瞬く間に世間の関心は、秋吉に向けられた。
ノベラブルには挿絵機能というものがあり、三話には画像が添付されていた。
芳賀穂乃花らしき少女のプリクラで、芳賀と男子生徒が二人で写っているものだ。落書きに書かれた名前と目元は隠されていたが、その男子生徒が秋吉なのは誰の目にも明らかだった。
今注目の俳優が、話題の少女の自殺の原因の一人だということは当然世間を騒がせることになる。
写真まで投稿されたこともあり、ノベラブルは慌てて芳賀穂乃花の小説を削除したが、一度広まったものはもちろんネットの海で公開され続けることになる。
そしてあのラジオの日、秋吉にカメラを向けていたマスコミは、ゴシップで有名な週刊文秋だった。彼らは世間の声にこたえるように撮ったばかりの写真をネットにアップした。
秋吉がヨリ先生の腕や肩を掴み、何かを言い争っているように見える写真だ。
【秋吉征直、過去にクラスメイトを死に追いやっていた⁉ 葉空ヨリとの関係は……⁉ 秋吉と葉空の密会と言い争いをスクープ!】
そんな見出しの飛ばし記事だ。記事にはコーヒーラジオ放送後にビルの前で言い争っていたことしか書かれていない。詳細は週末に発売する雑誌にて、ということだったが、きっと彼らもヨリ先生と秋吉の関係性をまだつかんではいないのだろう。取り急ぎ世間の関心の種を投下したと見える。これから大慌てで裏を取りにいくに違いない。
芳賀穂乃花の小説が投稿されて二日が経過したが、秋吉と事務所は沈黙を貫いている。文秋の記事を待ってから釈明するのかもしれない。
秋吉の一件で『葉空ヨリが誰なのか』追求する動きはより激化していた。
公式から正式に否定があったことでヨリ先生のファンは『ヨリ先生を信じる』という者が多い。
しかし外野は、秋吉の件でますます盛り上がっている。
ヨリ先生に対しての批判よりも、三年二組の誰が葉空ヨリなのか、犯人探しを楽しんでいるともいえる。
【葉空ヨリって、芳賀の小説のSのことかな?】
【Mが征直でイニシャルそのまま使ってるだろ。Sがつく女じゃないか?】
【俺は二話の投稿もヒントだと思う。”近しい雰囲気の友達”が同じグループになってるって言ってた】
【芳賀は可愛いし間違いなく陽キャ。彼氏も秋吉だし】
【三年二組の陽キャ女が芳賀をいじめてたっていう三人だと思う】
自称探偵たちは見当違いな推理を広げている。
けれど見当違いだと思うのは、私がヨリ先生の本名を知っているからだ。私も芳賀穂乃花の友人グループを考えれば、小田切明日葉は候補から外れただろう。
ヨリ先生の高校時代は平成ギャルと呼ばれる世代あたりだろうか。細眉に主張の強い睫毛とアイライン。芳賀穂乃花も当時の流行りの顔立ちと髪型をしていて、ネットの意見通り”陽キャ”に見える。
【榎川小百合が怪しいと思う】
自称探偵たちは”榎川小百合”という女生徒に目をつけていた。派手な雰囲気の子は三年二組に四、五名いるがイニシャルがSなのは彼女だけだった。
そして彼らは榎川とヨリ先生の共通点を見つけた。
榎川は美人だ。どちらかというときつい顔立ちだが、それが細眉や濃い化粧にも合っていて、三年二組では一番の美人に思えた。
カメラに向かって笑顔を向けている榎川はえくぼが愛らしく、右目の下に泣きぼくろがある。
検証用に榎川とヨリ先生の写真が並べられ、比較できるようになっている。
ヨリ先生にも親しみやすいえくぼと、涼やかな目元に泣きぼくろがある。
【えくぼ、ほくろ、これは確実だろ】
【鼻の形が違くない?】
【そこは整形で変えたんだろ】
【葉空はたれ目で、榎川はつり目に見えるけど】
【整形もあるし、当時はこういうきつめのメイクが流行ってたからかも。眉と目元の印象変えれば全然違うよ】
【榎川、美人なのに整形するなんてもったいないなあ】
【これくらい元が美人じゃないと、葉空にはなれないんじゃない】
ネットは好き勝手な意見ばかり流れているが、正直私も同意見だった。
小田切明日葉よりも、榎川小百合がヨリ先生の過去だと言われた方がしっくりくる。
ヨリ先生が榎川なら、秋吉に近づいたのもわかる。芳賀の件が露呈して相談したかったのではないだろうか。
ヨリ先生の登録されている名前は『小田切明日葉』だ。けれど、本当にそうなのだろうか。
「まきちゃん」
声をかけられてハッとする。榎川の憶測が飛び交うSNSに集中しすぎてしまっていた。慌てて顔を上げれば塚原さんが私の後ろにいた。
すぐにノートパソコンを閉じて、塚原さんの方に身体を向ける。
「どうしましたか?」
「こないだ話してたヨリ先生の担当者の件なんだけど。山吹出版の担当者が話したいことがあるらしくて、都合がつく日にどう?」
「はい、大丈夫ですよ」
「ところで、榎川小百合って知ってる?」
知っているもなにも、今一番考えていた名前だ。私が頷くと「そうだよな、だいぶ話題になってるよな」と塚原さんは渋い顔になる。
「山吹出版の担当者は、ヨリ先生の担当でもあるし、榎川の担当者でもあるんだよ」
「え? どういう意味ですか?」
「まだその話題は見てない? ”さゆぐらし”で調べてみて」
塚原さんの言葉にパソコンを開き『さゆぐらし』と検索してみる。
ミンスタグラムがヒットして、ベージュや白を基調とした部屋やアイテムがずらりと並んでいるアカウントが出てきた。
フォロワー数は十万を超えている。どうやらその界隈では有名なインフルエンサーのようだ。
自分で出来る北欧風DIYや、カフェのような食事、シンプルでオシャレなアイテムを紹介している、丁寧な暮らし系アカウントだ。
「このアカウントのさゆぐらしが、榎川小百合ということですか?」
「そう」
もう一度アカウントに目をやって、過去の記事も確認してみるとベージュのカーディガンを着た女性がいた。さゆぐらしは顔出しもしているらしい。榎川は学生時代よりぐっと優しい表情にはなっていたが、当時の面影は感じられる。卒業アルバムと同じく、えくぼとほくろもある。
「ネットでも気づかれてますか?」
「まだそこまで話題になっていないけど、ちらほら意見が出てきてる」
「山吹出版で何か出すんですか、この人」
塚原さんは手に一冊の雑誌を持っていた。”simple life”という雑誌で、さゆぐらしと雰囲気の似ている雑誌だ。
様々な人の暮らしを紹介しているようで、そのなかに榎川も掲載されていた。自身の部屋のソファに腰かけて、ベージュのヘアターバンを頭につけ、白いワンピース姿で笑顔を向けている。ナチュラルな雰囲気の美人だ。
塚原さんがさらにページをめくると、『葉空ヨリのコーヒーでも読みながら』というコラムがあった。ヨリ先生が一冊の小説を手に微笑んでいる。どうやらヨリ先生のオススメの小説を紹介するコラムらしい。
「隔月刊行の雑誌なんだけど、毎号ヨリ先生はこのコラムを担当している。もう一年になるそうだ」
「その担当編集なんですね」
「そういうこと。それで、このさゆぐらしの書籍化が決まっていた」
そう言われてパソコンに目を戻してみると、さゆぐらしの固定された投稿に『書籍化決定!』と手書きの文字が見えた。
「……同じ編集さんなんですか?」
「うん。さゆぐらしの刊行をどうするか、悩んでいるらしい。一度俺に話を聞きたいって」
「うちも何もわからないですよね」
「ただ相談したいのかもしれない。編集長とか上層部を交えず意見を聞きたいらしいから」
「わかりました」
「ありがと。じゃあまた調整して連絡するよ」
塚原さんを見送りながら、ふと頭の中に考えが浮かんだ。
……そうだ、なぜこの考えに至らなかったんだろう。
この炎上を止める方法は一つある。いや、一つしかない。それは”芳賀穂乃花”に投稿を止めてもらうことだ。
秋吉と榎川が炎上していて、今はヨリ先生への批判が逸れている。
しかし芳賀穂乃花の一番の目的はヨリ先生ではないだろうか。芳賀は最初からヨリ先生を指名していた。
だとすれば二人の炎上など、芳賀穂乃花にとっては前菜のようなものだろう。
私はヨリ先生を信じている。過去のいじめなど関与しているわけがない。あんなに繊細で優しい文章を書く人が誰かを死に追いやるわけがない。
しかし芳賀穂乃花を名乗る人物は何かの理由でヨリ先生を陥れようとしている。秋吉の証拠まで出してきたのだ。ヨリ先生にとって不利なものが投稿されて、大打撃を受ける前に。
――芳賀穂乃花を名乗る人間を探し出す。そう決めた。
ヨリ先生にあまり過去は問いただしたくはないが、過去を聞くならぴったりな二人が現れた。
