
あんな少なくとも目には理性を宿していた筈だし、どこか甘いにおいもさせていなかった。
短絡的にけしかけてくるのは前と同じだが、敵意どころか殺意まで達しているような気がする。
(……おっと、考え事してる場合じゃないか)
最初に飛び掛かってきた大男の足を狩って地面に転がす。
「しまった。強くやりすぎて折れたなこれは」
俺の発した言葉の通り、大男の左足は空中でバールのような見事なL字型を形どっていた。
「いでぇぁー!!」
大男の身体が宙を滑るように投げ出される――
「ほっ」
その空中に浮いた大きな足場の延髄に一撃加えつつ、さらに踏み台にして続いた二人の眼前に疾駆する。
驚愕に顔を染める男たちの顎を揺らし、ほぼ一瞬の間に大人三人の意識を送り出し、悠然と前に躍り出た。
「何なんだよ、お前ェ!!」
口の端から唾を撒き散らしながらロン毛ピアスが怒号を上げ、憤りそのままに腕を振りかぶってこちらに駆けてくる。
「なにって……クラスメイトだよ」
振り降ろされた拳を左手でがっちりと鷲掴みし、ガラ空きになった腹部に右ストレートを差し込んだ。
おー、よく飛ぶなぁと思わず感心する放物線を描いて、西園寺さんの脇にいた男たちを巻き込んでストライクを決めた。
(忍術を使うまでもなかったな)
瞳にいまだ恐怖を浮かべる少女と目が合った。
一秒でも早く彼女を安心させてあげたほうがよさそうだ。
「悪いけど、お嬢様は返してもらうよ」
意識を残すものは二人だけとなった現場で、誰に聞かせるでもない台詞が木霊した。
*
「警察はもう呼んであるから。それと、どうしてもご実家に話は伝わっちゃうと思う。ごめんね」
そう言って、私のことを助けてくれた彼はどこか苦い表情を浮かべながら謝ってきた。
「そんなことない!あの、助けてくれてありがとう……」
「どういたしまして。あんな事があった訳だし家まで送るよ」
怖さでいまだ足元が覚束ない私は彼の好意に甘えることにした。
思えば、向こうからこうして能動的に何かを提案してくれたのは初めてではないだろうか?
こんな時でもなければガッツポーズをしていたと思う。
それに、聞きたいことがてんこ盛りだ。
この事情聴取のチャンスを逃してはいけない。
なぜか、この機を逃したら真守君はどこか遠くへ行ってしまいそうな気がしたから。
俗にいう“女の勘”と呼ばれるものかもしれない。
「あのさ。真守君っていったい何者?」
「忍者だよ」
「は?」
「ついでに言うとね、1年で入学して3年で卒業するのをもうずっと繰り返しているんだ」
「え?」
「だから今年で39歳」
「ぶっ!!」
衝撃の告白が断続的に撃ち込まれ、天井を超えて吹いてしまった。
「西園寺さんの家よりもウチはもっと古い家系でね?初代が結んだ契りでこの学校を守り続けることになってるんだ」
「ずっとって……どうやって」
「単純だよ。秘薬で外的な成長を止めて、入学から進級、卒業を繰り返す。そして一定のところで次代に引き渡す。それだけ」
とんでもないことを、さも当たり前のように彼は軽い口調で続ける。
しかし、不思議とこのフィクションのような話を信じてしまっている自分がいた。
これまで幾度となく頭をよぎった疑問にも筋が通る。
何より、その超人的な力を2回も目の当たりにしているのだ。
これ以上の照明はないだろう。
「といってもね~。さすがに年齢考えたらこれからのこと考えちゃってさ?一族の規則も緩くなってきてるし、誰かに任せて転職しようかと思ってるの……嫁さん探しもしないとだし」
最後が妙に小声の早口で聞き取れなかったが、彼に自由が認められそうなことは良いことではないだろうか?
