次の日、先方の都合で、朝から大崎のファミレスで待ち合わせだった。
 最近、一週間に一度はバイクに給油している気がする。確かに燃費はあまりよくなかったが、それにしても何かがおかしい。買ったときはこんなに活躍させる予定はなかった。
 圭太から十五分ほど遅れて彼女は姿を現した。
「ごめん、遅くなって。私のせいで、学校、休んじゃった?」
「半日くらい問題ないです」
「ならいいけど。それで、お話したいことって何よ。改まられても、お金ならあれ以上、払うつもりはないけど」
「いえ、猫のことじゃありません。塩崎さんは風景写真を主に撮られているんですよね?」
 テーブルに片ひじを置き、気だるそうにメニューに手をかけていた彼女は、その言葉に顔を上げた。
「どうして?私の写真、見たことあるの?」
「一冊だけですけど。作品集を買いました」
「え。それホント?言ってくれたら本屋より安く譲れたのに。どれ買ってくれたの?」
 それまでの不機嫌そうな態度から一変した。大人が、こんなに感情を制御できなくていいのだろうか。
「『タンザニアの色』っていう、モノクロの写真集です」
「あー、あれ。で、どうだった?」
「とりあえず、色がよくわかりませんでした」
 写真の善し悪しなんてわからない。意味不明なタイトルへの軽い嫌みを込めて返事をすると、予想外に彼女は声を立てて笑い出した。
 近くの客たちが二人に視線を向ける。
「なーんだ。君、冗談が言えるのね」
「早速なんですけど、本題に入っていいでしょうか」
「ああ、ごめん。どうぞどうぞ」
 何がおかしいのか、口元が緩んだままだ。
「ポートレートを撮っていただきたいんです。もちろん仕事としてなんですけど」
「ありゃー。完全に予想外だわ。まさか給薬の助手から写真の依頼があるなんて。へー。それはそれは。で、誰の?」
「まだ高校生なんですけど、塩崎さんの写真を見て、絶対この人に撮ってほしいって」
「おやおや。うれしいこと言ってくれるじゃない。高校生って……君の友達ってこと?」
「芦川凛音ってご存じですか?最近テレビに出てる女優なんですけど」
 その名前を口にすると、今まで楽しそうだった彼女から笑顔が消えた。メニューを閉じ、背もたれに体を預けて、脚を組む。
「有名なタレントさんじゃない。何それ。本気の依頼だったんだ」
 どういう返事があるのか、想像していなかったが、店に入ってこれまでの態度から、比較的前向きな反応なのかとぼんやり考えていた分、その冷たい態度は想定外だった。
「ごめん、私、そういうのはちょっと……」
「すみません、そういうのとは、具体的にはどういうのですか?」
「アイドルとかそういうのに興味ないの。そもそも、私じゃなくても別に困らないでしょう?」
 妥当な指摘だ。同じ職業の人間はきっと、星の数ほどいるに違いない。
 芦川はアイドルではなかったが、塩崎の年代の人間からなら、一括りにされても不思議ではない。そして断られた今となっては、その経歴から、そういう人種に抵抗があることも納得できた。
 そもそも、芦川はどうして彼女を選んだのだろうか。
「少し待ってもらっていいですか?」
 話が好転しそうにないときは連絡するよう言われていた。
 メッセージを送ると、即座に返事があった。
「理由なんてない。わたしの女優としての勘なの。一度だけでいいから会えるように尽力して」
 しがらみを辞書で引くと柵と出る。
 周りを柵で取り囲まれ、身動きのできない牧羊の気分だ。
「あの、一度だけ、五分でいいので会ってもらえませんか?」
「君はどうしてそんな役目になってるわけ?」
「色々あるんです」
「色々って?」
「脅されてます」
 正直に言う以外に思いつかなかったが、彼女は再びあははと楽しそうに笑った。
「それは大変だね。そっか、まあ会って君の役に立つならいいかな。うちの猫がまたお世話になることだってあるんだし」
 そう言って、大きく伸びをし、体を起こした。
 結局、なぜか詩乃の家で二人を引き合わせることが決まってしまった。