先日の切羽詰まった様子の秋吉を思い出しながら、さゆぐらしの『念願の書籍化決定!』の文字を見やる。
二人の夢はようやく叶うのに、芳賀の出現でそれが危ぶまれている。追い込まれている二人なら、芳賀穂乃花に繋がるヒントがわかるのではないだろうか。
二人とて、芳賀穂乃花にこれ以上の投稿はやめて欲しいだろう。
パソコンの画面にうつるSNSに目を向ければ【ねえ榎川小百合ってインフルエンサーのさゆぐらしじゃない?】という投稿が流れてきた。既にリポスト数も多い。さゆぐらしが炎上するのは確定路線に入っていた。
木曜日。私は真っすぐ帰宅せずに自宅の近くのカフェに立ち寄った。老夫婦が経営している純喫茶だ。深みのあるブラウンを基調にした店内は人はまばらで、私は一番奥の席に座る男性の元に向かう。
「こんばんは」
ふてくされた表情で私を見上げるのは秋吉征直だ。
「須田出版の槇原羽菜と申します」
名刺を差し出すと「知ってますよ」と投げやりに答えて、秋吉は片手で受け取った。
昨日私は秋吉に須田文庫のSNSからDMを送った。ラジオ局の前で会ったヨリ先生の担当編集であると名乗り、会えないかという内容に秋吉はすぐに食いついた。
私は秋吉の向かいの席に座り、メニューを開いた。秋吉は既にホットコーヒーを注文していて私の様子を伺いながら一口飲んだ。
「このカフェ穴場なんです。あまり人もいないし、来るのも近くに住むおじいさんおばあさんばかりで。遅くまでやってるし、お話するのにちょうどいいでしょう」
「そういうのはいいから」
「注文だけさせてください」
私は手を挙げるとアイスカフェラテを注文する。
「それで、あなたは葉空ヨリの正体を知っているんですか」
注文を終えた途端、秋吉は急いたように訊ねてきた。
「実は私も葉空先生の本名を知らないのです。ずっとペンネームでやり取りしていましたから」
「そんなことが出来るんですか?」
「小説家と出版社は少し特殊なんですよ。とにかく私は葉空先生の本名は知りません」
すらすらと出てきた嘘を秋吉は疑わず、わかりやすく肩を落とした。
「それなら僕が君に会った意味はなかった」
「私は秋吉さんに相談をしたくて、今日お誘いしました」
秋吉が私を訝し気に見たところで、カフェラテが届いた。シロップをいれてストローでからからとかき混ぜる。
「私は葉空先生を守りたいんです。これ以上イメージが悪くなるのは担当編集として困りますから。それは秋吉さんも同じですよね」
秋吉は返事の変わりに深いため息をついた。
「これ以上芳賀を名乗る人物になにかを投下されたら困るんです。私は芳賀を突き止めて、これ以上の投稿をやめさせたいんです。それは秋吉さんにとってもメリットがありますよね。芳賀を説得すれば、今までのはいたずらだった、と投稿してもらうこともできます」
「……できるんですか?」
「須田出版にとっても、葉空先生の炎上は大きな打撃になりますから。そのための費用も出ると思います」
「金で黙りますか?」
「どうでしょうか。しかし芳賀を突き止めないことには、それもできません。芳賀を突き止める協力をしてもらえませんか?」
秋吉は私をじっと見つめる。
「葉空に頼まれたんですか?」
「いいえ。葉空先生はお忙しいですから、私が代わりに」
「ふうん。で、協力って何をすれば?」
「十五年前の芳賀穂乃花さんに関わることを、私は何も知りませんから。過去を教えて欲しいんです。芳賀さんに関係する人物が、今〝芳賀穂乃花”を名乗っているのは間違いないのでは?」
「そうだな」
「まず一つ。小説に書かれていたことは事実なんですか?」
秋吉は五秒ほど黙ってから控えめに頷いた。
「話題になってて知ってると思うけど、Sは榎川小百合ですよ」
「榎川さんが芳賀さんをいじめていたのも事実ですか?」
「……はい。僕は原因かもしれないけど、いじめには直接的には関わっていません」
秋吉は眉間に皺を寄せる。榎川が秋吉のことが好きならば、彼に隠れていじめをしていた可能性はある。
「僕は正直女子同士のいざこざは詳しくはしらないんです。……僕は穂乃花のことはいじめてない。関与していないんだ」
いじめの原因を作った人間が、二股をかけた人間が、何を言うのだ。私は喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「芳賀さんのご友人関係はわかりますか?」
「小百合たちと仲がよかったことしかしらない。部活とか、中学の友達は名前まで覚えてないな」
「彼女なのにあんまり興味ないんですね」
「男なんてそんなもんですよ。というより、十五年も前ですよ? 十五年前の恋人の友人まで覚えていられますか?」
秋吉は指をとんとんと机に打ち付けながら、苛立ちを隠そうともしない。
「だから今穂乃花を名乗って、俺たちの過去を語っている人間はまったく心当たりもない。小百合たちに聞いた方が早いんじゃないですか?」
「わかりました。ちなみに榎川さんと今、関係はありますか?」
「まったくありませんよ。そもそも小百合とはすぐに別れたし、卒業してから一度も会っていない。今東京に住んでることすら知らなかった」
秋吉は役に立たない。いままで過去のことなど忘れて生きてきたのだろう。なぜ自分の彼女が死んだのか、深く考えることもせずに。
「私に聞かずとも、秋吉さんは葉空先生とお知り合いのようでしたよね。葉空先生が三年二組の誰なのかわからないのですか?」
「わからないから気味が悪いんですよ」
「秋吉さんは葉空先生が誰か、心当たりはないんですか」
「ないですよ。僕は高校卒業後すぐに上京して、地元に帰ってないしみんなの顔はうろ覚えだし」
「そもそもなぜ葉空先生とお知り合いになったんですか? 元クラスメイトだから懐かしくて、というわけではないのですよね」
秋吉は苦々しい顔になり三十秒ほど黙ってから、重い口を開いた。
「たまたまラジオ局で彼女と会ったんですよ、半年前くらいに。もちろん市古高校の関係者だとも知らずに。それで二人で食事に行った」
「なぜ食事に行くことになったんですか?」
「……いや、普通に……声をかけただけです。食事に誘う理由なんて、大きなものはないですよ」
「つまり恋愛的な意味で気になっていたんですか?」
「別にそれだけが理由なわけじゃないけど……」
秋吉は言葉を濁す。彼はこれから波に乗り始める俳優だ。恋愛スキャンダルに繋がる言葉は慎重なのだろう。
「言っておくが、三度食事をしただけでそれ以上の関係はないですよ」
無意識に秋吉を睨んでしまっていたのかもしれない。彼は言い訳をするように付け足した。
「とにかく、彼女は僕に市古高校出身だと明かすことはなかったんです」
「秋吉さんが元クラスメイトだと気づいていなかったとか?」
「そんなことあります?」
「秋吉さんも葉空先生のこと、気づかなかったじゃないですか」
「……彼女がクラスメイトでないのなら、その方が僕にとってはいいですよ、気味が悪いので。無関係の人なのだとしたら炎上はお気の毒だが」
「それなら三年二組に葉空先生はいなかったと、あなたからマスコミに言ってもらえませんか? 葉空先生への批判を少なくできます」
秋吉は露骨に顔をしかめると、私をきつく睨んだ。
「僕にそんな余裕があるわけないでしょう! 自分の弁解をするだけで必死なんですよ。週刊文秋は何か記事にするだろうし、ああくそ……っ!」
声を荒げた秋吉は続ける。彼に余裕がないのは明らかだ。今取り繕う余裕もないのだから。
「俺だって穂乃花が死んでショックだったんだ! 彼女だったんだから当たり前だろ。それなのに十五年もたって……なんなんだよ」
次々と言葉を吐き出していく秋吉の目は血走っている。彼は相当ストレスが貯まっていたのだろうか。
「俺は高校を卒業してからずっとこの道を目指していた……! 小さな舞台から始めて、ようやく……チャンスが回ってきたんだ……! 深夜ドラマでも主演をつとめたら大きい。舞台で演技力にも自信がある。この世界でチャンスが巡ってくるのがどれだけの確率かわかるか? それがこんな……十五年前のことで……! なんとか芳賀を見つけ出して、今回の件を訂正してもらってほしい。俺は過去の交友はわからないけど、連絡先を知ってる人間もいる。協力できることはするから!」
「わかりました。なにかあれば相談させてもらいます」
「俺の主演ドラマが決まったってときに……なんなんだ……悪いのは小百合たちだろう」
