七月。中間考査も終わり、夏休みに入った。今まで行ってきた文化祭への準備が本格化している。

 手芸部も例に漏れず、忙しく活動をしていた。

「佐倉先輩、その箱はあっちに持っていってください」

「わかった」

 俺と水戸は現在部室で、ワークショップで使う用の材料の仕分けを行っていた。

 来場人数を予想し、タイムスケジュールを組みつつ、発注をかけるのは大変だったが、なんとかここまで進めることができた。

 今までの活動の記録があれば何か違かったのだろうが、今回初めて手芸部として本格的に文化祭に出店するため、そんな記録はない。業者なども一から探さなければいけなかった。

 あの時を考えれば、今の仕分け作業は楽なものだ。ただし、箱の中身の具体的な内容はラベルを見てもわからないためいちいち開けて確かめければならないのが手間だがしょうがない。

 水戸が書類を片手に俺に指示を出す。初めは先輩に指示を出すなんてと戦々恐々していたが、しばらくしてからはそんな不安は存在していなかったと言わんばかりに仕切っている。

 俺としても、指示を出すのは得意ではないのでありがたいが。

「先輩方、もう少しで戻ってきますかね」

 壁にかけられている時計を確認しつつ水戸が言った。

「確かにそろそろだな」

 部室には、俺と水戸の二人だけだ。他の三人がサボっているわけではなく、被覆室を使ってファッションショーの衣装の採寸を行なっているのだ。

 先日仮の採寸は行ったが、今回はその採寸で衣装が本人達に合っているかを確認するらしい。

 的場が採寸をして衣装を合わせている間、葉月と雪哉はじっと待っていなければならず、苦痛だそうだ。的場の採寸は雪哉が担当している。

 三人とも全身が凝ってしまってどうしようもないらしい。それに長い時間待っているせいでとても暇なのだとか。

 そのせいもあってか、採寸から帰ってくる三人はいつも疲れている。

「お疲れ様―」

「噂をすれば」

 扉を開けて的場と葉月が部室に入ってくる。案の定疲れた様子だ。二人とも椅子に座り込んでいる。

「お疲れ様です」

 常備しているスポーツ飲料を渡すと二人とも一気に飲み干した。

「あーうま!」

「それはよかった」

「ありがとう、佐倉くん水戸くん」

「いえいえ、葉月先輩もお疲れ様です」

「ていうか、スポーツ飲料のサーバー常設とか誰が考えたんだ。すげえな」

「高瀬先輩が持ってきてくれたんです」

「はー!気遣いもピカイチなんだな、あの部長は」

 そう言われて気づいた、

「高瀬先輩はどうしたんですか」

 三人で採寸してきたはずだ。けれど部室に戻ってきたのは葉月と的場の二人だけ。

「なんか、生徒会に呼ばれて今生徒会室に行ってる」

 また呼び出しか。またというのは、雪哉が生徒会室に呼ばれているのがここ最近増えているからだ。

 初めは、文化祭関連で呼び出されているのかと思っていたが、それにしても多すぎる。

「心配ですね」

 雪哉だって採寸が終わって疲れているはずだ。水戸の言葉はもっともである。

 すぐに戻ってくるだろうと思っていたが、三〇分経っても戻ってこない。流石にもう待てない。部室は冷房が効いているから、涼しいが廊下に一歩出れば耐えられないような暑さだ。

 もしも、こんな中で倒れたりなんかしていたら。

「俺、見に行ってきます」

 そう言って、部室を出ようとした。するとがらと扉が開いて、雪哉が顔を出した。

 よかった、戻ってきた。安心して一息つく。

「先輩、遅かったですね。今様子を見に行こうと……」

 言い終わる前に、雪哉の体が傾く。とっさに腕を出して支えた。腕だけでは支えきれず、体を雪哉と床の間に入れて衝突を回避する。

 顔色が明らかに悪い。最近は気温が三〇度近い日が続ことも珍しくない。それなのに雪哉の顔色は真っ青だ。

 意識もない、全身に力が入っておらずぐったりとしている。

「雪哉くん!」

「おい、高瀬大丈夫か!」

 的場が大きな声で呼びかけ、揺さぶるも応答がない。

「ちょっと待ってろ、今先生呼んでくるから!」

 的場が部室を飛び出していく、葉月や水戸も各々が雪哉の体調を気遣う行動をとっていた。

 俺は、ただ震えながら雪哉の意識が戻ることを祈ることしかできなかった。

***

 雪哉が保健室のベッドで寝息を立てている。保健室の先生の見解によれば、寝不足と連日の暑さによる疲労蓄積が今回倒れた原因だそうだ。

 葉月、的場、水戸は現在部室にいる。雪哉が起きてから俺が呼びにいくことになっていた。

「ちゃんと体調管理くらいしろよ」

 顔をよく見れば、目の下に大きなくまができている。雪哉が倒れるまでその事実にすら気がつかなかった。

 現在は顔に血の気が戻っている。

 一瞬、このまま雪哉が死んでしまうかと思った。的場が先生を連れてきて、担架で運ばれて行った時、力が全く入っておらず、落ちそうになっていた手を見た。何もできないやるせなさを初めて感じた。

