その日の夕方、落居から連絡があった。金額は九十万ということだ。仕切りを抜いたあと、壁紙をすべて張り替えるところにお金がかかるらしい。
 合わせて、外壁や雨どいの傷んでいる箇所も補修してくれるという。
「圭太さん、お金、本当にいいの?」
「もしかしたら、高校を出たあともここに置いてもらうことになるかもしれませんから」
「何を水くさい。アビーが死ぬまで、ずっと一緒なんだから」
 そう言ってうふふと笑ったが、その鋭い眼光に本気を感じて怖くなった。
 部屋に戻り、ベッドの上で寝ていた彼女の頭に手を添えてみた。体に長く触れられるようになったのは、ここ一週間ほどだ。
 とりあえず頭と喉、それに首の周囲を撫でている間はじっとしてくれるようになった。
 詩乃曰く、人間を、特に男を怖がっているのではないかという。確かに、この家に来てからほとんど声を聞いていない。性格なのか、ストレスなのか、給薬師にもわからないそうだ。
 それでも、最近は、同居人の欲しているものが、ドライなのかウエットなのか、あるいは水の交換なのか。動きを見て、少しはその区別ができる程度に関係は進展していた。
 詩乃が猫を飼わない理由をぼんやり考えていたとき、携帯が振動した。音に気が削がれたのか、アビーはベッドを下りた。
 メッセージは芦川からだった。
「塩崎さん、来月にはまた海外に行くんだって。それで来週、急遽撮影することに決まったの。一応お礼を言っておくわ。紹介ページに名前を載せる件、事務所の了解を取ったから」
 読み終えると同時に十島からメッセージが届いた。
「凛音ちゃん、文化祭に来てくれるってっ!!」
 SNSを見ると、九月にリニアのイベントに呼ばれていて、空き時間にお友だちの文化祭にこっそり行く予定、とあった。
 文化祭委員を引き受けてくれた十島への義理をどうにか果たせそうだ。
 四月に、落居に話しかけられたことをきっかけに、想像もしていなかった面倒くさい人間関係が続いていたが、その絡み合った糸が、ようやく解ける未来が見えた気がした。