秋吉は俯きながら吐き出した。息を何度か吐き、落ち着きを取り戻したらしい。顔をあげて私に改めて問うた。
「本当に葉空ヨリの正体を知らないんですか? たとえば、下の名前だけでもわかれば」
「知りません」
「それじゃあ、葉空ヨリが僕に近づいた理由はなんだと思いますか?」
「近づいたも何も、あなたから誘ったんですよね」
「そうなんだけど……彼女に罪をなすりつけられている気がするんだよ……葉空ヨリは、小百合と一緒に穂乃花をいじめていた千尋か、亜美じゃないかって思ってる」
千尋も亜美も初めて聞いた名前だが、芳賀穂乃花の四人組の残りの二人だろうか。念の為に訪ねてみれば秋吉は頷いた。
「葉空先生がどちらかだとして、なすりつけるとはどういうことですか?」
「僕は穂乃花の元彼です。ブレイクしはじめて世間から注目を浴びている旬の俳優ですよ。葉空ヨリはこの告発の矛先を俺に向けるために、俺に近づいたんじゃないですか……!?」
「食事に誘ったのは半年前ですよね? その頃はまだ告発はありませんでした」
「その頃はただ単に僕と仲良くしたかっただけだと思いますよ。親しくなったタイミングで、元クラスメイトだと驚かせようとしたのかもしれない。その矢先に今回の告発があった。葉空は僕と恋人になるよりも、僕に悪い注目を集めるようにしたんだ」
笑いだしてしまいそうなくらいくだらない憶測だ。少し表情に出てしまったのかもしれない。秋吉は少しムッとした口調で続ける。
「あの日。僕がラジオ局にいたのは、葉空ヨリと食事の約束をしていたからですよ」
「……あの日というのは、週刊文秋に撮られた日ですか?」
「そう、文秋に撮られる前週の木曜日の夜に食事の約束をした。その翌々日の土日に僕は今回の騒動を知ったんです。僕の卒アルが広まってきたことを知り、そこで一連の騒動を知って驚きましたよ! 葉空が元クラスメイトなんて! それで慌てて葉空に連絡を取ったんですが、電話もつながらない。メッセージもブロックされている」
「だからラジオ局に来たのですか?」
「そりゃそうだよ! 約束していたし、連絡が繋がらないんだから! それで素直に局まで行ったら俺は週刊誌に写真を撮られる羽目になった! 週刊誌にスクープされたことで、SNSに疎い層にまで広がってしまったんだ……! そのうえ過去のプリクラまで! どう考えても葉空ヨリの策略だろう!」
「秋吉さん落ち着いてください。周りの目もありますから……」
再び声を荒げた秋吉に小さな声で注意をする。カッとなりやすい秋吉ならば、ヨリ先生の前でみせた切羽詰まった様子も頷ける。
それにしても、あの日ヨリ先生が秋吉と約束をしていた? ヨリ先生はそんなそぶりを全く見せなかった。
「今回の騒動を俺に押し付けたいと思っているのは間違いない。今回の食事を誘ってきたのは葉空なんだ。木曜の時点で葉空は騒動を知っていたんじゃないか」
先週の木曜日というと……ヨリ先生とランチをして、ノベラブルで芳賀穂乃花の投稿が始まった日だ。
だとすると、ヨリ先生は芳賀穂乃花の投稿事件を知っている。私たちと中華を食べてから秋吉との約束を取り付けていた……?
「木曜日は騒動が始まった日ですから、葉空先生もまだ気づいていなかったのでは?」
「そうかもしれないけど……君、なんとか葉空ヨリが誰か調べられないか?」
「調べてどうするつもりなんですか」
「……なんだっていいだろ」
なぜこの男はこんなに短絡的なのだろうか。矛先を変えたいのは秋吉だろう。ヨリ先生の本名を知ったら、自分の注目をそらすために何をしでかすかわからない。
「私は葉空先生の不利になることはしませんよ。ですが、芳賀穂乃花を名乗る人物を特定したいのは同じです。何か気づいたことがあれば連絡ください」
もうこれ以上この男と話すことはないだろう。私は伝票を持って立ち上がると、項垂れた秋吉の元を去った。
カフェを出て自宅に向かいながら、秋吉との会話を思い返してみる。彼の話では芳賀穂乃花にまつわる人物はまったくわからなかった。千尋と亜美という新しい名前は出てきたが、四人組の残りの二人でどちらかというと加害者側だろう。復讐をしようと思っている人物には思えない。
それよりも気になるのは、秋吉が語っていたヨリ先生のことだ。自分に集まる批判の矛先を秋吉に変えようとしていた……?
たしかに秋吉の一件以来、ヨリ先生への批判は減ってはいる。
ヨリ先生が秋吉と三回食事をしたことも、あのラジオの日に約束をしていたことも事実だろう。秋吉は嘘がつけるタイプではない。
けれど、ヨリ先生がそのようなことをするだろうか。
自身が危ない立場にあったからといって、別の人間を世間に差し出す真似をするわけがない。そもそも秋吉や榎川については自業自得で、炎上したことも自身が招いたことではないか。
しかし、ヨリ先生が秋吉と何度か時間を共にしていたことは釈然としない。
軽薄で中身のない顔だけの男とヨリ先生が関わりがあるというだけで虫唾が走る。
まさかヨリ先生は秋吉のような男が好きなのだろうか。
一瞬浮かんだ考えをすぐに振り払う。あんな男をヨリ先生が魅力的に感じるわけがない。秋吉と関わったのは何か理由がある。
打算的な部分があるわけがないと信じているが、なんの考えもなく秋吉と食事にいくヨリ先生のほうが嫌だった。
どちらにしても一点も曇りのないヨリ先生に少し染みが出来てしまった気がして、わけもなく早歩きになる。足を動かしてまとわりつく気持ち悪さを振り払いたかった。
自宅に入るとシャワーも浴びずにベッドに寝っ転がり、SNSを開く。〝葉空ヨリ”と検索窓に打ち込んで、やめる。以前はこうして一日の終わりに〝葉空ヨリ”をサーチして、小説の感想やヨリ先生を褒める声を聞くのが一日の終わりの癒しだった。
今は、無関係な人間たちの疑惑や批判の声が目に入ってきてしまう。秋吉というスケープゴートができたとはいえ、ヨリ先生への批判もいまだに多い。
誰からも好かれるはずのヨリ先生に対して、ノイズが入ってしまったようで怒りがこみ上げてくる。
検索するのはやめて、自分のアカウントのタイムラインだけ見ることにした。七年前に作った個人のアカウントだ。ヨリ先生の作品を呟いていたアカウントで、自分がフォローしている人間もヨリ先生の熱心なファンしかいない。
【毎日アンチの声見て嫌になる。先生がいじめなんてしてるわけないじゃん】
【ヨリ先生の文章を読めばわかるのに。先生の人柄も、尊さも】
【ヨリさんの小説を読んだこともない人間がヨリさんを語るな。読めばわかる。黙って読め】
【ヨリ様は命を救ってくれる人。命を奪う人じゃない】
ヨリ先生を信じる言葉を見れば、早くなっていた鼓動が落ち着いてくる。
そう。――私は、私が見てきたヨリ先生を信じればいい。
ヨリ先生は清らかで美しい人だ。過去に後ろ暗い点などないし、秋吉に対して打算的なところはない。
断り切れず食事をしただけで、約束を取り付けたのも過去について相談をしたかったのかもしれない。けれどあの日声をかけてきた秋吉は冷静に話が出来る雰囲気ではなかった。ヨリ先生の腕を掴んだ秋吉の目は尋常ではなかった。きっとヨリ先生は彼に相談する気などなくしたのだろう。
ゆっくり息を吐いて、もう一度タイムラインに目を向ける。
【信じたいけど、さらに証拠が出てきたらどうしよう。私はヨリさんのこと信じてもいいのかな】
腹立たしい投稿がタイムラインに紛れていた。私は呟いた人をブロックすると、スマホをベッドに投げて目を瞑った。もう眠ってしまいたかった。
翌朝、私は出勤前にカフェに向かった。塚原さんと山吹出版の担当編集と話すために会社の近くのチェーン店に入る。
山吹出版の担当者は山本と名乗った。塚原さんと同世代くらいに見え、明るい色のスーツを着こなした外ハネボブの女性だ。あの雑誌に登場してもおかしくない雰囲気だ。
山本さんはヨリ先生のコラムとさゆぐらしの担当者だと言い、困り果てた表情をつくる。
「結局何がどうなっているかわからないじゃないですか。だから他の出版社のお話を聞きたかったんです。特に須田出版さんは一番葉空先生に近いと思いますし」
他の出版社がヨリ先生にどういった感情を抱いていて、今後どのように対応するかは私も知りたいことだった。須田出版は根津編集長が切り捨てることも視野に入れているのだから。
「山本さんは炎上後、連絡を取ったの?」
