昼時、スマホをいじりながら葉月の到着を待っていた。休日で駅前ということもあって、それなりに人が行き交っている。
「佐倉くん、お待たせ」
少し息を切らせた葉月がやってきた。
「別に待ってない。それより病院はどうだったんだ」
「いくつか検査は受けたけど骨とかに異常はないって」
「ならよかった」
先日水戸の妹である夏葉を探している最中、赤信号の横断歩道に入ってしまった。そして俺は追いかけてきた葉月に助けられた。
俺自身は体に異常はなかったけれど、葉月は俺を庇った時に地面に体を打ちつけてしまった。
本人はなんともないと言っていたが、万が一のことがあってはいけないと雪哉が病院に行くようにと言ったのだった。
そして俺は、どうしてお前は周りを見て歩かないんだと雪哉から説教をされた。
幼い頃にふざけて遊んで怒られた以来だ。雪哉は普段は穏やかであるがゆえに本気で怒った時の怖さが他の人とは違う。思い出すだけで背筋に悪寒が走った。
チラリと葉月の様子を伺う。今日はヘアピンをつけていないようだ。やはり手芸部以外の外でつけることはやめたらしい。
スマホで何かを検索している。右手首には湿布の上から包帯が巻かれていて、胸が痛んだ。
俺の手を引いて尻もちをついた際に捻ったそうだ。本人は大丈夫だと言っていたが、それとこれとは別だ。
「佐倉くん、どうかした?」
「! いや何も。それより葉月が行きたい店ってこれか?」
葉月が到着するまで見ていた画面を見せる。携帯の画面の一面にたくさんのスイーツが広がる。有名なスイーツバイキングの店だ。葉月はずっと行ってみたいと考えていたらしい。
「うん、この店。ごめんね、俺のわがままに付き合わせちゃって」
「別に、いい。それに今日のは助けてもらった礼もかねてるから」
助けてくれたお礼に何かできないかと葉月に聞いたら、スイーツバイキングの店についてきて欲しいというものだった。
内装が女性向けで男一人では入る勇気がなく、一緒にいって欲しいと言われたのだ。
甘いものは好きな方ではあるので、深く考えることもなく承諾した。
到着したのは全体的がピンクでまとめられていて、リボンやレースなどの小物があしらわれた店だった。
なるほど。これは男一人では入りずらい。多様性の時代と言えども、好奇の視線は避けられないだろう。
店内に入り席に案内される。ショーケースを見てみると、これまたかわいらしい食べ物が並ぶ。パフェにケーキにパンケーキ。どれも甘くて写真映えするものばかりだ。
葉月は目を輝かせながらショーケースを見ている。よほど楽しみにしていたようだ。
「このケーキもいいし、このパフェも食べてみたい……。佐倉くんは食べたいの決まった?」
「いや、決まってない。葉月が食べてみたいやつとりあえず選べよ。食べ切れなさそうだったら半分こすればいいしさ」
「はんぶんこ」
「? それは嫌か?」
「……いや全然!じゃあ、佐倉くんに甘えさせてもらおうかな」
左手にプレート右手にトングを持った葉月は、素早くショーケースを開けてお目当てのスイーツを盛り付けていく。
自分たちの席に戻る時には、プレートいっぱいにスイーツが敷き詰められていた。いくら甘いものが得意とはいえ一人で食べ切るのは難しそうな量だ。やっぱり、俺は取らなくて正解だった。
「いただきます」
ひとしきり写真を撮った後、一言そう添えた。きっと高校の同級生たちが来たら、好きなものを目の前にして我慢できずに食べ始めてしまっているかもしれないと思う。
「じゃあ、ケーキ半分こしよっか」
葉月が俺に取り分けるように、もらってきた取り皿を持ちながら言う。
「うん、よろしく」
「は・ん・ぶ・ん・こ、だよ?」
「はんぶんこ……?」
「そう、半分こ」
半分こ、だろ。何かおかしなところあるか? 葉月はしきりに繰り返してくる。おまけに顔はニヤついていた。
「気づかない?」
「気づかないも何も、おかしなこと言ってないだろ」
「そうだね。じゃあ、もう一回半分こって言ってくれない?」
「半分こ」
「……かわいい!!」
耐え切れなくなったように葉月がいっった。止めようとしたがうまくいかなかったような感じだ。
ていうか、かわいいって言ったか、こいつ。俺は高校生で声変わりだってとっくにして低い。身長は葉月には負けるけど低い方ではないし。
「何言ってんだよ。さっさと食べるぞ」
「いつもの口調は少し荒っぽいのに急に、半分こ、とか言い出すからだよ。そのギャップ、かわいいとしか思えない」
「変なこと言うな。時間制限あるんだしたべるぞ」
「あれ、佐倉くん照れてる?」
「照れてねえ」
「顔赤いけど」
「葉月の見間違いだろ!」
わかった、そう言うことにしとくねと言って葉月はスイーツをとりわけ始めた。長い指がちまちまと作業をしているのをみるのは嫌いじゃない。
「……隠さないんだな」
「何を?」
「お前がかわいいもの好きなの」