ピンチを颯爽と救ってくれて、今は砕けた態度で接してくれる。
他の人とはどこか違う“特別な”彼のことを私はもっと知りたいと思った。
その特別が友愛なのか恋愛なのか、はたまた実年齢を聞いた今となっては年上への尊敬なのかもわからない。
「じゃっ、じゃあうちの使用人とかどうかな?ものすごく強いんだからボディガードで絶対に一発採用だよ!」
それでも、卒業後も縁が続くような提案を私はしていた。
タイミングを推し量ったように、ちょうど自宅の正門前へと辿り着いたのだった。
*
「じゃっ、じゃあうちの使用人とかどうかな?真守君……真守さんものすごく強いんだからボディガードで絶対に一発採用だよ!」
目の前の少女は、どこか必死さを感じさせつつ嬉しい提案をしてくれた。
天下の西園寺グループの使用人だ。
嬉しくないはずがない。
思わず飛び跳ねてしまいそうな魅力的な提案をしてくれた少女に微笑んだ。
「ありがとう。前向きに検討しておくよ。それより、いろいろあって疲れたでしょ?今日はゆっくりお休み」
そう言って彼女の額を指でこつんと弾く。
瞬間、目の前の少女は糸の切れた人形のように崩れ落ち、俺の腕に抱きとめられた。
これで、次に西園寺さんが目を覚ました時には、俺のことをすっかり忘れているだろう。
でなければ、あんなにベラベラと仕事の話をしたりしない。
静かに寝息を立てる少女を門の横に座らせ、インターホンを押して姿を消す。
離れた場所で家人が出てくる様子を窺いながら今回の顛末を思い返す。
認識阻害が彼女にあまり効かなかったという事実は、今後のことを考えると看過できない事態だった。
しかし、本人の執着の強さゆえという可能性もあるのかもしれないなと、帰り道での彼女の様子を見て納得する。
本人ではないので友情か恋愛かの判別まではつかなかったが、陰柄 真守に対して並ならない感情は抱いてくれているように思えた。
いっそ自分からアピールして嫁さんに~という浅ましい思考が頭をよぎった瞬間、
「ないな~……18歳の子なんて保護者的な目でしか見えんわ。そもそも犯罪だよ! 忍者が未成年者略取で警察に逮捕されるって、笑えないギャグか」
思わず口に出してセルフ突っ込みしてしまっていた。
頭を振って思考を切り替える。
西園寺さんはとっくに家人に抱えられ、屋敷の奥へと姿を消していた。
彼女はこれからどんな将来を歩むだろうか?
散々怖い目にあったのだし、これからは幸多き人生を歩めるよう願わずにはいられない。
「さっ、仕事情報誌でも買って帰るかなー」
人のことばかりでなく、自分の崖っぷちぶりもどうにかせねば。
自分の抱えた未解決の事件に考えを向けつつ、自宅への帰路につくのだった。
全身から憤怒の気配をまき散らす男が拳を振り上げて飛び掛かった。
相対する青年は男を睥睨《へいげい》し、首を軽く傾げただけで殴打を躱してみせる。
「なにって……クラスメイトだよ」
殴りかかった男の腹に深々と腕が突き刺さり、きり揉みながら宙を舞う。
何人かの取り巻きが巻き込まれ、望まぬクッション役を務めることになった。
腕を後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされていた少女が身を縮こませる。
「悪いけど、お嬢様は返してもらうよ」
青年は、その顔の平凡さと真逆の威圧感を放ちながらゆっくりと歩き始めた。
*
(転職しようかなぁ)
窓の外をぼんやりと眺めながら俺は悩んでいた。
教室の中は雑踏のなか所々で笑いが起こり、いまは休み時間真っ只中。
(今回の周期もそろそろ終わるし、俺ももう39だし。婚活もしないとヤバいよな……実感ないけど)
組んだ掌を額に押し付け項垂れると、視界が机の天板で埋め尽くされる。
見えない履歴書を空想で描いているところに声がかけられた。
「どうしたの?進路の悩み?」
透き通るような、それでいて、どこか華やかさも感じられる声色。
「西園寺さん?あぁいや、大したことじゃないんだ」
顔を上げると、窓際最後列の特等席に来訪したのは一目でわかる美少女。
彼女の名前は西園寺 葵。
古くは財閥に端を発し、国内有数のコングロマリット企業として名を馳せる大企業の跡取り娘。
まごうことなき一級品のお嬢様だ。
それが何故こんな場末の公立高校に通っているのか、ほとほと理解に苦しむというもの。
「何か相談があったら遠慮なく言ってよね?勉強でもなんでも、私、力になれると思うよ」
そういって得意げに胸を張るお嬢様。
(しいて言うならこうやって構わないでほしいかな。目立っちゃうから……)
雑談に夢中だったはずの各コロニーから奇異の目が向けられている。
(気配を薄める忍術を使ってるんだけど、どうしてこの娘には効かないかなー?)