「いえ……そもそも葉空先生とうちはそんなに親密ではないんです。単著を出しているわけでもありませんし、二ヵ月に一度メールでコラムを受け取るだけです。葉空先生はご自身ですべてやってくれますから打ち合わせもないんです。雑誌の読者が好みそうな小説を選んで、ご自身で撮影も行ってくれるので特にこちらからすることはありません。最近データを受け取ったばかりで、ちょうど連絡が途絶えている時期でした」
どこの出版社でもヨリ先生は、完璧な仕事をしているらしい。
「葉空先生がSNSで疑惑を否定された日、出版社宛にもメールが届きました。疑惑の否定と心配をかけたことの謝罪の内容です。完全に否定されちゃうと、こっちはそれ以上突っ込んで聞けないじゃないですか。こちらは気にしていないですよと受け入れる返信をしましたけど……」
山本さんは口をとがらせて言葉を切り、塚原さんが明るく同意する。
「本当は事実なんじゃないですか?なんて聞けないからなあ」
「ですです。葉空先生は否定しましたけど……炎上は続いているどころか、ますます燃えてる感じしますし……。でも出版社側から、じゃあ打ち切りで、とも言えないじゃないですか。とりあえず静観しつつって感じですけど……」
山本さんは隠すことなく不満をあらわにした。どこの出版社も本音はそうなのかもしれない。厄介なことをしてくれて、と思っているのだろう。
だけどヨリ先生が悪いわけではない。ヨリ先生を陥れようとした人間が悪いだけだ。
上層部がいない場面での出版社の人間の本音は興味深いが、それと腹立たしい気持ちは別だ。
ヨリ先生のネームバリューに惹かれて依頼をした会社ばかりで、ヨリ先生を心から信じている出版社はないのだろうか。
「コラム終了くらいならいいんですよ。……でも、さゆぐらしの刊行中止は痛いんですよね。もう写真撮影もすべて終わらせていて、ほとんどの作業が終了するところだったんですよぉ。二年くらいかかったんですよ、この企画……でも厳しいかもしれないってかんじですねぇ」
山本さんはヨリ先生よりも榎川と関係性が深く、そちらを心配しているらしい。塚原さんが「うわあ、それは大変。二年かあ」と大袈裟に相槌を打っているので、彼女とのコミュニケーションは塚原さんに任せる。
「葉空先生の炎上がこんなに飛び火すると思ってなかったですよ」
「山本さんどっちも担当なんてついてないね」
「こんな奇跡いりませんて。榎川さんもかなり滅入っていてかわいそうですし」
「結局Sは榎川さんなわけ?」
「……ここだけの話ですけど、そうみたいです。でも、いじめまでひどくはなかったみたいですよ。秋吉さんと付き合っていたのは本当らしいのですが、彼女は二股の事実も知らなくて。そりゃ自分の彼が他の女と親しくしてたら、嫉妬もするしちょっとは冷たく接しちゃいますよね」
「まあねえ。榎川さんの対応は?」
「今は噂ですし、スルーしているみたいです。コメント欄は荒れてるみたいですけど、かまうと余計に燃えますからね」
榎川はうまく山本さんに言い訳をしているのだな。榎川はヨリ先生の炎上に巻き込まれただけだと思っている。
今はまだいじめの証拠はない。けれど、もしいじめが事実ならば、榎川が内心焦っているのは間違いない。
「山本さん、榎川さんにお会いする機会があれば私の名刺を渡していただけませんか」
私はもう一枚名刺を取り出すと、山本さんの前に置いた。
「私、芳賀穂乃花を見つけようと思っているんです」
「えっ?」
山本さんは目を丸くして、隣に座っている塚原さんも私を見た。
「正確には芳賀穂乃花を名乗っている人物です。この炎上を止めるには、その人を探してこれ以上の投稿をやめるように言うしかありません」
「そんなことができるんですか」
「わかりません。ですが、もしその人が今投稿している小説の最後に『これは全部嘘でした、みなさん騙されたね』とでも書いてくれたら、否定はできます。さゆぐらしも刊行できるんじゃないですか?」
「それが出来たら一番いいですけど」
「実は私、朝秋吉さんにも会ってきたんです」
「えっ!」
驚愕の声を漏らしたのは山本さんではなく隣の塚原さんだ。気にせずに私は話を続ける。
「秋吉さんをご存知ですか? 榎川さんと同じく話題にあがっている方です。芳賀穂乃花を名乗っている人物は、十五年前に亡くなった芳賀さんの関係者の可能性が高いです。秋吉さんはあまり女生徒のことは覚えていないそうなんですよ。榎川さんは芳賀さんと親しかったし事情を知っているかもしれないと仰っていました。榎川さんは話したくないかもしれませんが、何かあったときにお力になれると思います。私の名刺だけでも渡してもらえませんか」
「……そうですね。わかりました」
山本さんは素直に私の名刺を受け取ったあと、呟いた。
「私ひとつ気になるんです。葉空先生と榎川さんがどちらも私の担当というのは偶然なのでしょうか」
「ヨリ先生と榎川さんは会ったことはありますか?」
「ありません」
「どちらかに担当だと話したことはありますか?」
「榎川さんには話したかもしれません。葉空先生のコラムを楽しみにされていたので、実は私が担当なんですよ、くらいは。でも葉空先生には榎川さんのことは話していませんね。葉空先生とは事務的な話しかしたことはありませんから」
その後の山本さんの話は特に中身はなく、愚痴を語り続け、それを塚原さんが受け止め続けてくれた。
山吹出版も世間の目を一番気にしているようだ。リスクを考えて大事になる前にヨリ先生を切り捨てたいと思っているのが本音だ。
カフェを出て山本さんと別れ、駅まで歩く道すがら私は塚原さんに不満をぶつける。
「山本さん、全然ヨリ先生のことを心配していないですね。がっかりしました」
「んー、山本さんはぶっちゃけすぎだけど、多かれ少なかれどこも本音はあれだと思うよ」
「塚原さんもですか?」
「俺は……そうだなあ。ヨリ先生の人柄は素敵だと思うし、信頼できる作家さんだと思うよ。優しいし、いじめなんてしているようには思えない。だけど過去はわからないからなんともいえない」
「塚原さんってヨリ先生の本全部読んでます?」
刺々しい言葉になってしまったが、塚原さんは苦笑いするだけで受け流す。この余裕な表情が腹立たしい。どうしてここまで他人事でいられるのだろうか。
「大体読んでて、考え方も素晴らしいと思う。いじめられた人をたくさん救っているとは思うよ」
「だけど過去はわからない。そう言いたいんですか?」
「まきちゃん。――ヨリ先生の小説とヨリ先生は別だよ」
塚原さんは足を止めると、私を真っすぐに見た。
「人を殺す話を書いているからって殺人犯じゃないだろ」
「…………」
「まきちゃんがヨリ先生に憧れてるのは知ってる。でも、んー、そうだなあ」
塚原さんは言葉を慎重に選びながら、歩き始めた。
「でも今ヨリ先生はしんどいと思うから、そうやって心から信じる人がいてもいいのかもな」
「根津編集長もいざとなったらヨリ先生を切り捨てますよね」
「切り捨てるって言い方はアレだけど、世間が落ち着くまで刊行は控えるとかはあるかもね」
はっきりしないうわべの優しさを並べて塚原さんは笑顔を作る。
「ところで、秋吉と会ったのって本当?」
「はい、今朝会ってきました」
答えると、塚原さんはあからさまに顔をしかめる。
「編集長に許可も取ってないんだろ? それにさっきの芳賀を探すって……あまり深入りしない方がいいよ」
「なぜですか」
「なぜって、何度も言うけどまきちゃんの担当はヨリ先生だけじゃないから」
「大丈夫です。今そこまで業務はたてこんでないんです」
塚原さんは大きくため息をつく。
「そういう問題じゃないけど……それにどうやって秋吉と知り合ったの?」
「須田文庫の公式アカウントからDMを送ってみました」
「勝手にそんなことして……」
「大丈夫です。公式アカウントの運用は私に任されていますし、メッセージはきちんと削除しましたから」
「だからそういう問題じゃないけど……まあいいや。もし関係者と会うなら今度は俺も誘って。追い詰められてる人間と二人で会うなんて危険だし」
そういう塚原さんだってもう別部署でヨリ先生とは関係がないし、仕事はたてこんでいるはずだ。
塚原さんは心から私を心配してくれている……顔をしているだけかもしれない。
なぜなら、塚原さんが芳賀穂乃花の可能性だってあるのだから。
翌日の土曜日は、週刊文秋の発売日だった。雑誌とオンラインの記事で、大きく芳賀穂乃花の件が報じられた。
