俺と大和は顔を見合わせて、何も言わずに足を動かした。空を見上げたり手のひらを開いたりして騒ついている周囲の人たちを掻き分けていく。
 体の大きい大和は俺よりも動きやすいらしい。一歩先を行って道を作ってくれてるけど、着慣れない浴衣のせいで俺たちの距離が離れていく。

「ちょ、大和早いっ」
「ご、ごめん」

 傘を手に待つ人たちも出てきた中で、大和の腕が俺に伸びてくる。反射的に伸ばした俺の手を、大きな手ががっしり掴んだ。

 手のひらからじゅわじゅわと熱が広がる。人に揉まれているせいか、早歩きのせいか、それとも別の何かのせいか。
 心臓が波打ち、チカチカと目眩がした。
 自分から出てくる音が全部うるさくて、周りの音が聞こえない。

 俺たちは頭に当たる雫を気にしている間もなく、人の波を抜けた。

 周りの音や色が判別できるようになったのは、大和とコンビニに飛び込んでからだ。
 運がいいことに、俺たちが屋根の下に入ってから雨足が強まった。

 涼しい空気を頬に受けてホッと一息吐く。真っ先に浴衣の確認をすると、首元がよれてはだけてしまっていた。帯の下も着崩れてるなんてもんじゃなかったけど、意外と濡れてはいなくて安心する。
 俺はもうよれてるからいいかと、浴衣の合わせ目をパタパタと動かして汗ばんだ体に冷えた風を送った。

「ギリギリセーフってことにするか」

 口元を緩めて大和を見上げると、ふいっと目線を逸らされてしまった。
 俺を引っ張って走ってくれたから体力を使ったのだろう。
 頬だけじゃなくて、耳も首元も目に見えて赤くなっている。熱があるんじゃないかと心配になるくらいだ。

「暑いよな、スポドリでも買うか」
「そうだね……あつい……」

 走り過ぎて喉が痛いのかもしれない。
 呟きは微かに聞こえる程度でしかなく、よっぽど疲れているんだろう。俺がいるのとは反対側の肩の袖で口元を拭って、大和の顔は隠れてしまった。

(あ)

 俺は店内のドリンクコーナーに足を進めようとして、ふと気がつく。大和と手を繋いだままだった。もう繋いでる必要もないし、離してしまえばいいんだけど。
 大和も無意識なのか全然手の力が弱まらない。
 無理に外そうとすると振り払うみたいになってしまって、嫌な感じになりそうだ。

 どうしたもんか分からなくて、何度か手を開いたり握ったりと動かしてみるが反応は無し。
 表情も全く動かない。

(まぁ……いっか……)

 俺たちはそのまま、飲み物二本と傘を一本買って店を出た。よく見かける店員の目がチラリと手元を見た気がしたのは、幻覚だということにしよう。

「この分だと、花火は無しだね」

 止む気配のない雨が、ビニール傘を打つ。
 雨雲と同じくらい暗い大和の声が近距離から振ってくる。

 定食屋まで行くだけだから一緒に入れば良いって提案を受けてその通りにしたけど、想像よりくっつかないと入れなかった。
 浴衣が濡れるのを気にする俺のために、傘を持ってる大和の肩の生地は濡れて肌にへばりついてしまっている。

 花火なんて、今まで行こうとも思ったことがなかったのに。俺も正直気持ちが沈んでた。でも友達は、こういう時に元気づけるもんだろう。

「残念だけど、来年のを楽しみにしようぜ」

 柄にもなく明るい声を出して大和の背中を叩く。大和はピクッと肩を震わせて、やっと俺の方を見た。

「来年……」
「あー、えと。俺とじゃなくてもな。花火はだいたい毎年見れるから」

 来年の約束までしようとしてる図々しい奴になったと、言葉を付け加える。しかしそうすると、今度は「お前とは行きたくない」って言ってるみたいになってしまったかと思って更に口を動かした。

「もちろん、あの、お前と来年行きたくないわけじゃなくて……その……うー」

 今度は俺が目を背ける番になった。
 足元の水たまりを蹴りながら言葉を探す。靴が濡れても気にならないほど頭を悩ませても、上手く言えない。

 俺はお前といつでも花火でもなんでも行きたいけど、お前はお前で色んな人と楽しんでくれて大丈夫だから。
 このまま伝えて大丈夫なんだろうか。どうしても「俺と行こう」って言ってるように感じるのは俺の勘違いか。

「蓮君」

 言葉がまとまらずに黙った俺の肩に、大和がコンッと軽く肩をぶつけてきた。
 おずおずと顔を上げた俺は、眉が下がって情け無い顔になっているだろう。
 けれど、足を止めて向けられる大和の瞳に捉えられれば、きちんと聞こうと背筋が伸びた。

 傘を強く握りしめる大和の手が震えている。
 唇がなかなか動かなくて、俺は耳を澄ませた。聞き逃したら、二度目は言ってくれない気がしたから。
 雨音に邪魔されないように、こっそり背伸びして耳を近づける。

「僕は、蓮君と二人で花火が観たいんだよ」

 雨が上がらなくても、世界が煌めく。
 夜空を彩る月も、星も、花火も、一切必要ないんだ。
 俺もだよ、の一言が体全体から発されているのに喉からは出てこない。
 真っ直ぐに俺を捉える黒い光は、目を逸らすことを許してくれず。辛抱強く、俺の言葉を待っている。

「ら、来年は、てるてる坊主でもつくるか」

 絶対に言うべき言葉はこれじゃない。自分で自分にガッカリする。
 てるてる坊主なんて、作った記憶もほとんどないってのに。

 でも大和には、なんとなく伝わってくれたらしい。来年の花火大会も、俺もお前といたいってこと。出来れば、晴れの日に。
 大和は白い歯をこぼして、雨に濡れてしまった手で金髪を撫でてきた。

「可愛いね」
「ガキみたいな発想で悪かったな」
「……可愛い」

 うるさい。雨の音も、俺の心臓の音も、ヤマトの声以外は全部うるさい。
 そのくらい優しい声で、俺には似合わない単語を繰り返すもんだから、堪らなくなって。

 店に着いた瞬間、俺は大和を残して素早く暖簾をくぐった。