しげしげと眼前の存在を観察する。
整った目鼻立ちに、それらを際立させるうっすらとしたナチュラルメイク。
濡羽色の長髪は陽の光を吸って艶を放っており……まさに大和撫子ここに極まれりといった風貌だ。
「なっなに……?私なんか付いてる……?」
無言で見つめられたことで勘違いしたのか、目の前の少女はもじもじと身なりを気にし始めた。
「埃が付いてたけど、もうとれたよ」と返すと同時にチャイムが鳴り、皆がいそいそと座席に戻っていった。
こんなに構われるようになったのはいつ頃からだったか?
そうだ学園祭だと、きっかけとなった出来事に思いを馳せた。
*
「いいか葵。お前は将来西園寺グループの未来を~」
家にいるといつも同じ言葉を掛けられる。
小さい頃から繰り返し聞きすぎたせいか、もはやその台詞は鳩のさえずりと同じ環境音にまで成り下がっていた。
そんな鬱屈した気持ちを非行ではなく、“進路を自分で選ぶ”ということに向けて発散したのだから、自分では十分孝行娘だろうと思っている。
そんな理由もあって選ばれたのは、何の変哲もない公立高校だった。
幼稚園の頃から一貫性の女子校に通わされていた私には目に映るもの、体験することすべてが新鮮で輝いて見えた。
とはいえ、人間とは慣れてしまうもの。
通い始めて三年が経つ高校生活では、少しばかりの退屈さも感じるようになっていた。
ただ、ここで重要なのは「退屈だ」というだけで、「迷惑なイベントが起きてほしい」という訳ではないということ。
高校の文化祭は規模も大きく、中学と違って一般の人も招き入れる。
それゆえガラの悪い人たちも入り込んできてしまう。
そして私は、そんな人たちに纏わりつかれていた。
「なあなあ、君この学校の生徒でしょ?オススメのところとか案内してよ~」
ねっとりとこびり付くような声で至る所にピアスをつけた金髪がすり寄ってくる。
「ごめんなさい。クラスの仕事をしていて忙しいの」
「それなら手伝ってあげるからさ?パパっと終わらせて遊びに行こうよ?学校の外とかどう?」
むしろそっちが本心であろうに下心が見え見えだ。
とはいえ、走って逃げようにも向こうは6人組みの大人の男性集団。
途中で捕まってしまうだろう。
ジワリと掌に汗が滲んでくる。
周囲に目を向けると、心配そうにこちらを見ている人が幾人かいるが、目が合った瞬間に顔を逸らされてしまう。
「時間がもったいないし、早く行こう?」と声が聞こえた時には、腕を掴まれて引っ張られてしまっていた。
意識していない方向に力を加えられ、関節が小さな悲鳴を上げる。
「いたっ、やめて!離して!」
状況が更に悪くなり頭が真っ白になり、その白いカンバスを塗りつぶすように黒い不安が心に広がっていった。
どんな目が待ち受けているのか。
不安と孤独と恐怖がないまぜになって身体が固まってしまったその時――
「あの、やめて貰えます?」
一人の男の子が立っていた。
同じ高校の制服を着ているがその平凡な顔に見覚えはない。
いや、クラスで見かけたような気もする。
しかし、自分がそんなにもクラスメイトを覚えていないものだろうか?
