「富田さんへの主な説得材料はそんな感じです」
経緯を説明したにもかかわらず、千林はどこか納得のいかない表情だ。
「その程度で、ようあの人を黙らせたな。ほんまにそれだけか?やばいこと、してないやろうな」
「やばいこと?」
再び、涼葉が耳元でささやいた内容にぎょっとした。
なるほど、中年男性はそんなファンタジーを思い浮かべるものか。つまり、このまま隠しておけば、そんな噂が広まる可能性があるということだ。
「わかりました。正直に言います。あと一つだけ、技を使いました。って言っても、今、社長が想像しているのとは違いますけど」
「副社長を翻意させるような技?何や。めっちゃ興味あるわ。それ、俺も使えるか?」
「簡単です。ただ土下座しただけですから」
千林があっけにとられたように目を見開き、桜井が息を飲んだ。涼葉が下を向いて大きく息を吐き、最後に三国が立ち上がり、激昂した。
「あなた、喫茶店で土下座したのっ?それ、本当?!何、考えてるのよっ!そんなことしたら、女がなめられるでしょっ!」
土下座に性別は無関係ではないか。そう反論をしようとしたが、怒った彼女と正攻法の議論で勝てる気がしない。であれば――。
「三国さんが以前話してた、成功体験の一環なんだけど」
その単語が桜井を連想させるはずだ。そして、予想通り、相手の口調が弱まった。
「何よ、それ。どういう意味?」
元々、マリンさんの職場で働いていた黒服が、猛り狂う客を凪のように鎮めるために使う秘奥義として、彼女から伝授された手法だった。
三年の文化祭。それまで禁止されていたお化け屋敷を認めさせるために、それを使ったのだ。
あのとき、絶対に許さないと鼻息荒かった理事長の目前で土下座したところ、一転して許可された。効果は絶大だった。
そして、今回もしかり。
「あんた、まだ十代やろ。そんなことしてたらあかんのと違うか」
「そうよ。結果と引き換えに尊厳を失ってると思う」
さすがにそんなことは理解している。得る対価を計算した上での行動だ。
生徒会のとき、うしろにいたのは全校生徒。そして今回もそう。
「あんた、思うてたよりは根性あるんやな」
そう言って千林が席を立った。
どうやら、これまでの綺里の主張がようやく認められたらしい。
であれば、あと一つ、どうしても勝ち取らなくてはならない要求があった。
「社長。最後に一つだけいいですか。エサやりのための人が必要なんです」
「ああ、そんなこと言うてたっけ。まあ、期間限定のバイトくらいやったら、適正な時給の範囲内で問題ないと思うけど」
「――社員として雇用したいんですけど、ダメですか?」
「常識で考えてわかるやろ、それくらい」
ここにきておそらく初めてだ。彼らと常識の尺度が一致したのは。イモムシの給餌役を正規雇用するのは難しい。
背景にあるのは、純粋に心情的な理由だけだ。
「そこを何とかなりませんか」
「家電量販店でエアコンでも買うてるつもりか?説得力のある理由がなければ不可能や」
「大学卒業後の新卒枠を一人分確保、とかでは?長めのインターンってことで」
「誰か具体的な人物像があるみたいな言い方やな。もしかしてあんたか?」
「いえ、あーしじゃなくて。いや、待てよ。確かにそれもあり得なくもないかな――」
「ダメに決まってるでしょ」「嫌ですよ、綺里姉」
なぜか女二人から即座に拒絶された。
「とりあえず、会って話を聞くだけでも――」
「そういうのは人事の仕事や。桜井、お前の責任で、そのへん、進めてんか」
無情にも、最高決定権者はその言葉を最後に部屋をあとにした。
仕方ない。すべてをなし得ることはできなかったが、半歩前に進めたことに、ひとまずは満足することにしよう。
経緯を説明したにもかかわらず、千林はどこか納得のいかない表情だ。
「その程度で、ようあの人を黙らせたな。ほんまにそれだけか?やばいこと、してないやろうな」
「やばいこと?」
再び、涼葉が耳元でささやいた内容にぎょっとした。
なるほど、中年男性はそんなファンタジーを思い浮かべるものか。つまり、このまま隠しておけば、そんな噂が広まる可能性があるということだ。
「わかりました。正直に言います。あと一つだけ、技を使いました。って言っても、今、社長が想像しているのとは違いますけど」
「副社長を翻意させるような技?何や。めっちゃ興味あるわ。それ、俺も使えるか?」
「簡単です。ただ土下座しただけですから」
千林があっけにとられたように目を見開き、桜井が息を飲んだ。涼葉が下を向いて大きく息を吐き、最後に三国が立ち上がり、激昂した。
「あなた、喫茶店で土下座したのっ?それ、本当?!何、考えてるのよっ!そんなことしたら、女がなめられるでしょっ!」
土下座に性別は無関係ではないか。そう反論をしようとしたが、怒った彼女と正攻法の議論で勝てる気がしない。であれば――。
「三国さんが以前話してた、成功体験の一環なんだけど」
その単語が桜井を連想させるはずだ。そして、予想通り、相手の口調が弱まった。
「何よ、それ。どういう意味?」
元々、マリンさんの職場で働いていた黒服が、猛り狂う客を凪のように鎮めるために使う秘奥義として、彼女から伝授された手法だった。
三年の文化祭。それまで禁止されていたお化け屋敷を認めさせるために、それを使ったのだ。
あのとき、絶対に許さないと鼻息荒かった理事長の目前で土下座したところ、一転して許可された。効果は絶大だった。
そして、今回もしかり。
「あんた、まだ十代やろ。そんなことしてたらあかんのと違うか」
「そうよ。結果と引き換えに尊厳を失ってると思う」
さすがにそんなことは理解している。得る対価を計算した上での行動だ。
生徒会のとき、うしろにいたのは全校生徒。そして今回もそう。
「あんた、思うてたよりは根性あるんやな」
そう言って千林が席を立った。
どうやら、これまでの綺里の主張がようやく認められたらしい。
であれば、あと一つ、どうしても勝ち取らなくてはならない要求があった。
「社長。最後に一つだけいいですか。エサやりのための人が必要なんです」
「ああ、そんなこと言うてたっけ。まあ、期間限定のバイトくらいやったら、適正な時給の範囲内で問題ないと思うけど」
「――社員として雇用したいんですけど、ダメですか?」
「常識で考えてわかるやろ、それくらい」
ここにきておそらく初めてだ。彼らと常識の尺度が一致したのは。イモムシの給餌役を正規雇用するのは難しい。
背景にあるのは、純粋に心情的な理由だけだ。
「そこを何とかなりませんか」
「家電量販店でエアコンでも買うてるつもりか?説得力のある理由がなければ不可能や」
「大学卒業後の新卒枠を一人分確保、とかでは?長めのインターンってことで」
「誰か具体的な人物像があるみたいな言い方やな。もしかしてあんたか?」
「いえ、あーしじゃなくて。いや、待てよ。確かにそれもあり得なくもないかな――」
「ダメに決まってるでしょ」「嫌ですよ、綺里姉」
なぜか女二人から即座に拒絶された。
「とりあえず、会って話を聞くだけでも――」
「そういうのは人事の仕事や。桜井、お前の責任で、そのへん、進めてんか」
無情にも、最高決定権者はその言葉を最後に部屋をあとにした。
仕方ない。すべてをなし得ることはできなかったが、半歩前に進めたことに、ひとまずは満足することにしよう。