ノベラブルには挿絵機能というものがあり、三話には画像が添付されていた。
芳賀穂乃花らしき少女のプリクラで、芳賀と男子生徒が二人で写っているものだ。落書きに書かれた名前と目元は隠されていたが、その男子生徒が秋吉なのは誰の目にも明らかだった。
今注目の俳優が、話題の少女の自殺の原因の一人だということは当然世間を騒がせることになる。
写真まで投稿されたこともあり、ノベラブルは慌てて芳賀穂乃花の小説を削除したが、一度広まったものはもちろんネットの海で公開され続けることになる。
そしてあのラジオの日、秋吉にカメラを向けていたマスコミは、ゴシップで有名な週刊文秋だった。彼らは世間の声にこたえるように撮ったばかりの写真をネットにアップした。
秋吉がヨリ先生の腕や肩を掴み、何かを言い争っているように見える写真だ。
【秋吉征直、過去にクラスメイトを死に追いやっていた⁉ 葉空ヨリとの関係は……⁉ 秋吉と葉空の密会と言い争いをスクープ!】
そんな見出しの飛ばし記事だ。記事にはコーヒーラジオ放送後にビルの前で言い争っていたことしか書かれていない。詳細は週末に発売する雑誌にて、ということだったが、きっと彼らもヨリ先生と秋吉の関係性をまだつかんではいないのだろう。取り急ぎ世間の関心の種を投下したと見える。これから大慌てで裏を取りにいくに違いない。
芳賀穂乃花の小説が投稿されて二日が経過したが、秋吉と事務所は沈黙を貫いている。文秋の記事を待ってから釈明するのかもしれない。
秋吉の一件で『葉空ヨリが誰なのか』追求する動きはより激化していた。
公式から正式に否定があったことでヨリ先生のファンは『ヨリ先生を信じる』という者が多い。
しかし外野は、秋吉の件でますます盛り上がっている。
ヨリ先生に対しての批判よりも、三年二組の誰が葉空ヨリなのか、犯人探しを楽しんでいるともいえる。
【葉空ヨリって、芳賀の小説のSのことかな?】
【Mが征直でイニシャルそのまま使ってるだろ。Sがつく女じゃないか?】
【俺は二話の投稿もヒントだと思う。”近しい雰囲気の友達”が同じグループになってるって言ってた】
【芳賀は可愛いし間違いなく陽キャ。彼氏も秋吉だし】
【三年二組の陽キャ女が芳賀をいじめてたっていう三人だと思う】
自称探偵たちは見当違いな推理を広げている。
けれど見当違いだと思うのは、私がヨリ先生の本名を知っているからだ。私も芳賀穂乃花の友人グループを考えれば、小田切明日葉は候補から外れただろう。
ヨリ先生の高校時代は平成ギャルと呼ばれる世代あたりだろうか。細眉に主張の強い睫毛とアイライン。芳賀穂乃花も当時の流行りの顔立ちと髪型をしていて、ネットの意見通り”陽キャ”に見える。
【榎川小百合が怪しいと思う】
自称探偵たちは”榎川小百合”という女生徒に目をつけていた。派手な雰囲気の子は三年二組に四、五名いるがイニシャルがSなのは彼女だけだった。
そして彼らは榎川とヨリ先生の共通点を見つけた。
榎川は美人だ。どちらかというときつい顔立ちだが、それが細眉や濃い化粧にも合っていて、三年二組では一番の美人に思えた。
カメラに向かって笑顔を向けている榎川はえくぼが愛らしく、右目の下に泣きぼくろがある。
検証用に榎川とヨリ先生の写真が並べられ、比較できるようになっている。
ヨリ先生にも親しみやすいえくぼと、涼やかな目元に泣きぼくろがある。
【えくぼ、ほくろ、これは確実だろ】
【鼻の形が違くない?】
【そこは整形で変えたんだろ】
【葉空はたれ目で、榎川はつり目に見えるけど】
【整形もあるし、当時はこういうきつめのメイクが流行ってたからかも。眉と目元の印象変えれば全然違うよ】
【榎川、美人なのに整形するなんてもったいないなあ】
【これくらい元が美人じゃないと、葉空にはなれないんじゃない】
ネットは好き勝手な意見ばかり流れているが、正直私も同意見だった。
小田切明日葉よりも、榎川小百合がヨリ先生の過去だと言われた方がしっくりくる。
ヨリ先生が榎川なら、秋吉に近づいたのもわかる。芳賀の件が露呈して相談したかったのではないだろうか。
ヨリ先生の登録されている名前は『小田切明日葉』だ。けれど、本当にそうなのだろうか。
「まきちゃん」
声をかけられてハッとする。榎川の憶測が飛び交うSNSに集中しすぎてしまっていた。慌てて顔を上げれば塚原さんが私の後ろにいた。
すぐにノートパソコンを閉じて、塚原さんの方に身体を向ける。
「どうしましたか?」
「こないだ話してたヨリ先生の担当者の件なんだけど。山吹出版の担当者が話したいことがあるらしくて、都合がつく日にどう?」
「はい、大丈夫ですよ」
「ところで、榎川小百合って知ってる?」
知っているもなにも、今一番考えていた名前だ。私が頷くと「そうだよな、だいぶ話題になってるよな」と塚原さんは渋い顔になる。
「山吹出版の担当者は、ヨリ先生の担当でもあるし、榎川の担当者でもあるんだよ」
「え? どういう意味ですか?」
「まだその話題は見てない? ”さゆぐらし”で調べてみて」
塚原さんの言葉にパソコンを開き『さゆぐらし』と検索してみる。
ミンスタグラムがヒットして、ベージュや白を基調とした部屋やアイテムがずらりと並んでいるアカウントが出てきた。
フォロワー数は十万を超えている。どうやらその界隈では有名なインフルエンサーのようだ。
自分で出来る北欧風DIYや、カフェのような食事、シンプルでオシャレなアイテムを紹介している、丁寧な暮らし系アカウントだ。
「このアカウントのさゆぐらしが、榎川小百合ということですか?」
「そう」
もう一度アカウントに目をやって、過去の記事も確認してみるとベージュのカーディガンを着た女性がいた。さゆぐらしは顔出しもしているらしい。榎川は学生時代よりぐっと優しい表情にはなっていたが、当時の面影は感じられる。卒業アルバムと同じく、えくぼとほくろもある。
「ネットでも気づかれてますか?」
「まだそこまで話題になっていないけど、ちらほら意見が出てきてる」
「山吹出版で何か出すんですか、この人」
塚原さんは手に一冊の雑誌を持っていた。”simple life”という雑誌で、さゆぐらしと雰囲気の似ている雑誌だ。
様々な人の暮らしを紹介しているようで、そのなかに榎川も掲載されていた。自身の部屋のソファに腰かけて、ベージュのヘアターバンを頭につけ、白いワンピース姿で笑顔を向けている。ナチュラルな雰囲気の美人だ。
塚原さんがさらにページをめくると、『葉空ヨリのコーヒーでも読みながら』というコラムがあった。ヨリ先生が一冊の小説を手に微笑んでいる。どうやらヨリ先生のオススメの小説を紹介するコラムらしい。
「隔月刊行の雑誌なんだけど、毎号ヨリ先生はこのコラムを担当している。もう一年になるそうだ」
「その担当編集なんですね」
「そういうこと。それで、このさゆぐらしの書籍化が決まっていた」
そう言われてパソコンに目を戻してみると、さゆぐらしの固定された投稿に『書籍化決定!』と手書きの文字が見えた。
「……同じ編集さんなんですか?」
「うん。さゆぐらしの刊行をどうするか、悩んでいるらしい。一度俺に話を聞きたいって」
「うちも何もわからないですよね」
「ただ相談したいのかもしれない。編集長とか上層部を交えず意見を聞きたいらしいから」
「わかりました」
「ありがと。じゃあまた調整して連絡するよ」
塚原さんを見送りながら、ふと頭の中に考えが浮かんだ。
……そうだ、なぜこの考えに至らなかったんだろう。
この炎上を止める方法は一つある。いや、一つしかない。それは”芳賀穂乃花”に投稿を止めてもらうことだ。
秋吉と榎川が炎上していて、今はヨリ先生への批判が逸れている。
しかし芳賀穂乃花の一番の目的はヨリ先生ではないだろうか。芳賀は最初からヨリ先生を指名していた。
だとすれば二人の炎上など、芳賀穂乃花にとっては前菜のようなものだろう。
私はヨリ先生を信じている。過去のいじめなど関与しているわけがない。あんなに繊細で優しい文章を書く人が誰かを死に追いやるわけがない。
しかし芳賀穂乃花を名乗る人物は何かの理由でヨリ先生を陥れようとしている。秋吉の証拠まで出してきたのだ。ヨリ先生にとって不利なものが投稿されて、大打撃を受ける前に。
――芳賀穂乃花を名乗る人間を探し出す。そう決めた。
ヨリ先生にあまり過去は問いただしたくはないが、過去を聞くならぴったりな二人が現れた。