釈然としない疑問が顔に出たのか、金髪ピアス達と同じようなポカンとした顔で男の子を見つめてしまう。
次の瞬間、私は気が付いたら彼の後ろ背に守られていた。
いったい何が起こったのか理解が追いつかない。
「お前!邪魔すんじゃねぇよ!」
事態をどこまで理解しているのか定かではないが、金髪が怒りを露わにして距離を詰め始めた。
身をすくめた私に背中越しに「大丈夫だよ」とだけ言った彼の姿が風と共にかき消えて――
瞬きのあと目に映ったのは地面に倒れる暴漢たちと中心に飄々と立っている彼の姿だった。
「あっ、あのっ」「じゃあね。可愛いんだから気を付けなよ?」
私の言葉を自分の言葉で遮った彼は、呆然とする私を残してすたすたと去って行ってしまった。
そこからだ。私が彼を意識するようになったのは。
彼の名前は陰柄《かげがら》 真守《まもる》。
成績は中の中、顔や背丈は平の凡で、驚いたことに去年も一昨年も同じクラスだったのだ。
それなのに、まったく彼のことが記憶にないし、クラスの子たちも「あれ?そんなやついたっけ?」といった有様だ。
得体の知れなさに少し怖くもなったが、あの時助けてくれた彼に悪意や下心のようなものは感じられなかった。
これまでの記憶がない分、これからの記憶は逃すまいと、折につけ彼に話しかけるようになっていった。
*
年も明け、受験も本格化してクラスのピリつきもピークを迎える2月。
私は早々と推薦で志望大学に決まっていたので、ゆとりのある放課後を過ごすことが多くなっていた。
ちなみに、陰柄くんとの進展は何もない。
形容しがたい淡い気持ちに突き動かされて、遊びに誘ったり下の名前で呼ぶようにしてみたり、色々と試したが彼との距離が近くなることも遠くなることもなかった。
どこか寂しい気持ちも感じつつも、こうなってくると逆に闘争心が湧いてくるもの。
受験がどいた心の隙間に“陰柄くんと仲良くなろうゲーム”が収まった形だ。
どうやってこのゲームを進めるかうんうんと頭を悩ませながら歩いていると、聞き覚えのある不快な声が耳に届いた。
「あれ、あのときの子じゃん」
視界に納めないようにしていたゲームセンター前にたむろっていた集団に顔を向けると、文化祭の時に絡んできた人……と思しき男がいる。
というのも、ピアスはそのままだが髪は伸びて“金髪ピアス”から“ロン毛ピアス”へとその姿を変貌させていたからだ。
「オイお前らぁ!」
最初に声をかけられてからまだ10秒も経っていないだろう、瞬くような速さで男たちに掴まれ、声を上げる間もなく暗がりに引きずり込まれる。
声を上げようと大きく息を吸い込んだところで、狙っていたかのように上着で口元を縛られ、危機を知らせる警報はムームーという惨めな音に変換されてしまった。
まだ自由に動かせる目でロン毛ピアスを睨みつけたものの、味わったことのない恐怖で身体が凍り付く。
その目はどこか恍惚と遠くを映しているようで、以前とは別物のねっとりとした凶器をはらんでいた。
*
その後、私は暗がりの奥に鎮座していた車に詰め込まれ、人気のない工事現場で乱暴に地面に放り出された。
(いたい……っ!)
手も後ろに縛られ受け身をとることも叶わず、打ち付けられた身体が不満を示す。
衣服の下で肩口を擦りむいたのか、じくじくとした痛みが広がっていく。
男たちに目を向けると、集まって何かをしているようだった。
(あれは……?何かタブレット?みたいなものを飲んでいるの?)