「あーそれは。この前きゅんくまを見られた時にバレちゃったし。佐倉くんも俺の趣味を変だって言わなかったしね」
「趣味は人それぞれだろ。変だなんて思わない」
「そうだね」
目を少し伏せながら葉月がつぶやく。雰囲気が少し暗くなる。どうしたんだろう、何か言いたいことでもあるのだろうか
「葉月、何か……」
「ごめんね、変な空気にしちゃった。スイーツ食べよっか」
綺麗に取り分けられたスイーツを葉月が俺側の机に置いてくれる。その先の言葉をいうことはできなかった。
その後特に気まずい雰囲気になることもなく、俺たちはバイキングを楽しんでいた。このケーキが美味しかったから後でまた取りに行こうとか、スイーツ一つ一つは小さいものの意外と腹に溜まっていくなとか。
「いて」
フォークを持っていた葉月が右手首を押さえた。俺を庇って捻った場所だ。
「大丈夫かよ」
「うん平気。変に力入れちゃったみたい」
葉月は右利きだ。今までは手首を気にしながら食べていたが、加減が難しい。
「そのまま食べられそう?」
「うん。大丈夫だと思うけど……」
けど。葉月はそのまま話さなくなってしまった。
「あのさ、お願いがあるんだけど」
「なんだよ」
「ここにあるケーキ食べさせてくれないかなって」
思考が停止する。
“ここにあるケーキ食べさせて”
何言ってんだこいつ。本格的に痛くなったのではないかと心配したが、それは損だった。いくら普段独特なムーブをかましてくるとはいえ、これはやばい。
しない、と返答したい。しかし、葉月が怪我をした原因は俺だ。どうする。
周りには他のお客さんもいる。食べさせたりなんかしたら、絶対に見られる。
葉月は食べさせてもらう体制に既に入っている。これは俺も覚悟を決めなければいけない。
一息ついて、葉月の皿を手元に置きフォークで取る。
「ほら、口開けろ」
葉月はおとなしく、口を開ける。じっと顔を見ないといけなくて。今日は前髪で顔がよく見えないのに、その奥にある素顔を変に想像してしまう。
前髪越しに、目が合った気がして恥ずかしくなった。
「あーん。ムゴッ」
恥ずかしさのあまり、ケーキを思いきり口の中に突っ込んでしまった。葉月がむせる。
「やば、ごめん」
「……大丈夫。ちゃんと美味しいから」
げほげほと咳を繰り返している。本当に大丈夫なのか。葉月はこれに懲りたのかその後は左手を使ってなんとかスイーツを頬張っていた。
一通りスイーツを食べ終えた時、葉月がトイレに行くと言って席をたった。俺はお腹がいっぱいだったし、することもなかったので、スマホを操作しつつ少しまわりの様子を伺ってみた。
やはり、まわりの席には女性しかいない。たまに男の人を見つけたとしても、みんな彼女らしき人と一緒だった。
葉月がいた時は気づかなかったが、俺たちの席の様子を伺っているような人もいる。男二人でこの店にいるのが珍しいのだろう。
二人でいる時は気にならなかったのに、葉月がいなくなった途端まわりの視線をひしひしと感じる。
俺が葉月にケーキを食べさせていた場面を見られていたかもしれないと思うとなおさらだ。
「佐倉くん、お待たせ」
「おう」
「佐倉くんはまだ他に食べたいものとかある?」
「いや、俺もう腹いっぱいだし、大丈夫。葉月は?」
「俺もお腹いっぱい。準備して店を出ようか」
会計を済ませ、店を後にする。バイキング形式とあって好きなものを選んで食べられるのは満足度が高い。
「美味しかったね。今日来ることができて本当によかった」
「な、俺も案外楽しめた」
「佐倉くんはこの後予定ある?」
「いや特にないけど」
「じゃあ、もう少し俺に付き合ってくれない?」
葉月に連れて行かれた場所は、住宅街にある小さなアクセサリーショップだった。木を基調としたオシャレな店構えで花をモチーフにしたものが多いようだ。
俺は眺めていただけだったが、葉月はいくつか購入したらしい。
「佐倉くんお待たせ。行こうか」
近くにあった公園のベンチに座り、休憩する。今日はスイーツバイキングとアクセサリーショップに行った。立っている時間が少なかったとはいえ、一息つく時間がなかったように思う。
ベンチに座ってぼんやりと空を眺める。季節は夏に向かっており、太陽が昇っている時間がだんだんと長くなっている。
既に夕方の時間帯だが暗くなる気配は、あまり感じられなかった。
葉月が袋からアクセサリーを取り出している。先ほど店で購入したものだ。
出てきたのは2種類のヘアピンだった。一つ目に出てきたのは白い星形のような花がついたピン。もう一つは黄色の花がついたものだった。
「さっきの店は俺が小さい頃、行ってみたかった店なんだ」
葉月が小学生の頃、一時期この地域に住んでいた時があった。当時からかわいいものが好きで、ピンクや花柄のものを身につけて登校していた時期があったそうだ。
しかし、同じクラスの男子生徒たちに揶揄われて物を隠されたり、一人だけ仲間はずれにされたりしたそうだ。