先日の切羽詰まった様子の秋吉を思い出しながら、さゆぐらしの『念願の書籍化決定!』の文字を見やる。
二人の夢はようやく叶うのに、芳賀の出現でそれが危ぶまれている。追い込まれている二人なら、芳賀穂乃花に繋がるヒントがわかるのではないだろうか。
二人とて、芳賀穂乃花にこれ以上の投稿はやめて欲しいだろう。
パソコンの画面にうつるSNSに目を向ければ【ねえ榎川小百合ってインフルエンサーのさゆぐらしじゃない?】という投稿が流れてきた。既にリポスト数も多い。さゆぐらしが炎上するのは確定路線に入っていた。
木曜日。私は真っすぐ帰宅せずに自宅の近くのカフェに立ち寄った。老夫婦が経営している純喫茶だ。深みのあるブラウンを基調にした店内は人はまばらで、私は一番奥の席に座る男性の元に向かう。
「こんばんは」
ふてくされた表情で私を見上げるのは秋吉征直だ。
「須田出版の槇原羽菜と申します」
名刺を差し出すと「知ってますよ」と投げやりに答えて、秋吉は片手で受け取った。
昨日私は秋吉に須田文庫のSNSからDMを送った。ラジオ局の前で会ったヨリ先生の担当編集であると名乗り、会えないかという内容に秋吉はすぐに食いついた。
私は秋吉の向かいの席に座り、メニューを開いた。秋吉は既にホットコーヒーを注文していて私の様子を伺いながら一口飲んだ。
「このカフェ穴場なんです。あまり人もいないし、来るのも近くに住むおじいさんおばあさんばかりで。遅くまでやってるし、お話するのにちょうどいいでしょう」
「そういうのはいいから」
「注文だけさせてください」
私は手を挙げるとアイスカフェラテを注文する。
「それで、あなたは葉空ヨリの正体を知っているんですか」
注文を終えた途端、秋吉は急いたように訊ねてきた。
「実は私も葉空先生の本名を知らないのです。ずっとペンネームでやり取りしていましたから」
「そんなことが出来るんですか?」
「小説家と出版社は少し特殊なんですよ。とにかく私は葉空先生の本名は知りません」
すらすらと出てきた嘘を秋吉は疑わず、わかりやすく肩を落とした。
「それなら僕が君に会った意味はなかった」
「私は秋吉さんに相談をしたくて、今日お誘いしました」
秋吉が私を訝し気に見たところで、カフェラテが届いた。シロップをいれてストローでからからとかき混ぜる。
「私は葉空先生を守りたいんです。これ以上イメージが悪くなるのは担当編集として困りますから。それは秋吉さんも同じですよね」
秋吉は返事の変わりに深いため息をついた。
「これ以上芳賀を名乗る人物になにかを投下されたら困るんです。私は芳賀を突き止めて、これ以上の投稿をやめさせたいんです。それは秋吉さんにとってもメリットがありますよね。芳賀を説得すれば、今までのはいたずらだった、と投稿してもらうこともできます」
「……できるんですか?」
「須田出版にとっても、葉空先生の炎上は大きな打撃になりますから。そのための費用も出ると思います」
「金で黙りますか?」
「どうでしょうか。しかし芳賀を突き止めないことには、それもできません。芳賀を突き止める協力をしてもらえませんか?」
秋吉は私をじっと見つめる。
「葉空に頼まれたんですか?」
「いいえ。葉空先生はお忙しいですから、私が代わりに」
「ふうん。で、協力って何をすれば?」
「十五年前の芳賀穂乃花さんに関わることを、私は何も知りませんから。過去を教えて欲しいんです。芳賀さんに関係する人物が、今〝芳賀穂乃花”を名乗っているのは間違いないのでは?」
「そうだな」
「まず一つ。小説に書かれていたことは事実なんですか?」
秋吉は五秒ほど黙ってから控えめに頷いた。
「話題になってて知ってると思うけど、Sは榎川小百合ですよ」
「榎川さんが芳賀さんをいじめていたのも事実ですか?」
「……はい。僕は原因かもしれないけど、いじめには直接的には関わっていません」
秋吉は眉間に皺を寄せる。榎川が秋吉のことが好きならば、彼に隠れていじめをしていた可能性はある。
「僕は正直女子同士のいざこざは詳しくはしらないんです。……僕は穂乃花のことはいじめてない。関与していないんだ」
いじめの原因を作った人間が、二股をかけた人間が、何を言うのだ。私は喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「芳賀さんのご友人関係はわかりますか?」
「小百合たちと仲がよかったことしかしらない。部活とか、中学の友達は名前まで覚えてないな」
「彼女なのにあんまり興味ないんですね」
「男なんてそんなもんですよ。というより、十五年も前ですよ? 十五年前の恋人の友人まで覚えていられますか?」
秋吉は指をとんとんと机に打ち付けながら、苛立ちを隠そうともしない。
「だから今穂乃花を名乗って、俺たちの過去を語っている人間はまったく心当たりもない。小百合たちに聞いた方が早いんじゃないですか?」
「わかりました。ちなみに榎川さんと今、関係はありますか?」
「まったくありませんよ。そもそも小百合とはすぐに別れたし、卒業してから一度も会っていない。今東京に住んでることすら知らなかった」
秋吉は役に立たない。いままで過去のことなど忘れて生きてきたのだろう。なぜ自分の彼女が死んだのか、深く考えることもせずに。
「私に聞かずとも、秋吉さんは葉空先生とお知り合いのようでしたよね。葉空先生が三年二組の誰なのかわからないのですか?」
「わからないから気味が悪いんですよ」
「秋吉さんは葉空先生が誰か、心当たりはないんですか」
「ないですよ。僕は高校卒業後すぐに上京して、地元に帰ってないしみんなの顔はうろ覚えだし」
「そもそもなぜ葉空先生とお知り合いになったんですか? 元クラスメイトだから懐かしくて、というわけではないのですよね」
秋吉は苦々しい顔になり三十秒ほど黙ってから、重い口を開いた。
「たまたまラジオ局で彼女と会ったんですよ、半年前くらいに。もちろん市古高校の関係者だとも知らずに。それで二人で食事に行った」
「なぜ食事に行くことになったんですか?」
「……いや、普通に……声をかけただけです。食事に誘う理由なんて、大きなものはないですよ」
「つまり恋愛的な意味で気になっていたんですか?」
「別にそれだけが理由なわけじゃないけど……」
秋吉は言葉を濁す。彼はこれから波に乗り始める俳優だ。恋愛スキャンダルに繋がる言葉は慎重なのだろう。
「言っておくが、三度食事をしただけでそれ以上の関係はないですよ」
無意識に秋吉を睨んでしまっていたのかもしれない。彼は言い訳をするように付け足した。
「とにかく、彼女は僕に市古高校出身だと明かすことはなかったんです」
「秋吉さんが元クラスメイトだと気づいていなかったとか?」
「そんなことあります?」
「秋吉さんも葉空先生のこと、気づかなかったじゃないですか」
「……彼女がクラスメイトでないのなら、その方が僕にとってはいいですよ、気味が悪いので。無関係の人なのだとしたら炎上はお気の毒だが」
「それなら三年二組に葉空先生はいなかったと、あなたからマスコミに言ってもらえませんか? 葉空先生への批判を少なくできます」
秋吉は露骨に顔をしかめると、私をきつく睨んだ。
「僕にそんな余裕があるわけないでしょう! 自分の弁解をするだけで必死なんですよ。週刊文秋は何か記事にするだろうし、ああくそ……っ!」
声を荒げた秋吉は続ける。彼に余裕がないのは明らかだ。今取り繕う余裕もないのだから。
「俺だって穂乃花が死んでショックだったんだ! 彼女だったんだから当たり前だろ。それなのに十五年もたって……なんなんだよ」
次々と言葉を吐き出していく秋吉の目は血走っている。彼は相当ストレスが貯まっていたのだろうか。
「俺は高校を卒業してからずっとこの道を目指していた……! 小さな舞台から始めて、ようやく……チャンスが回ってきたんだ……! 深夜ドラマでも主演をつとめたら大きい。舞台で演技力にも自信がある。この世界でチャンスが巡ってくるのがどれだけの確率かわかるか? それがこんな……十五年前のことで……! なんとか芳賀を見つけ出して、今回の件を訂正してもらってほしい。俺は過去の交友はわからないけど、連絡先を知ってる人間もいる。協力できることはするから!」
「わかりました。なにかあれば相談させてもらいます」
「俺の主演ドラマが決まったってときに……なんなんだ……悪いのは小百合たちだろう」
