圭太の父は、物心つく前に交通事故で他界した。彼が残したものは名字だけだ。
 そして、小学五年のとき、母の失踪だ。あのときの衝撃は、思い出そうとするだけで吐き気がする。自覚できる程度に人格が変わってしまった。
 そのせいで、直後に同居した祖母の影響を、強く受けることになる。
 特に大きかったのは、金に対する考え方だ。
 使い方次第で、人生を地獄にも極楽にも導ける最強の道具になる、というのが口癖だった。
 新NISA以降、投資教室の参加者が低年齢化しているらしいが、小学生に株の取り引きを教えるなど、実の親なら決してしないようなことを、何の疑問も持たずに実践した。現金のままであれば、千年経っても一銭だって増えることはないのだと。
 もっとも、決して、拝金主義だったわけでない。金は天下の回りもの、と、情けは人の為ならず、という二つの格言を座右の銘として、気に入った人間には、酒や食事をよく奢っていた。
「誰かにしたことは、いつか自分に返ってくるんだよ。ただし、相手はきちんと見極めることだね」
 当時は、人を利用価値で判断しろ、とそんな意味なのだと解釈していた。立川時代、親しい友達が一人もできなかった理由の一つだと思う。
 中学に入って最初の冬、新聞配達で手持ちの現金が増えた頃、投資成績のあまりよろしくない祖母に、運用を委託すべきかを悩んでいたときだ。
 母は、家財のほとんどすべてを置いていなくなったが、その中に、残高が千円だけの通帳と、キャンペーン目当てで同時開設したとおぼしき、証券会社の書類があることを思い出した。
 祖母の売買をそばで見ていて、ずっと不思議に思っていたことがある。わずかな利益で売った株の多くは、その後も上昇を続けていたのだ。そのまま保持していればどうなるのだろうと、そんな素朴な疑問を確認するため、彼女に隠れて、母の口座で取り引きを始めた。
 それから三年弱で、残高は信じられないくらいに増えたが、誰かと一緒に下校したり、教室で先輩の文句を口にする同級生たちと比べて、充実した日々が送れていると思ったことは一度もない。