先ほどのアクセサリーショップは、そいつらと同じ通学路を使いたくなくて、違う道を通って行った時に偶然見つけた。
けれど、店に入ってクラスの誰かしらに見られて揶揄われたりするのではないかと思うと怖くてできなかったらしい。
「この前のこともごめん。俺がちゃんと話せればよかったのに、こういうかわいいもの好きなもの隠して」
言い訳みたいに聞こえるかもしれないけど、手芸部の先輩や水戸くんには偶然のきっかけでバレちゃったんだよね、と加えた。
雪哉と的場は部活で知った。これは的場が言っていたこと。
水戸には水戸が妹と訪れていたキャラクターのショップで会った。水戸がショッピングモールから帰宅する時に教えてくれたのだ。
俺にかわいいものが好きなことを隠していたのは何か理由があるのだと。
それはこういう意味だったのだ。
「俺の方が、ごめん。当たるような態度とって悪かった」
葉月の事情も考えずに一方的に責めてしまった。何が俺の気持ち考えたことあんのかよ、だ。
誰かに傷つけられた過去があるなら、臆病になるのは当然だ。
俺だって、バスケを辞めざるを得なくなって、荒れている時期を進んで話そうとは思わない。
ついた傷は簡単には癒えない。治ったと思っても些細なきっかけですぐに、元通りになってしまう。
知りたいならもっと、ちゃんと聞くべきだったんだ。拙くても言葉を尽くすべきだった。喉の奥が絞られるような感覚がする。
何度だって、俺は間違った選択をしてしまう。
「佐倉くんは悪くないよ」
だから、泣かないでと葉月の指が俺の目尻をなぞる。触れ方があまりにも優しくて、涙が溢れそうになる。
「泣いてねえよ」
そっぽを向くと葉月は俺の顔から手を離した。
「お詫びって言ったら変になるんだけど、これ」
差し出されたのはさっき葉月が袋から取り出していた星形の白い花がつけられたヘアピンだった。
「佐倉くんヘアピン使うって言ってたし、学校では使いにくいかもだけど、部活とか家とかで使ってほしいなって」
今日のは俺が葉月にお礼をするという名目で来たのに、お礼をされては本来の目的が何かわからなくなる。
けれど、受け取らないでいるのもおかしな話だ。
「ありがとう」
葉月からヘアピンを受け取ろうとすると、目を閉じてと言われた。おとなしく目を閉じる。
前髪を少しかき分けられた。少しドキドキする。長い指が俺の額に当たる。パチンとピンを止める音が聞こえた。
「できたよ、目開けて大丈夫。……うん、やっぱり似合ってるね」
満足そうな様子だ。手でヘアピンをつけられただろう場所を触ってみる。
「佐倉くんも俺にピンつけてよ」
そう言って黄色い花がついたヘアピンを差し出してきた。俺が受け取ると少し身をかがめて、前髪を触りやすいような位置に調整する。いいんだよ、身長アピールは。ちょっとむかつきながら、葉月の前髪をかき分けた。
余計なことを考えていないと、心臓が飛び出てしまいそう。
黒くて綺麗な髪だ。それを分けるとさらに綺麗な顔が出てくる。目を閉じているだけでこんなにさまになる人はなかなかいない。そこらの俳優やモデルよりもよっぽど。
少し指が震えて、ヘアピンの位置がずれる。こんな感じの場面は初めてではないはずなのに、緊張する。
「できた」
声をかけると葉月がゆっくりと目を開いた。まつ毛が綺麗にカールしていて存在感がある。
「つけてくれてありがとう、佐倉くん」
本当に嬉しそうに目を細めながら微笑む。その顔は反則だ。
俺は抱きつかれるなら女の子が良くて、今まで恋してきたのも全員異性だった。
だからどうしても認めたくなかった。でも、もう自分を誤魔化しきれない。
俺は葉月が好きだ。
葉月を見た時の胸の高鳴りも、目があった時の気恥ずかしさも、髪に触るだけで震える手も。それでいて、穏やかな声や存在に安心したり。
「どうしたの」
俺が急にそっぽを向いて変に思ったのだろう。
「いや、なんでもない。似合ってると思う」
「ありがとう」
今までどんなふうに会話を続けていただろう。緊張してしまって思い出せない。
「……ところで、この花ってなんて名前なんだ」
咄嗟に出てきたのがそれかよ。
「それならさっき店員さんに聞いてきた。佐倉くんの花が桔梗で俺のがチューリップだって」
「チューリップは小学校の時、育てたことがあるかも」
「チューリップも桔梗も花壇とかに植えられてたよね」
楽しそうに話す葉月に目が奪われる。上がっている口角も、少し下がった眉尻も。今まで気にしていなかった部分が、どんどん魅力的に思えてくる。
雪哉くん、俺時間がかかったけど大切にしたいと思える人に出会えたよ。
誰よりも俺を大切にしてくれて、気遣ってくれる人。そして俺がしたことに対して、ありがとうをたくさんくれる人だ。
男とか女とか関係ないきっとこれから、どんどん好きになっていくんだろう。この恋が一方的な気持ちだとしても。