俺が卵焼きに覆い被さっているのを、大和が覗き込んでくる。一つ結びにした金髪に息が掛かるくらい近い。本当に、こいつはパーソナルスペースをどこに捨ててきたんだろう。

「急にどうしたの?」
「なんと、なく」

 お前が好きなものを作って食べて欲しかった、なんて照れ臭くて言えるわけがない。
 切羽詰まった俺は、手元にある完璧な卵焼きの皿を大和の方へ差し出した。

「これ、女将さんが手本で作ってくれた」
「……隠してるのは蓮君が作ったやつだよね?」
「これは俺が責任持って……あ」

 大和にしては強引に腕を掴まれ、持ち上げられた。ただの甘い卵の塊を見ても、大和は眉ひとつ動かさない。
 もし人の心が読める人間だったとしたら、俺は今泣いていたと思う。絶対「うわ」って思っているに違いない。

「食えなくないけど全然美味くないからやめ」

 俺の静止なんて全く聞かずに、大和は皿を持っていってってしまう。引き止めようとする手を上手く避けて、置いてあった箸で残りの卵を全部口の中いっぱいに詰め込んだ。

 リスみたいに膨らんだ頬を揺らして無言で咀嚼している大和を、俺は恐々と観察する。喉が動いて飲み込んだことを確認するまで目が離せなかった。

「美味しいよ。ごちそうさま」

 絶対嘘だろ。
 涼しい顔で空の皿を見せてくる大和に言ってやりたいのに、動きが早くなった胸が温かくなるのはどうしようもない。脈打つ指先で額を抑えて、俺はテーブルに肘をついた。
 大和の顔を直視できない。また目がチカチカする。

「食って良いって言ってねぇ」

 ついでにお前のために作ったことも伝えてねぇ。なんで俺のですねと言わんばかりに食ったんだ。俺のこと避けてた癖に。

「だって、僕のだったんでしょ? 前に好きだって言ったから」
「う……」

 サラッと核心を突いてくる。なんでそんなに自信があるのか分からない。
 自意識過剰だぞ、と言ってやりたいけど正しいんだから言い返せなくて悔しい。

「もっと、上手く作れたの食って欲しかった」
「じゃあ、また作って」
「……」

 大和ってこんなやつだったっけ。
 テーブルと睨めっこしていても、大和の顔がすぐそこにあることが分かる。触れ合わなくても体温を感じてる。

 これはチャンスだ。久々に大和と会話できてる。そう思ったら、下手だろうとなんだろうと卵焼き作戦は成功だ。
 俺はギュッと目を瞑ってから顔を上げた。大和の真似をして、出来るだけ淡々と喋ろうと心がける。

「文化祭、来てくれたらな」
「え?」
「文化祭、他の学校の友達、呼んでいいんだ。他に、呼ぶやついねぇし」
「そう、なんだ」

 声を落ち着けると、心臓が暴れ回っていても意外と話せるみたいだ。ちゃんと話したい。だから黙り込まないように、俺はとにかく言いたいことを並べていく。

「あと」

 ゆっくりと、はっきりと。伝わるように言わないと意味がない。

「避けないで、くれよ」
「……避けてたわけじゃ」
「なんかしたなら、教えてくれ。分かんねぇから」

 声が掠れたけど、なんとか言えた。
 震える手を伸ばして、すぐそばにある大和のTシャツを掴む。返事を聞くのも表情を見てるのも怖くて目線が下がりそうになるのを必死で耐えた。

 大和は返事に迷っているのか困っているのか、瞳を大きく揺らした。
 それから、俺の頭を指の長い手で優しく撫でた。

「蓮君は、何も悪いことしてないよ」

 促されるまま、俺の額は大和の肩に当たる。まるで、俺に顔を見られたくないみたいだ。
 答えを曖昧にして話を終わらせようとしているのが伝わってきて、俺は結局何も言えなくなった。

 悪くないのにどうして避けるんだって、言えないまま服を掴んでいた手を離す。

「蓮君のクラスの作品も、卵焼きも楽しみにしてるね」

 顔は見えなかったけど、耳心地の良い静かで優しい声が降り注いだ。

 そして、体温が離れていく。
 部屋に戻るであろう大和の背中を、追いかける勇気が出ない自分が悲しい。
 こういう時にまた歩み寄る方法を知る機会を捨ててきた俺は、身動き取れなくなってしまう。

「どうしろってんだよ……」

 熱くなってきた目頭をグッと指で摘み、俺はなんとか甘しょっぱい卵焼きを食べ切った。