大の大人たちが1人の男に群がって雛のように何かを与えられる様は、この非日常な景色の中でいっそう異様な光景に感じられた。
餌の配給が済んだ獣たちは、全員が虚ろな目をしてゆらりとこちらに足を向けた。
「むー!!む゛ー!!!!(こっちに、来ないで!)」
この獣たちと同様に、人間の言葉が発せない。
それ以前に、これから何をされるかなんて火を見るよりも明らかだった。
虚ろな中突き抜けるような不快な視線が、めくれ上がった太ももや胸に集まっているのを感じる。
これからおぞましい行為に晒され、そもそも生きていられる確証すらない。
気丈に振舞っていた心は決壊し、目からはとめどなく心の破片が溢れだす。
この破片が全部出切ってしまったとき、きっとこれまでの自分は全て壊され空っぽの何かになっているのだろう。
いくら泣き喚いたところで時間は止まらない。
ロン毛ピアスの手が私のシャツに掛けられたそのとき――
「あんたらも懲りないね?そんなムーブじゃ虫でも逃げるよ」
聞き覚えのある声が男たちの興奮した吐息をかき消した。
*
完全に失態だ。
他の厄介ごとに時間をとられて、こちらの事件が後手に回ってしまっていた。
奥に転がされている少女を見やると、さるぐつわを噛まされ手は縛られ、顔は泣き腫らしてグシャグシャだった。
さぞ怖い目にあったであろうことを考えると、胸にジワリと苦みが広がる。
街を見張る式神が事態を伝えてくれなかったら、取り返しのつかないことになっていた。
「おい!あの時のガキじゃねえか!」
不快さを覚える乱暴な声に考えが中断される。
数ヵ月前と少し風貌は変わったが、文化祭の時に西園寺さんに絡んできた男に間違いなかった。
「痛い目味わわせてやれ!」
取り巻きに指示を出す姿に、どうにも違和感を覚える。
あんな少なくとも目には理性を宿していた筈だし、どこか甘いにおいもさせていなかった。
短絡的にけしかけてくるのは前と同じだが、敵意どころか殺意まで達しているような気がする。
(……おっと、考え事してる場合じゃないか)
最初に飛び掛かってきた大男の足を狩って地面に転がす。
「しまった。強くやりすぎて折れたなこれは」
俺の発した言葉の通り、大男の左足は空中でバールのような見事なL字型を形どっていた。
「いでぇぁー!!」
大男の身体が宙を滑るように投げ出される――
「ほっ」
その空中に浮いた大きな足場の延髄に一撃加えつつ、さらに踏み台にして続いた二人の眼前に疾駆する。
驚愕に顔を染める男たちの顎を揺らし、ほぼ一瞬の間に大人三人の意識を送り出し、悠然と前に躍り出た。
「何なんだよ、お前ェ!!」
口の端から唾を撒き散らしながらロン毛ピアスが怒号を上げ、憤りそのままに腕を振りかぶってこちらに駆けてくる。
「なにって……クラスメイトだよ」
振り降ろされた拳を左手でがっちりと鷲掴みし、ガラ空きになった腹部に右ストレートを差し込んだ。
おー、よく飛ぶなぁと思わず感心する放物線を描いて、西園寺さんの脇にいた男たちを巻き込んでストライクを決めた。
(忍術を使うまでもなかったな)
瞳にいまだ恐怖を浮かべる少女と目が合った。
一秒でも早く彼女を安心させてあげたほうがよさそうだ。
「悪いけど、お嬢様は返してもらうよ」
意識を残すものは二人だけとなった現場で、誰に聞かせるでもない台詞が木霊した。
*
「警察はもう呼んであるから。それと、どうしてもご実家に話は伝わっちゃうと思う。ごめんね」
そう言って、私のことを助けてくれた彼はどこか苦い表情を浮かべながら謝ってきた。
「そんなことない!あの、助けてくれてありがとう……」
「どういたしまして。あんな事があった訳だし家まで送るよ」
怖さでいまだ足元が覚束ない私は彼の好意に甘えることにした。
思えば、向こうからこうして能動的に何かを提案してくれたのは初めてではないだろうか?
