全裸のイケメン、目の前にいる。

 しかも、不機嫌そうに眉間に皺を寄せていてとても怖い顔のイケメンだ。
 おかしいな、声は大和だった気がするんだけど。
 俺はジッと見慣れないイケメンを見つめた。

「……大和、か……」

 謎のイケメンとここにいるはずの人物の姿がようやく重なった時、俺は唖然と呼び捨てにしてしまった。

 よく見たら眼鏡を外しているだけで大和だ。
 濡れた前髪を後ろに流してるから髪型も違うけど大和だ。
 どう見ても大和なんだけど、普段の大和を見てイケメンとは思わなかったのに。
 メガネしてないからってこんなイケメンになるものなのか。
 濡れてるせいか。水も滴るなんとやらというやつか。

 いやそんなことより、イケメンの不機嫌顔怖っ!

「蓮、さん?」

 名前を呼んだだけで黙った俺に、大和が怪訝そうに首を傾げた。
 そりゃそうだ。さっき、聞こえなかったって言ってたし、こいつ何しに来たんだって感じだよな。
 俺は一歩下がって、慌てて口を動かした。

「わ、悪い。えーと。女将さんがシャンプー切れるって……だから、えっと……」

 なんて言おうとしたんだか忘れてしまった。
 あんなに頭の中で予習して、さっきは声に出して言えたのに。
 俺は焦ってしまって、余計に言葉が出てこなくなる。
 すると、風呂のドアにかけてあったタオルで髪を軽く拭いた大和が、

「ありがとうございます」
「えっ」

 何故か礼を言って、グッと俺に近づいてきた。究極に近くなった全裸のイケメンにビビって、俺は思わず腕で顔を隠し体を屈める。
 風呂上がりで高くなっている大和の体温を、ほんの1センチ先くらいで感じてバクバクと心臓が鳴る。

 パタ、パタン。

 乾いた音が真後ろでして、大和の気配が離れていった。

「……?」

 恐る恐る顔を上げると、やはり顰めっ面の大和が見下ろしてくる。

「すみません、詰替えも最後だから月曜に買ってくるって祖母さんに伝えてください」
「う、ん……」

 シャンプーの詰め替え容器を持った大和が、また浴室に入っていく。

(詰め替えを取るからそこ退いてくれとかさ、言ってくれよ……)

 自分のことは棚に上げて、どうも言葉が少なすぎる傾向がある大和に心の中で文句を言う。何にイライラしてたのか、向き合ってる間ずっとすごい威圧感だったから疲れた。
 もしかしたら、俺が泊まっていくのがそんなに気に食わないんだろうかと流石に落ち込む。

(そりゃ、俺も人のこと言えねぇけどさ)

 溜め息を吐いて脱衣所を出ようとした時、肘に何かが当たった。

「あ、やべ」

 スリッパのすぐ横に眼鏡が滑り込んできて、落としてしまったのだと気がつく。慌てて拾い上げた俺は、なんとなく眼鏡を観察した。
 傷のない黒っぽいメタルフレームから、レンズがはみ出している。
 家で父さんが掛けているものに比べて、随分レンズが分厚い気がした。

(これって、すごく目が悪いってことか?)
「すいません、落ちてました?」

 眼鏡をまた落とすところだった。
 大和が声を掛けてくるたびに俺はビビりすぎている気がする。分かってるけど慣れない。きっと、まだ居たのかお前って思われてる。
 俺は眼鏡を潰さないように両手のひらに乗せて、大和に差し出した。

「わ、わわ悪い! 当たって俺が落とした!」
「ああ、そうだったんですか」

 大和は濡れた手で眼鏡を受け取り洗面台に置く。それから床にあるゴミ箱に、ペシャンコになったシャンプーの詰め替え容器を放り込んだ。
 浴室に戻ってから出てくるまでの時間を考えると、ほとんど洗い終わった後に俺が伝言に来たんだろう。

「……どうしました?」

 顔を拭いて眼鏡をかけた大和が、さっきより小さく感じる目を向けてくる。男同士だからって遠慮なく見すぎたみたいだ。実際には体ではなく顔を見ていたんだけど、気分は良くないよな。
 俺は正直に理由を説明することにした。

「その、印象どころか顔が変わったみたいだって」
「眼鏡のことですか? そういえば、目が小さくなるって言われます。近視が強くてレンズが分厚いんで」

 目がものすごく悪いという予想は当たっていた。そういえば、目が見えないと見ようとして目つきが悪くなるって聞いたことがある。
 もしかしたら大和は不機嫌だったんじゃなくて、一生懸命、俺のことを見ようとしていたのかもしれない。

 眼鏡をかけた大和はいつも通り愛想はないけど怒った顔はしていないから。
 俺は安心してそのまま会話を続けてしまう。

「そんなに悪いのか」
「この距離にならないと輪郭はっきりしないんです」
「……っ!?」

 頷いた大和が眼鏡を外して顔を近づけてきたので、俺は息を飲んだ。
 だって、大和の言う「この距離」とは、鼻先が触れ合うか触れ合わないかの距離だったんだ。
 近過ぎる。逆に見えない。息がかかって呼吸ができない。

「あ、ご、ごめん」

 俺がとんでもない顔をしていたのだろう。
 大和は慌てて顔も体も離した。それでも俺は、まだ呼吸が整わなかったし何も言えない状態だ。
 あんなに他人と顔が近づいたのは初めてかもしれない。

 大和は眉を下げて眼鏡をかけ直した。タオルで口元を隠して、俺から目線を逸らす。

「僕、パーソナルスペースの取り方をすぐに間違えるんだ。近かったら言ってください」

 深々と頭を下げるのを見ると、さっきの俺みたいに他人を驚かせることがよくあるのかもしれない。
 大将も女将さんも相当人との距離が近いから、家族全員がそんな感じなのだろうか。俺からしたら想像もしたくない状況だけど、それが当たり前の環境で育つと他人との距離感も狂うのか。

 でも、俺は今の今まで大和からは距離しか感じなかった。大和は相当気をつけてて、気をつけ過ぎた結果、無愛想を極めたのかもしれない。
 話しかけられたくなさすぎて派手な格好と目つき悪い表情をするようになった俺みたいに。

「お互い、極端だな」

 自分の想像に、思わず口元が緩む。

「お互いって?」

 突然笑った俺に、当然意味が分からない大和が首を傾げる。

「なんでもない。悪かったな、着替えてくれ」

 脱衣所から出る俺を引き留めてまで、大和は答えを求めてこない。
 俺は一人で勝手に気持ちが軽くなって、シャンプーの詰め替えのことを忘れないように女将さんを探す。

(……それにしても)

 近いから離れてくれ、なんて。俺は思っても言えないんだろうなぁ。