店の端っこで、青いハンカチタオルを腕に当てる。普通のタオル生地のはずなのに、触れる部分が温かく感じてきた。
 じめじめとして暑くなってきたとはいえ、水をかぶると体が冷えてきてたようだ。

 あの車、べこべこに凹ませてやりたい。

 床を濡らさないように早く拭きたかったけど、小さいタオルじゃそうはいかない。
 俺はぺこぺこと頭を下げる。

「迷惑かけてスミマセン」
「良いのよ! 運が悪かったわねー! ほら、もっとちゃんと拭いて!」

 奥の扉から出てきた婆さんはなんの躊躇もなく、持ってきてくれた綺麗なバスタオルで俺の体を包んだ。
 アスファルトの道だったから泥だらけってことはないけど、汚い水には変わりないというのに。心が広い。
 ふわりと花の香りに包まれて、俺はありがたく体の水分を拭き取っていく。

「しかしラッキーだったな! 大和が近くにいなかったら、その格好で電車に乗らないといけなかったんだからなぁ」

 カウンターから見ている爺さんの言葉に、俺は何度も無言で頷いた。
 大和が声をかけてくれなかったら、自分で誰かに助けを求めなければならなかった。出来ている自分が想像できない。

 三人とも、宇宙人とか思ってごめんなさい。
 世の中はコミュニケーションがとれる人たちの善意でできていることが身に染みる。

 ある程度水分をタオルに移動させられた頃、Tシャツと黒いデニムパンツに着替えた大和が、居住スペースとつながっているであろう奥のドアから出てきた。

「こっちで着替えましょう。そろそろ店開くんで」
「あ、ああ」

 俺は首にタオルを掛けて、カウンター椅子に置いていたカバンを持って大和についていく。
 ドアを跨ごうとした時、

「シャワーでよければ浴びていきなねー!」

 という婆さんの声が聞こえたが、

「結構です」

 と、ちゃんとすぐに断ることができた。
 ドアの向こうには玄関があって、俺は畳の部屋に案内される。丸いローテーブルには、服が畳んで置いてあった。ご丁寧にも、洗濯カゴまで置いてある。
 待ってくれ。洗濯カゴ?

「えっと……ビニール袋とか貰えたり……」
「乾かすだけなら乾燥機ですぐだから遠慮しないでください」

 言えない。ちゃんと洗って返すから、すぐに着替えて帰りたいんだけどって言えない。
 濡れた制服を乾かしてもらうのと、借りた服を来て帰るのとどっちが図々しいんだろう。誰か正解を教えてくれ。
 悩んでいる俺に構わず、大和はテーブルを指差した。

「僕のだから大きいかもしれませんが、半袖と短パンだから大丈夫かと」
「ん、ありがとう」

 一刻も早くベタベタな不快さから解放されたくて、オレはもう考えるのを止めてワイシャツのボタンを外し始める。すると、大和はすぐに背を向けた。

「ゆっくりでいいんで、着替え終わったら呼んでください」
「あ、おう……」

 着替えるのなんて一瞬だから、居た方が早いと思うけど。
 店が忙しいのか俺と一緒に居たくないのか。
 俺にとっては一人の方がありがたいからまぁいいか。

(なるほど、ジャージだから紐でウエストが調節できるんだな)

 灰色のTシャツと黒いジャージ生地の短パンは、明らかに俺にはデカかった。肘近くまで袖はあるし、膝は完全に隠れてる。でも、そういう服だと思えば問題ない。
 さて、大和を呼びにいかなければ。忙しそうにしてたら声掛けるの嫌だなぁ。

 洗濯カゴを持ち上げた時、襖がノックされた。

「着替え終わりましたか?」

 控えめな声なのに、心臓が口から飛び出しそうになる。
 来るの早いな。呼んでくれって言ったくせに大和の方からきた。せっかちか。
 でも助かるから、返事の代わりにカゴを手に下げて襖を開ける。

「じゃあここでゆっくりしててください。宿題とかあればしててもいいし」

 どうみても不良の俺に、宿題をやるって選択肢があると思ってるのが面白いなこいつ。

「漫画とか、興味あれば持ってくるし……」
「えっと」

 大和はアニメっぽいファイルを何店舗も回って手に入れようとするやつだから、オタクなのかもしれない。
 それなら俺が漫画を読むと嬉しいのか。
 わざわざ漫画を持って来させるのもどうかと思う気持ちと、漫画を読んだ方がいい気がする気持ちと。

(でも読んだら感想とか……話さないといけないのか……)

 ごちゃごちゃと考えてしまって俺が黙ると、返事を待っている大和も何も言わずに見下ろしてくる。二人だけの空間に気まずい沈黙が落ちた。

「……」
「……」
「あの、すみません。漫画とか興味ないですよね。暇になるかもしれないと思ったけど、スマホとかで時間はいくらでも潰せますよね。要らないことを言いました。気にしないでください。テレビつけてもいいしゆっくりしてて」
「ま、待て。違う、えっと、あーと」

 耐えられなくなったのか、大和が無表情のまま急に早口になる。人と関わるのが嫌いな仲間だと勝手に思ってたのに、こんなに喋れるやつだったとは驚きだ。
 俺は焦って止めたものの、どうしたらいいのか分からなくて舌が回らない。

 また、シーンとしてしまう。

「……」
「……」
「な、なんか手伝わせてくれ。してもらってばっかは、悪いし」

 切羽詰まってようやく絞り出した言葉は、どう考えても自分で自分の首を締めるものだった。