それからしばらくは、家ではCSの視聴、昼間の空き時間は大学の運動部を見て回った。
四時前に授業が終わる日は、滝井を頼って母校に出向いたりもした。
部活はすべて把握していたが、涼葉の言う通り、直接見ることで新たな発見があるかもと期待してのことだ。
そんな行為自体に意味があるのかは不明だったが、何もしないで過ごす勇気がなかったのだ。
「悪いね。そっちも受験で忙しいだろうに」
「大丈夫です。推薦で桜桃に行くことに決めてますし」
生徒会長が三代続けて女である上、全員が同じ大学に進学とか、新しい伝統でも作るつもりか。
それにしても――。
「一つ聞きたい。どうしていつも腕にまとわりつくんだよ。歩きづらくて仕方ないんだけど」
「ヤンキーは敵に回すと怖いですけど、仲間にいると何かうれしいからです」
「あーしはヤンキーではない、と自覚している」
「こんな派手なスカジャン、どこで買うんです?」
「これはスカジャンではなく、ブルゾンで――」
「あーしって、家族の前でも使ってるんですよね。お母さんは何て言うてはりますか?今度お家に行ってもいいですよね」
涼葉とは違うタイプだが、綺里を先輩として敬わないところは同類とも言える。
二人で体育館に向かっていたとき、普段、車が通ることのない中庭を業務用の白いバンが低速で通り過ぎ、同行者から笑顔が消えた。
「あれ、測量です、たぶん。例の太陽光発電の」
「設置が確定したのか」
「さあ。あたしには、偉い人の考えてはることは、ようわかりません」
高校生の頃、教師を含めた大人たちは、漠然と敵方の認識だった。だが、大学生になった今、はっきりそう突き放せないのはなぜだろう。大人と子供の境界線。これが中間管理職の悩みというやつか。
その日は、練習試合があるという剣道を見学し、勝負がどうやって決まったのかがまるで判別できず、候補からは除外した。
「バドミントンや卓球も初速だけで見れば速いんでしょうけど、結果の判定は素人でもできますもんね」
なるほど、同じ日本の古武道だが、その点がオリンピックにも採用されている柔道との違いなのかもしれない。であれば、興行という観点では、現段階で、多くの競技の選別と淘汰はすでに済んでいるのではないだろうか。
「そんなこともないんと違います?カーリングとか、テレビ放映され出したのは比較的最近やし、卓球かて、有名な選手が出ることで、時間はかかったけど、すそ野が広がったりしたやないですか」
「確かに。ちなみに、滝井のおすすめのスポーツはある?あーしはクライミングに興味があるんだけど」
そう言うと、彼女は足を止め、綺里に顔を向けた。なぜかその目を輝かせ、頬を桜色にして。
「スポーツクライミングですか?それやったら、知り合いの高校でやってるとこ、ありますけど。見たいですっ?」
喋る速度も二割り増しになっている。
「あー……そうだな。話を繋いでもらえたら助かるけど」
「仕方ないですね。怖い先輩の命令とあらば、断れませんもんね」
滝井の、意味不明の盛り上がりの理由が判明したのは、翌週のことだ。
その日、母校ではなく、高槻駅が待ち合わせ場所だった。
改札を出たところにいたのは、遠足に行く前の小学生のように楽しげな後輩の姿。近づくと、例によって、腕を組んできた。
「今日の目的地は?」
「春に合同体育祭をしたとき、顔なじみになった学校です。そこはクライミング部と自転車部があるんですよお」
「ちなみに、相手にはいったいどういう説明をしているんだ?」
「普通に部活見学したいって。たぶん、向こうの生徒会長、清水って言うやつですけど、あたしに惚れてるんやと思います。今日のことも二つ返事でオーケーしましたし」
「ほほう……」
到着したのは、私立の学校だ。校門のところに、男子生徒が一人、面倒くさそうに立っていた。お世辞にも、好きな女子が来ることを期待しているようには見えない。
