また、見つけた。

 クリアファイルを婆さんに押し付けてから、一週間くらい経った日のことだった。
 今日は朝からずっと雨が降ってたけど、放課後にスマホを確認したら一時間後には曇りマーク。傘さすの怠いし、信じて待ってたら本当に雨が上がった。天気予報が仕事してくれて、ラッキーな日だと思ったのに。
 今のうちに帰ってしまおうと早足で靴の裏を濡らしていたら、商店街入り口の小さい本屋からあの制服が出てきてしまったんだ。

 それにしても、今までなんで目に入ってなかったんだろう。
 エリート様らしくきっちりと着こなした制服と、身分を示すかのように白いロゴの入った黒いスクールバッグ。そしてなんといっても、周りから頭ひとつ分は出ているあの長身。すごく目立つ。

 俺は足の動きを緩めて、大和が店に入るまで後ろを歩くことにした。
 追い越してしまったら、視界に入ってしまうから。
 俺が目に入ったところで大和は気にしないかもしれない。前みたいにただ後ろをついてくるだけかも。
 でもなんとなく、あの眼鏡に映るのが躊躇われた。
 悪いことをしているわけでもないのに、変に胸がドキドキ鳴る。

(足、長いな)

 スッと背筋が伸びていて、大股で歩く様子が様になる。後ろ姿のシルエットが綺麗だから、ついついじっと見てしまった。
 大和が俺に気付かずに無事に店の暖簾をくぐった瞬間、ゲームをクリアし時のように心の中でガッツポーズをとる。
 それなのに。

「あ」
「え」

 安心して店の前を通り過ぎようとしたら、帰ったはずの大和が店から出てきて鉢合わせた。
 バッチリと目が合った俺たちは、お互いにあからさまに顔を背ける。

(なんでだよー!)

 俺は絶叫したい気持ちを抑えながら大和の目の前を通り過ぎた。全然興味を持たれてないと思ってたけど、目を逸らされたってことは嫌われている可能性が高い。
 そもそも向こうからしたら得体の知れない不良なんだから避けようとするのも当然だ。

 良かった。

 それなら、こっちも関わらないようにするって選択がしやすい。楽になった。いつも通りだ。
 フーッと肩の力が抜けて、軽くなった足で小さな水溜りを跳び越す。

「あの……蓮、さん」

 予期せぬタイミングで大和が呼びかけてくる。
 着地をしくじらなかったのは奇跡だ。
 危うく足を滑らせて水溜りに突っ込むところだった。

 一秒にも満たない時間で俺は迷った。返事をしたくない。したら何かしら会話することになる。
 いつも通り、知らんぷりしてやろう。
 何のために不良のコスプレしてると思ってんだ。
 俺は固い意志を持って、なんの反応もせずに足を踏み出した。

「ありがとうございます」

 後ろから聞こえてきた低い声は、大きくないのにしっかりと俺の鼓膜を揺らす。
 返事をしてないのに話し続けるとか、やっぱり宇宙人の孫は宇宙人だな。
 流石に無視することはできなくて、俺は足を止めて振り返る。

「俺?」

 他に誰がいるんだよ、なんてツッコまずに、大和は首をカクカクと何度も縦に振った。
 特にセットされてない自然体な髪がふわふわと揺れる。

「ありがとう、ございます」
「何が」

 礼を言われるとしたら、クリアファイルのことだろうと思うけど。
 二回も重ねて言うようなことだろうか。
 疑問がそのまま口から出たらマシだろうに、俺の口から出たのは無愛想な短い単語だけ。
 ビビってそそくさと逃げていくやつもいるのに、大和は全く動じず、声も表情も凪いだままだった。

「クリアファイル」
「ああ」

 やっぱりそうか。

「赤と青、揃えたかったのにどこに行ってもなかったから助かりました」
「へぇ、良かったな」

 俺からしたらゴミを引き取ってもらったようなものだったけど、こいつにしたら何店舗も回るほど大事なものらしい。
 そんなに好きなものがあるなんて、素直に感心する。
 でもそういうのを口に出さないから、会話はここで終了した。

 無表情の人間が二人で向かい合っている滑稽な状況が、少しの間続く。

 何か言った方がいいのか、帰って良いのか。
 人と関わるとこういう時のタイミングがよく分からないから嫌なんだ。
 そんで、やっぱりこいつも人と関わるのが苦手なタイプなんだと確信する。絶対向こうも困ってる。

 何人かの人や車が通り過ぎていくのを感じてカバンの肩紐を握りしめていると、俺よりはコミュニケーション能力があるらしい大和の方が先に口を開いた。

「それだけです。本当にありがどうございました」
「ああ、うん」
「じゃあ」

 軽い会釈をした大和が駅とは反対側に行くのを見守って、俺はようやく自分の帰路につこうとする。
 こんなに会話を同い年としたのは久しぶりな気がする。学校では俺に話しかけてくるやつはいない。行事の時もだいたいスルーされてるし。
 どっと疲れが押し寄せてきてため息をつく俺に、

「わぁあっ」

 勢いよく走る車が盛大に水をぶっ掛けて走って行った。

 最悪だ。
 靴どころかズボンもワイシャツもびっしょりで、布が張り付いて肌が透けてしまっていた。カバンが車道とは反対側だったことは不幸中の幸いだろうか。

「蓮さん」
「へ?」

 水の滴る左半身を唖然と見下ろす俺に、離れたはずの大和が近づいてきた。
 俺の声を聞いて戻ってくるなんて、こいつは真面目で良いやつなんだろう。
 ジッと俺の姿を上から下まで確認した大和は、定食屋の暖簾の方を指差した。

「服、貸します」

 この時ばかりはさすがの俺も、二つ返事で「お願いします」をした。