圭太(けいた)が、母の妹の存在を知らされたのは、祖母が死ぬ間際のことだった。
 中学最後の春休み。病院のベッドで突然目を見開き、頼るべき身寄りが他にないからと、おそらくは自身への言い訳をしたあと、吐き捨てるようにその名前を口にしたのだ。
 仮にも実の娘に対して、そんな態度を取った理由は不明だが、あの年代の人にしては、かなり個性的だったのは確かで、血縁かどうかは無関係に、人付き合いに偏りがあったことは不思議ではない。
 ひと言で表せば、無駄なことが極端に嫌いな合理主義者だった。夜は居酒屋になる店で、ランチを提供する定食屋を長らく営んでいたが、仕事の時間以外も有効活用したいと、六十代でパソコンと投資の勉強を始め、五年前に圭太が同居を始めた頃には、いっぱしの株式トレーダーだった。
 収支自体はさほどでもなかったが、顔出しして続けていた投資ブログは、物珍しさもあってか、それなりに評判だったらしく、広告収入は、飲み代になる程度にはあったようだ。
 所有者がいなくなった、立川駅から徒歩五分ほどにある古いマンションの一室。店の常連客でもあったらしい梁川(やながわ)という初老の弁護士が、そんな思い出話で、圭太を気遣ってくれた。
 髪とワイシャツがカチカチの彼は、円筒になっていた袖口から痩せた手を伸ばすと、一枚の紙を圭太に向けた。
「こちらが叔母様の住所になります」
「向こうは、了承済みなんですか?」
 いくら甥とはいえ、初対面の高校生を引き取るなどと、簡単に決められるとは思えない。
 しかし相手はその質問がわかっていたかのように、小さく微笑むと首を振った。
「そこはお祖母様にぬかりはありません。先方の事情をご存じだったようで。このお話を持ちかけた当初は、躊躇されていたのですが、家賃を支払うと申し出たところ、即断されました」
「いや、それ即断じゃないですよね」
 圭太が苦笑すると、「そうですね」と、梁川もつられた。
 金額は三万円らしい。
 圭太にとっても、ただで居候するより余計な気遣いをせずにすむわけで、なるほど、ウインウインな解決策ではある。
「遺産ですが、現金で二百万円ほどございます。それでは、何か質問はございますか?」
「叔母さん……叔母も実子だから、財産を受け取る権利があるんじゃないんですか?」
「先方には、土地と家が生前贈与されていますから問題ありません」
 三年間の家賃で半分。残りは高校の学費ですべて消える。もしかして三万円という金額はそこからの逆算だったのかもしれない。
「この部屋はどうすればいいですか?」
 家財はすべて備え付けのマンションだ。祖母の持ち物は衣類と小型家電以外にほとんどない。
「遺品と鍵は私のほうで処理いたします。住民票の異動や、学校関係の手続きもすでに完了していますから、圭太さんはご自分の荷物だけを気にしていただければ問題ありません」
 最後にそう言って、インクの匂いがしそうな真新しい通帳を差し出し、弁護士は出て行った。
 もう一度、部屋の中を見回した。
 祖母の形見になりそうな物は一切ない。死んだ者のことなどさっさと忘れ、自分のために生きろと、そんなことを最後の数ヶ月はよく口にしていた。
 トートバッグの内側にあったファスナーを開け、手垢のついた通帳のそばにもう一冊を滑り込ませる。
 携帯で行き先を確認して、圭太はマンションをあとにした。