「清水、久しぶり。今日は悪いな」
「ああ……。一人と違うかったんや」
滝井が声をかけると、相手は綺里を興味深そうに見つめた。
「紹介するわ。あたしらの先輩で、暴走族のリーダーしてはる江坂さん」
「おい」
「暴走族やのに歩きか。こんにちは、清水言います」
「あーしは普通に女子大生だから。今日は悪いね」
「いえ。それで、部活見学って何かあるんですか?」
校内を歩きながら簡単に事情を説明した。
「バイト先の会社が協賛する競技を探す役目、ですか。まあ確かに僕んところは部活の種類だけは多いです。大して強くはないですけど」
「あんたところは大学までエスカレーターやし、ハングリー精神とかないもんな」
そう言いながら、滝井は清水の背中を軽く叩いた。
彼は、最初にスポーツクライミング部の活動場所へと向かった。
真新しく塗装された校舎の、その壁面にあるカラフルな突起。部員たちが腰のペットボトルホルダーのようなポーチに手を入れるたび、白い粉が空中を舞う。
競技の映像も見たことがあるが、登頂するまである程度の時間、選手が大写しになる。背中に企業名を入れれば宣伝効果はそれなりにあるのではないだろうか。
「ちなみに、今度試しに登らせてもらうことはできるかな」
「やりたいんですか、こんなん。きついだけで何もおもしろないと思いますけど」
「あんたなあ、自分ところの部活にこんなん扱いってひどない?」
そう言って、シャツの袖を取った。清水を見る目の光を診断するまでもなく、どうやら惚れているのは滝井のほうらしい。
「ちなみに、卒業生でこの競技を続けている人とか、知ってたりするかな?」
「えー。どうですかね……」
「あんた、そこはちょっと聞いて来てえな。ほら、すぐそこにいるんやし」
そう言って手首を掴み、校舎へと誘導した。
清水はしぶしぶ、部員の一人のそばへと向かい、何ごとかを話して戻ってきた。
「まだできて三年しか経ってないらしくて。たぶんそんな人はおらんと思う、ってことでした。あと、部外者に使わせるのは、安全面もあって無理やって」
「そっか。そうだよね。ありがとう、助かった」
「じゃ、次、自転車部に行きます?」
続けて、部活棟へと移動する。
建物の一番端の部屋の前に、鉄棒のような器具が二つ置かれていて、自転車が二台、サドルの部分を引っかけられていた。
「どうしてあんな洗濯物みたいに扱われてるんだ」
「さあ、僕もようわかりません」
「ちょっと。あたしらの先輩に、もう少しやる気を見せてほしいんやけど」
滝井は怒る素ぶりを見せ、体当たりする仕草で、実際には体をぴたりと密着させた。
後輩の恋愛活動の一助になっていることは別にして、競技選択の観点では、綺里の心はおおむねスポーツクライミングに傾いていた。
どうせ最終的な決断に、明確な判断基準があるわけでもなく、単純な興味が理由であっても、問題もないだろう。
「練習場所は、さすがに校内ってことはないよね。じゃあ、もういいかな」
周囲を見回したあと、今来た道を戻ろうと、体の向きを変えたときだ。
車輪の空回りする音がしたかと思うと、前方から自転車の集団が近づいてきた。
全員が揃いの、やたら体のラインを強調したユニフォームを身につけている。車体はどれもフレームが細く、カラフルで、素人目にも、普通の買い物自転車とは格が違うことが明らかだ。
「あいつらのロードバイク、一台十万以上するみたいですよ」
合わせて五台の、高価で精巧な工業製品が、続々と綺里たちの前を通り過ぎる。
「何か聞くことあります?」
清水は部室の前に停車する一団を見ながらそう言った。
すぐに目についたのは、信じられないくらいに小さなサドルだ。おしりが痛くならないのかと尋ねようとしたとき、うしろから再び走行音が聞こえた。