 大切な幼なじみで親友。そして、俺をどん底から救ってくれた人。

 俺が中学三年生だった、あの日高校一年生だった雪哉は顔を歪めて泣いていた。俺は何も傷ついていないし、泣いてもいない。それなのにどうして、雪哉は苦しくて痛いみたいな表情をするのだろう。

 その意味がやっとわかった。大切だから、痛いのだ。大事な人のために何もできない、そんな自分が悔しい。

「真斗、泣いてんの?」

 ベッドから、小さく声が聞こえた。

「雪哉くん?」

「泣き虫だなあ」

 小さく笑う。

 そんなことないって言い返したいのに、うまく言葉が出てこない。

「真斗が泣いているから、俺死んだかと思っただろ」

 冗談を投げかけてくる。こんな時に言うなよ。

「本当に心配した」

「うん、心配かけてごめん」

 まだ、ベッドのから体を動かすのは難しいらしく、雪哉は寝たまんまだ。

「生きててよかった」

「はははっ」

「雪哉くん笑わないでよ」

 俺は至って真剣なのに。

「体調管理はちゃんとしないとな」

「本当だよ」

「ところで、他のみんなは?」

 あ、雪哉が目覚めたら呼びに行くと約束したんだった。

「部室にいる。俺呼んでくるから」

 そう言って、保健室の先生に雪哉が目覚めたことを報告し、部室へ向かった。

「あ、葉月」

 向かっている途中で大荷物を抱えた葉月と出会った。

「どうしてこんなところに?」

「俺は高瀬先輩の荷物を保健室に届けに行こうとしてるところ。佐倉くんは?先輩に付きそってたはずだから……。先輩の意識が戻ったってこと?」

「おう、まだ体は動かせないっぽけど、意識は回復した。さっき保健室の先生に、無理は災いのもとだって怒られてた」

「そうなんだ。体調が良くなったならよかった」

「本当だよ、雪哉くんは。受験勉強もあって最近は四時間くらいしか寝てなかったんだって。そりゃ、倒れもするよなって」

「……雪哉くん、か。先輩のこと名前で呼ぶんだね」

「? うん。だって俺たち……」

その先の言葉を言うことはできなかった。なぜなら葉月の手で口を塞がれてしまっているから。急なことで何もできず立ち尽くす。

「それ以上言わないで」

 言えないんだが。俺は突っ込むこともできずにいる。葉月が俺を見下ろしているため、前髪がずれて表情がよく見えた。

 眉間が歪められ、苦しそうにしている。倒れた時の雪哉までとはいかないが、顔色も良くない。

 そうこうしている間に、俺の口を塞いでいた葉月の手が外れた。

「ごめん、乱暴なことして」

「いや、別に。葉月こそ大丈夫か」

 心配してくれて、ありがとう俺は大丈夫と言って保健室まで行ってしまった。あれはなんだったんだろう。

 部室まで行っても、その答えは出ないままだった。

***

「いやーみんな、お騒がせしました!」

 数日後完全回復した雪哉が部室にやってきた。

「こんなに早くに復帰して、大丈夫なのか」

「大丈夫、保健室で休ませてもらった後念のため病院に行って診てもらったし。昨日までの数日でのんびりできたしね」

「よかったです。あの後、慌てた生徒会長が部室にやってきて大変だったんですよ」

 胸を撫で下ろしながら水戸が言う。

 俺も後から聞いた話なのだが、雪哉が担架で運ばれていった直後に生徒会長がやってきたらしい。

 雪哉が最近生徒会に呼び出されている理由は手芸部のファッションショーの時間をもう少し長くできないか調整してほしいと、直談判していたからだとわかった。

 倒れた日がちょうど最終決定の日だったそうで、それを伝えるために会長自ら部室に来たそうだ。

 どうして生徒会長が自ら、と尋ねると、高瀬雪哉の願いは絶対に叶えろとファンクラブの圧があったから、と言っていたという。

(雪哉くん、ファンクラブなんかあったのかよ)

 内心引きつつも、本人が満足そうなのでいいことにした。

「結局、体調不良の原因は本人の問題だったてわけね」

「そういうこと」

「ちゃんと反省しろよ」

 もっと釘を刺してください、的場先輩。

「葉月は、俺が倒れた日に荷物を届けに来てくれてありがとう」

「いいえ、気にしないでください」

 いつもの口調に聞こえるが、少し硬いようにも感じる。

 雪哉が倒れた日から葉月の様子が変だ。何かと俺と二人きりな状況を避けようとするし、会話をしたとしても最低限の話ばかり。

 俺、なんか変なことしたかな。好きな人から露骨に避けられると辛い。

 でも葉月のことだ、きっとそのうち話してくれるだろう。

けれどこの状況を楽観的に捉えるべきではなかった。俺は後から後悔することになる。