秋吉は俯きながら吐き出した。息を何度か吐き、落ち着きを取り戻したらしい。顔をあげて私に改めて問うた。
「本当に葉空ヨリの正体を知らないんですか? たとえば、下の名前だけでもわかれば」
「知りません」
「それじゃあ、葉空ヨリが僕に近づいた理由はなんだと思いますか?」
「近づいたも何も、あなたから誘ったんですよね」
「そうなんだけど……彼女に罪をなすりつけられている気がするんだよ……葉空ヨリは、小百合と一緒に穂乃花をいじめていた千尋か、亜美じゃないかって思ってる」
千尋も亜美も初めて聞いた名前だが、芳賀穂乃花の四人組の残りの二人だろうか。念の為に訪ねてみれば秋吉は頷いた。
「葉空先生がどちらかだとして、なすりつけるとはどういうことですか?」
「僕は穂乃花の元彼です。ブレイクしはじめて世間から注目を浴びている旬の俳優ですよ。葉空ヨリはこの告発の矛先を俺に向けるために、俺に近づいたんじゃないですか……!?」
「食事に誘ったのは半年前ですよね? その頃はまだ告発はありませんでした」
「その頃はただ単に僕と仲良くしたかっただけだと思いますよ。親しくなったタイミングで、元クラスメイトだと驚かせようとしたのかもしれない。その矢先に今回の告発があった。葉空は僕と恋人になるよりも、僕に悪い注目を集めるようにしたんだ」
笑いだしてしまいそうなくらいくだらない憶測だ。少し表情に出てしまったのかもしれない。秋吉は少しムッとした口調で続ける。
「あの日。僕がラジオ局にいたのは、葉空ヨリと食事の約束をしていたからですよ」
「……あの日というのは、週刊文秋に撮られた日ですか?」
「そう、文秋に撮られる前週の木曜日の夜に食事の約束をした。その翌々日の土日に僕は今回の騒動を知ったんです。僕の卒アルが広まってきたことを知り、そこで一連の騒動を知って驚きましたよ! 葉空が元クラスメイトなんて! それで慌てて葉空に連絡を取ったんですが、電話もつながらない。メッセージもブロックされている」
「だからラジオ局に来たのですか?」
「そりゃそうだよ! 約束していたし、連絡が繋がらないんだから! それで素直に局まで行ったら俺は週刊誌に写真を撮られる羽目になった! 週刊誌にスクープされたことで、SNSに疎い層にまで広がってしまったんだ……! そのうえ過去のプリクラまで! どう考えても葉空ヨリの策略だろう!」
「秋吉さん落ち着いてください。周りの目もありますから……」
再び声を荒げた秋吉に小さな声で注意をする。カッとなりやすい秋吉ならば、ヨリ先生の前でみせた切羽詰まった様子も頷ける。
それにしても、あの日ヨリ先生が秋吉と約束をしていた? ヨリ先生はそんなそぶりを全く見せなかった。
「今回の騒動を俺に押し付けたいと思っているのは間違いない。今回の食事を誘ってきたのは葉空なんだ。木曜の時点で葉空は騒動を知っていたんじゃないか」
先週の木曜日というと……ヨリ先生とランチをして、ノベラブルで芳賀穂乃花の投稿が始まった日だ。
だとすると、ヨリ先生は芳賀穂乃花の投稿事件を知っている。私たちと中華を食べてから秋吉との約束を取り付けていた……?
「木曜日は騒動が始まった日ですから、葉空先生もまだ気づいていなかったのでは?」
「そうかもしれないけど……君、なんとか葉空ヨリが誰か調べられないか?」
「調べてどうするつもりなんですか」
「……なんだっていいだろ」
なぜこの男はこんなに短絡的なのだろうか。矛先を変えたいのは秋吉だろう。ヨリ先生の本名を知ったら、自分の注目をそらすために何をしでかすかわからない。
「私は葉空先生の不利になることはしませんよ。ですが、芳賀穂乃花を名乗る人物を特定したいのは同じです。何か気づいたことがあれば連絡ください」
もうこれ以上この男と話すことはないだろう。私は伝票を持って立ち上がると、項垂れた秋吉の元を去った。
カフェを出て自宅に向かいながら、秋吉との会話を思い返してみる。彼の話では芳賀穂乃花にまつわる人物はまったくわからなかった。千尋と亜美という新しい名前は出てきたが、四人組の残りの二人でどちらかというと加害者側だろう。復讐をしようと思っている人物には思えない。
それよりも気になるのは、秋吉が語っていたヨリ先生のことだ。自分に集まる批判の矛先を秋吉に変えようとしていた……?
たしかに秋吉の一件以来、ヨリ先生への批判は減ってはいる。
ヨリ先生が秋吉と三回食事をしたことも、あのラジオの日に約束をしていたことも事実だろう。秋吉は嘘がつけるタイプではない。
けれど、ヨリ先生がそのようなことをするだろうか。
自身が危ない立場にあったからといって、別の人間を世間に差し出す真似をするわけがない。そもそも秋吉や榎川については自業自得で、炎上したことも自身が招いたことではないか。
しかし、ヨリ先生が秋吉と何度か時間を共にしていたことは釈然としない。
軽薄で中身のない顔だけの男とヨリ先生が関わりがあるというだけで虫唾が走る。
まさかヨリ先生は秋吉のような男が好きなのだろうか。
一瞬浮かんだ考えをすぐに振り払う。あんな男をヨリ先生が魅力的に感じるわけがない。秋吉と関わったのは何か理由がある。
打算的な部分があるわけがないと信じているが、なんの考えもなく秋吉と食事にいくヨリ先生のほうが嫌だった。
どちらにしても一点も曇りのないヨリ先生に少し染みが出来てしまった気がして、わけもなく早歩きになる。足を動かしてまとわりつく気持ち悪さを振り払いたかった。
自宅に入るとシャワーも浴びずにベッドに寝っ転がり、SNSを開く。〝葉空ヨリ”と検索窓に打ち込んで、やめる。以前はこうして一日の終わりに〝葉空ヨリ”をサーチして、小説の感想やヨリ先生を褒める声を聞くのが一日の終わりの癒しだった。
今は、無関係な人間たちの疑惑や批判の声が目に入ってきてしまう。秋吉というスケープゴートができたとはいえ、ヨリ先生への批判もいまだに多い。
誰からも好かれるはずのヨリ先生に対して、ノイズが入ってしまったようで怒りがこみ上げてくる。
検索するのはやめて、自分のアカウントのタイムラインだけ見ることにした。七年前に作った個人のアカウントだ。ヨリ先生の作品を呟いていたアカウントで、自分がフォローしている人間もヨリ先生の熱心なファンしかいない。
【毎日アンチの声見て嫌になる。先生がいじめなんてしてるわけないじゃん】
【ヨリ先生の文章を読めばわかるのに。先生の人柄も、尊さも】
【ヨリさんの小説を読んだこともない人間がヨリさんを語るな。読めばわかる。黙って読め】
【ヨリ様は命を救ってくれる人。命を奪う人じゃない】
ヨリ先生を信じる言葉を見れば、早くなっていた鼓動が落ち着いてくる。
そう。――私は、私が見てきたヨリ先生を信じればいい。
ヨリ先生は清らかで美しい人だ。過去に後ろ暗い点などないし、秋吉に対して打算的なところはない。
断り切れず食事をしただけで、約束を取り付けたのも過去について相談をしたかったのかもしれない。けれどあの日声をかけてきた秋吉は冷静に話が出来る雰囲気ではなかった。ヨリ先生の腕を掴んだ秋吉の目は尋常ではなかった。きっとヨリ先生は彼に相談する気などなくしたのだろう。
ゆっくり息を吐いて、もう一度タイムラインに目を向ける。
【信じたいけど、さらに証拠が出てきたらどうしよう。私はヨリさんのこと信じてもいいのかな】
腹立たしい投稿がタイムラインに紛れていた。私は呟いた人をブロックすると、スマホをベッドに投げて目を瞑った。もう眠ってしまいたかった。
翌朝、私は出勤前にカフェに向かった。塚原さんと山吹出版の担当編集と話すために会社の近くのチェーン店に入る。
山吹出版の担当者は山本と名乗った。塚原さんと同世代くらいに見え、明るい色のスーツを着こなした外ハネボブの女性だ。あの雑誌に登場してもおかしくない雰囲気だ。
山本さんはヨリ先生のコラムとさゆぐらしの担当者だと言い、困り果てた表情をつくる。
「結局何がどうなっているかわからないじゃないですか。だから他の出版社のお話を聞きたかったんです。特に須田出版さんは一番葉空先生に近いと思いますし」
他の出版社がヨリ先生にどういった感情を抱いていて、今後どのように対応するかは私も知りたいことだった。須田出版は根津編集長が切り捨てることも視野に入れているのだから。
「山本さんは炎上後、連絡を取ったの?」