四時前に授業が終わる日は、滝井を頼って母校に出向いたりもした。
部活はすべて把握していたが、涼葉の言う通り、直接見ることで新たな発見があるかもと期待してのことだ。
そんな行為自体に意味があるのかは不明だったが、何もしないで過ごす勇気がなかったのだ。
「悪いね。そっちも受験で忙しいだろうに」
「大丈夫です。推薦で桜桃に行くことに決めてますし」
生徒会長が三代続けて女である上、全員が同じ大学に進学とか、新しい伝統でも作るつもりか。
それにしても――。
「一つ聞きたい。どうしていつも腕にまとわりつくんだよ。歩きづらくて仕方ないんだけど」
「ヤンキーは敵に回すと怖いですけど、仲間にいると何かうれしいからです」
「あーしはヤンキーではない、と自覚している」
「こんな派手なスカジャン、どこで買うんです?」
「これはスカジャンではなく、ブルゾンで――」
「あーしって、家族の前でも使ってるんですよね。お母さんは何て言うてはりますか?今度お家に行ってもいいですよね」
涼葉とは違うタイプだが、綺里を先輩として敬わないところは同類とも言える。
二人で体育館に向かっていたとき、普段、車が通ることのない中庭を業務用の白いバンが低速で通り過ぎ、同行者から笑顔が消えた。
「あれ、測量です、たぶん。例の太陽光発電の」
「設置が確定したのか」
「さあ。あたしには、偉い人の考えてはることは、ようわかりません」
高校生の頃、教師を含めた大人たちは、漠然と敵方の認識だった。だが、大学生になった今、はっきりそう突き放せないのはなぜだろう。大人と子供の境界線。これが中間管理職の悩みというやつか。
その日は、練習試合があるという剣道を見学し、勝負がどうやって決まったのかがまるで判別できず、候補からは除外した。
「バドミントンや卓球も初速だけで見れば速いんでしょうけど、結果の判定は素人でもできますもんね」
なるほど、同じ日本の古武道だが、その点がオリンピックにも採用されている柔道との違いなのかもしれない。であれば、興行という観点では、現段階で、多くの競技の選別と淘汰はすでに済んでいるのではないだろうか。
「そんなこともないんと違います?カーリングとか、テレビ放映され出したのは比較的最近やし、卓球かて、有名な選手が出ることで、時間はかかったけど、すそ野が広がったりしたやないですか」
「確かに。ちなみに、滝井のおすすめのスポーツはある?あーしはクライミングに興味があるんだけど」
そう言うと、彼女は足を止め、綺里に顔を向けた。なぜかその目を輝かせ、頬を桜色にして。
「スポーツクライミングですか?それやったら、知り合いの高校でやってるとこ、ありますけど。見たいですっ?」
喋る速度も二割り増しになっている。
「あー……そうだな。話を繋いでもらえたら助かるけど」
「仕方ないですね。怖い先輩の命令とあらば、断れませんもんね」
滝井の、意味不明の盛り上がりの理由が判明したのは、翌週のことだ。
その日、母校ではなく、高槻駅が待ち合わせ場所だった。
改札を出たところにいたのは、遠足に行く前の小学生のように楽しげな後輩の姿。近づくと、例によって、腕を組んできた。
「今日の目的地は?」
「春に合同体育祭をしたとき、顔なじみになった学校です。そこはクライミング部と自転車部があるんですよお」
「ちなみに、相手にはいったいどういう説明をしているんだ?」
「普通に部活見学したいって。たぶん、向こうの生徒会長、清水って言うやつですけど、あたしに惚れてるんやと思います。今日のことも二つ返事でオーケーしましたし」
「ほほう……」
到着したのは、私立の学校だ。校門のところに、男子生徒が一人、面倒くさそうに立っていた。お世辞にも、好きな女子が来ることを期待しているようには見えない。