こんな時でもなければガッツポーズをしていたと思う。
それに、聞きたいことがてんこ盛りだ。
この事情聴取のチャンスを逃してはいけない。
なぜか、この機を逃したら真守君はどこか遠くへ行ってしまいそうな気がしたから。
俗にいう“女の勘”と呼ばれるものかもしれない。
「あのさ。真守君っていったい何者?」
「忍者だよ」
「は?」
「ついでに言うとね、1年で入学して3年で卒業するのをもうずっと繰り返しているんだ」
「え?」
「だから今年で39歳」
「ぶっ!!」
衝撃の告白が断続的に撃ち込まれ、天井を超えて吹いてしまった。
「西園寺さんの家よりもウチはもっと古い家系でね?初代が結んだ契りでこの学校を守り続けることになってるんだ」
「ずっとって……どうやって」
「単純だよ。秘薬で外的な成長を止めて、入学から進級、卒業を繰り返す。そして一定のところで次代に引き渡す。それだけ」
とんでもないことを、さも当たり前のように彼は軽い口調で続ける。
しかし、不思議とこのフィクションのような話を信じてしまっている自分がいた。
これまで幾度となく頭をよぎった疑問にも筋が通る。
何より、その超人的な力を2回も目の当たりにしているのだ。
これ以上の照明はないだろう。
「といってもね~。さすがに年齢考えたらこれからのこと考えちゃってさ?一族の規則も緩くなってきてるし、誰かに任せて転職しようかと思ってるの……嫁さん探しもしないとだし」
最後が妙に小声の早口で聞き取れなかったが、彼に自由が認められそうなことは良いことではないだろうか?
ピンチを颯爽と救ってくれて、今は砕けた態度で接してくれる。
他の人とはどこか違う“特別な”彼のことを私はもっと知りたいと思った。
その特別が友愛なのか恋愛なのか、はたまた実年齢を聞いた今となっては年上への尊敬なのかもわからない。
「じゃっ、じゃあうちの使用人とかどうかな?ものすごく強いんだからボディガードで絶対に一発採用だよ!」
それでも、卒業後も縁が続くような提案を私はしていた。
タイミングを推し量ったように、ちょうど自宅の正門前へと辿り着いたのだった。
*
「じゃっ、じゃあうちの使用人とかどうかな?真守君……真守さんものすごく強いんだからボディガードで絶対に一発採用だよ!」
目の前の少女は、どこか必死さを感じさせつつ嬉しい提案をしてくれた。
天下の西園寺グループの使用人だ。
嬉しくないはずがない。
思わず飛び跳ねてしまいそうな魅力的な提案をしてくれた少女に微笑んだ。
「ありがとう。前向きに検討しておくよ。それより、いろいろあって疲れたでしょ?今日はゆっくりお休み」
そう言って彼女の額を指でこつんと弾く。
瞬間、目の前の少女は糸の切れた人形のように崩れ落ち、俺の腕に抱きとめられた。
これで、次に西園寺さんが目を覚ました時には、俺のことをすっかり忘れているだろう。
でなければ、あんなにベラベラと仕事の話をしたりしない。
静かに寝息を立てる少女を門の横に座らせ、インターホンを押して姿を消す。
離れた場所で家人が出てくる様子を窺いながら今回の顛末を思い返す。
認識阻害が彼女にあまり効かなかったという事実は、今後のことを考えると看過できない事態だった。
しかし、本人の執着の強さゆえという可能性もあるのかもしれないなと、帰り道での彼女の様子を見て納得する。
本人ではないので友情か恋愛かの判別まではつかなかったが、陰柄 真守に対して並ならない感情は抱いてくれているように思えた。
いっそ自分からアピールして嫁さんに~という浅ましい思考が頭をよぎった瞬間、
「ないな~……18歳の子なんて保護者的な目でしか見えんわ。そもそも犯罪だよ! 忍者が未成年者略取で警察に逮捕されるって、笑えないギャグか」
思わず口に出してセルフ突っ込みしてしまっていた。
頭を振って思考を切り替える。
西園寺さんはとっくに家人に抱えられ、屋敷の奥へと姿を消していた。
彼女はこれからどんな将来を歩むだろうか?
散々怖い目にあったのだし、これからは幸多き人生を歩めるよう願わずにはいられない。
「さっ、仕事情報誌でも買って帰るかなー」
人のことばかりでなく、自分の崖っぷちぶりもどうにかせねば。
自分の抱えた未解決の事件に考えを向けつつ、自宅への帰路につくのだった。