「いえ……そもそも葉空先生とうちはそんなに親密ではないんです。単著を出しているわけでもありませんし、二ヵ月に一度メールでコラムを受け取るだけです。葉空先生はご自身ですべてやってくれますから打ち合わせもないんです。雑誌の読者が好みそうな小説を選んで、ご自身で撮影も行ってくれるので特にこちらからすることはありません。最近データを受け取ったばかりで、ちょうど連絡が途絶えている時期でした」
どこの出版社でもヨリ先生は、完璧な仕事をしているらしい。
「葉空先生がSNSで疑惑を否定された日、出版社宛にもメールが届きました。疑惑の否定と心配をかけたことの謝罪の内容です。完全に否定されちゃうと、こっちはそれ以上突っ込んで聞けないじゃないですか。こちらは気にしていないですよと受け入れる返信をしましたけど……」
山本さんは口をとがらせて言葉を切り、塚原さんが明るく同意する。
「本当は事実なんじゃないですか?なんて聞けないからなあ」
「ですです。葉空先生は否定しましたけど……炎上は続いているどころか、ますます燃えてる感じしますし……。でも出版社側から、じゃあ打ち切りで、とも言えないじゃないですか。とりあえず静観しつつって感じですけど……」
山本さんは隠すことなく不満をあらわにした。どこの出版社も本音はそうなのかもしれない。厄介なことをしてくれて、と思っているのだろう。
だけどヨリ先生が悪いわけではない。ヨリ先生を陥れようとした人間が悪いだけだ。
上層部がいない場面での出版社の人間の本音は興味深いが、それと腹立たしい気持ちは別だ。
ヨリ先生のネームバリューに惹かれて依頼をした会社ばかりで、ヨリ先生を心から信じている出版社はないのだろうか。
「コラム終了くらいならいいんですよ。……でも、さゆぐらしの刊行中止は痛いんですよね。もう写真撮影もすべて終わらせていて、ほとんどの作業が終了するところだったんですよぉ。二年くらいかかったんですよ、この企画……でも厳しいかもしれないってかんじですねぇ」
山本さんはヨリ先生よりも榎川と関係性が深く、そちらを心配しているらしい。塚原さんが「うわあ、それは大変。二年かあ」と大袈裟に相槌を打っているので、彼女とのコミュニケーションは塚原さんに任せる。
「葉空先生の炎上がこんなに飛び火すると思ってなかったですよ」
「山本さんどっちも担当なんてついてないね」
「こんな奇跡いりませんて。榎川さんもかなり滅入っていてかわいそうですし」
「結局Sは榎川さんなわけ?」
「……ここだけの話ですけど、そうみたいです。でも、いじめまでひどくはなかったみたいですよ。秋吉さんと付き合っていたのは本当らしいのですが、彼女は二股の事実も知らなくて。そりゃ自分の彼が他の女と親しくしてたら、嫉妬もするしちょっとは冷たく接しちゃいますよね」
「まあねえ。榎川さんの対応は?」
「今は噂ですし、スルーしているみたいです。コメント欄は荒れてるみたいですけど、かまうと余計に燃えますからね」
榎川はうまく山本さんに言い訳をしているのだな。榎川はヨリ先生の炎上に巻き込まれただけだと思っている。
今はまだいじめの証拠はない。けれど、もしいじめが事実ならば、榎川が内心焦っているのは間違いない。
「山本さん、榎川さんにお会いする機会があれば私の名刺を渡していただけませんか」
私はもう一枚名刺を取り出すと、山本さんの前に置いた。
「私、芳賀穂乃花を見つけようと思っているんです」
「えっ?」
山本さんは目を丸くして、隣に座っている塚原さんも私を見た。
「正確には芳賀穂乃花を名乗っている人物です。この炎上を止めるには、その人を探してこれ以上の投稿をやめるように言うしかありません」
「そんなことができるんですか」
「わかりません。ですが、もしその人が今投稿している小説の最後に『これは全部嘘でした、みなさん騙されたね』とでも書いてくれたら、否定はできます。さゆぐらしも刊行できるんじゃないですか?」
「それが出来たら一番いいですけど」
「実は私、朝秋吉さんにも会ってきたんです」
「えっ!」
驚愕の声を漏らしたのは山本さんではなく隣の塚原さんだ。気にせずに私は話を続ける。
「秋吉さんをご存知ですか? 榎川さんと同じく話題にあがっている方です。芳賀穂乃花を名乗っている人物は、十五年前に亡くなった芳賀さんの関係者の可能性が高いです。秋吉さんはあまり女生徒のことは覚えていないそうなんですよ。榎川さんは芳賀さんと親しかったし事情を知っているかもしれないと仰っていました。榎川さんは話したくないかもしれませんが、何かあったときにお力になれると思います。私の名刺だけでも渡してもらえませんか」
「……そうですね。わかりました」
山本さんは素直に私の名刺を受け取ったあと、呟いた。
「私ひとつ気になるんです。葉空先生と榎川さんがどちらも私の担当というのは偶然なのでしょうか」
「ヨリ先生と榎川さんは会ったことはありますか?」
「ありません」
「どちらかに担当だと話したことはありますか?」
「榎川さんには話したかもしれません。葉空先生のコラムを楽しみにされていたので、実は私が担当なんですよ、くらいは。でも葉空先生には榎川さんのことは話していませんね。葉空先生とは事務的な話しかしたことはありませんから」
その後の山本さんの話は特に中身はなく、愚痴を語り続け、それを塚原さんが受け止め続けてくれた。
山吹出版も世間の目を一番気にしているようだ。リスクを考えて大事になる前にヨリ先生を切り捨てたいと思っているのが本音だ。
カフェを出て山本さんと別れ、駅まで歩く道すがら私は塚原さんに不満をぶつける。
「山本さん、全然ヨリ先生のことを心配していないですね。がっかりしました」
「んー、山本さんはぶっちゃけすぎだけど、多かれ少なかれどこも本音はあれだと思うよ」
「塚原さんもですか?」
「俺は……そうだなあ。ヨリ先生の人柄は素敵だと思うし、信頼できる作家さんだと思うよ。優しいし、いじめなんてしているようには思えない。だけど過去はわからないからなんともいえない」
「塚原さんってヨリ先生の本全部読んでます?」
刺々しい言葉になってしまったが、塚原さんは苦笑いするだけで受け流す。この余裕な表情が腹立たしい。どうしてここまで他人事でいられるのだろうか。
「大体読んでて、考え方も素晴らしいと思う。いじめられた人をたくさん救っているとは思うよ」
「だけど過去はわからない。そう言いたいんですか?」
「まきちゃん。――ヨリ先生の小説とヨリ先生は別だよ」
塚原さんは足を止めると、私を真っすぐに見た。
「人を殺す話を書いているからって殺人犯じゃないだろ」
「…………」
「まきちゃんがヨリ先生に憧れてるのは知ってる。でも、んー、そうだなあ」
塚原さんは言葉を慎重に選びながら、歩き始めた。
「でも今ヨリ先生はしんどいと思うから、そうやって心から信じる人がいてもいいのかもな」
「根津編集長もいざとなったらヨリ先生を切り捨てますよね」
「切り捨てるって言い方はアレだけど、世間が落ち着くまで刊行は控えるとかはあるかもね」
はっきりしないうわべの優しさを並べて塚原さんは笑顔を作る。
「ところで、秋吉と会ったのって本当?」
「はい、今朝会ってきました」
答えると、塚原さんはあからさまに顔をしかめる。
「編集長に許可も取ってないんだろ? それにさっきの芳賀を探すって……あまり深入りしない方がいいよ」
「なぜですか」
「なぜって、何度も言うけどまきちゃんの担当はヨリ先生だけじゃないから」
「大丈夫です。今そこまで業務はたてこんでないんです」
塚原さんは大きくため息をつく。
「そういう問題じゃないけど……それにどうやって秋吉と知り合ったの?」
「須田文庫の公式アカウントからDMを送ってみました」
「勝手にそんなことして……」
「大丈夫です。公式アカウントの運用は私に任されていますし、メッセージはきちんと削除しましたから」
「だからそういう問題じゃないけど……まあいいや。もし関係者と会うなら今度は俺も誘って。追い詰められてる人間と二人で会うなんて危険だし」
そういう塚原さんだってもう別部署でヨリ先生とは関係がないし、仕事はたてこんでいるはずだ。
塚原さんは心から私を心配してくれている……顔をしているだけかもしれない。
なぜなら、塚原さんが芳賀穂乃花の可能性だってあるのだから。
翌日の土曜日は、週刊文秋の発売日だった。雑誌とオンラインの記事で、大きく芳賀穂乃花の件が報じられた。