「清水、久しぶり。今日は悪いな」
「ああ……。一人と違うかったんや」
滝井が声をかけると、相手は綺里を興味深そうに見つめた。
「紹介するわ。あたしらの先輩で、暴走族のリーダーしてはる江坂さん」
「おい」
「暴走族やのに歩きか。こんにちは、清水言います」
「あーしは普通に女子大生だから。今日は悪いね」
「いえ。それで、部活見学って何かあるんですか?」
校内を歩きながら簡単に事情を説明した。
「バイト先の会社が協賛する競技を探す役目、ですか。まあ確かに僕んところは部活の種類だけは多いです。大して強くはないですけど」
「あんたところは大学までエスカレーターやし、ハングリー精神とかないもんな」
そう言いながら、滝井は清水の背中を軽く叩いた。
彼は、最初にスポーツクライミング部の活動場所へと向かった。
真新しく塗装された校舎の、その壁面にあるカラフルな突起。部員たちが腰のペットボトルホルダーのようなポーチに手を入れるたび、白い粉が空中を舞う。
競技の映像も見たことがあるが、登頂するまである程度の時間、選手が大写しになる。背中に企業名を入れれば宣伝効果はそれなりにあるのではないだろうか。
「ちなみに、今度試しに登らせてもらうことはできるかな」
「やりたいんですか、こんなん。きついだけで何もおもしろないと思いますけど」
「あんたなあ、自分ところの部活にこんなん扱いってひどない?」
そう言って、シャツの袖を取った。清水を見る目の光を診断するまでもなく、どうやら惚れているのは滝井のほうらしい。
「ちなみに、卒業生でこの競技を続けている人とか、知ってたりするかな?」
「えー。どうですかね……」
「あんた、そこはちょっと聞いて来てえな。ほら、すぐそこにいるんやし」
そう言って手首を掴み、校舎へと誘導した。
清水はしぶしぶ、部員の一人のそばへと向かい、何ごとかを話して戻ってきた。
「まだできて三年しか経ってないらしくて。たぶんそんな人はおらんと思う、ってことでした。あと、部外者に使わせるのは、安全面もあって無理やって」
「そっか。そうだよね。ありがとう、助かった」
「じゃ、次、自転車部に行きます?」
続けて、部活棟へと移動する。
建物の一番端の部屋の前に、鉄棒のような器具が二つ置かれていて、自転車が二台、サドルの部分を引っかけられていた。
「どうしてあんな洗濯物みたいに扱われてるんだ」
「さあ、僕もようわかりません」
「ちょっと。あたしらの先輩に、もう少しやる気を見せてほしいんやけど」
滝井は怒る素ぶりを見せ、体当たりする仕草で、実際には体をぴたりと密着させた。
後輩の恋愛活動の一助になっていることは別にして、競技選択の観点では、綺里の心はおおむねスポーツクライミングに傾いていた。
どうせ最終的な決断に、明確な判断基準があるわけでもなく、単純な興味が理由であっても、問題もないだろう。
「練習場所は、さすがに校内ってことはないよね。じゃあ、もういいかな」
周囲を見回したあと、今来た道を戻ろうと、体の向きを変えたときだ。
車輪の空回りする音がしたかと思うと、前方から自転車の集団が近づいてきた。
全員が揃いの、やたら体のラインを強調したユニフォームを身につけている。車体はどれもフレームが細く、カラフルで、素人目にも、普通の買い物自転車とは格が違うことが明らかだ。
「あいつらのロードバイク、一台十万以上するみたいですよ」
合わせて五台の、高価で精巧な工業製品が、続々と綺里たちの前を通り過ぎる。
「何か聞くことあります?」
清水は部室の前に停車する一団を見ながらそう言った。
すぐに目についたのは、信じられないくらいに小さなサドルだ。おしりが痛くならないのかと尋ねようとしたとき、うしろから再び走行音が聞こえた。