そして予想通り。
どうやら店の制服らしい婆さんと揃いのエプロンをつけた爺さんは、軽快に包丁の音を立てながらずっと喋りかけてくる。俺が相槌を打とうが打つまいが御構い無しだ。適当にした返事が婆さんと被ってしまった時の気まずさと言ったらない。
婆さんも婆さんで「これ食べてあれ食べて」と、皿が空になる度に食べ物を持ってきた。絶対店で出さないようなスナック菓子まで登場してしまって、わんこ蕎麦でも食べてるみたいだ。
美味いけど、流石にもう帰りたい。なんだこの時間。
俺は勇気を振り絞って腰を上げる。
「あの、俺そろそろ」
「ただいまー。祖父さん、頼まれてたの……あれ」
このタイミングで新しい人物が登場してしまった。
ガラガラと引き戸が開く音がして、紺色の暖簾が動く。
現れたのは、スラリと背が高い眼鏡を掛けた高校生だった。
(……エリート様だ……)
クリーム色のニットベストに赤と紺のストライプネクタイ、グレーのスラックス。俺なんか門前払いだろう有名な進学校の制服を見て思わず緊張してしまう。
「おお、大和すまんな!」
カウンターから、シワシワの分厚い手が伸びてきた。反射的に体を逸らすと、大和と呼ばれたそいつが青い買い物袋を爺さんに渡す。
俺が座っているせいか、近くで見ると異様にデカく見える。
間違いなく、こいつが俺と同い年の孫のようだ。
さっきは軽く聞き流したけど、本人の制服を目の前にすると妙に格式高い名前に感じた。
「あのね大和。この子は蓮くんっていって、さっきおじいちゃんを助けてくれたの! 同い年なのよー!」
「へぇ。ありがとうございます」
俺の両肩に手を置いてニコニコと嬉しそうな婆さんとは正反対に、表情筋死んでるのかって真顔で大和は軽く頭を下げる。
すぐに俺たちに背を向けて、店の奥にあるスタッフオンリーと書かれたドアへと消えていった。
「もー! ごめんなさいね、愛想がない子で!」
婆さんは眉を下げたけど、俺は安心した。
この夫婦みたいにガツガツ話しかけてくるような孫じゃなくて良かった。
「じいちゃんを助けてくれてありがとう! この辺の学校なの? 今度遊ぼうよ! 連絡先は?」
なんて、距離感バグった宇宙人が現れてたら胃痛で救急車を呼ぶ羽目になっていただろう。
とにかくなんとなくキリがいいし、そろそろ夕飯を食う人が来るぐらいの時間になってきた気がする。皿も湯呑みも空っぽだ。
(今だ!)
俺は今度こそ立ち上がった。
「えっと、俺はそろそろ」
帰ります、と確かに言った。言ったのに、小さすぎたその声はガラガラガラガラッという無遠慮な音に掻き消されてしまった。
と、同時に、もっとけたたましい声が店内に響き渡る。爺さん二号の登場だ。
「おーい! 大将ー! 今日、大人数で入って大丈夫かー?」
「おー! 珍しいな! 町内会でなんかやったんか!」
なんで爺さんって叫びながら会話するんだろう。
せっかく立ち上がったのに出口を塞がれて動けなくなった俺に、爺さん二号が日焼けした顔を向けてきた。
「そうそう! お、なんだ派手な兄ちゃんだな! 大和の友だちか?」
そんなわけあるか。
お前は大和を知ってんのか。俺みたいな不良もどきと友だちやるわけないだろ眼鏡のエリート様だぞ。
「この子は蓮くんって言ってなー」
爺さん、紹介しないでくれ俺は帰りたい。
でもどう言って良いのか分からない。
作り笑いもせずに立ち尽くしていると、ゾロゾロと、それはもうゾロゾロと人が店に入ってきた。
この入る波が終わったらやっと帰れる。
そう思っていたんだけど。
「すまん蓮くん! ちょっとこれそっちに」
「は、はい」
「にいちゃんにいちゃん! ビール頼んでくれ! 3つ!」
「え、あ、はい」
何故か俺は皿の乗ったお盆を持って店の手伝いをしていた。
本当になんで?
この店は和食中心の定食屋らしい。
6人座りのテーブルに焼き魚定食を置いてから、俺はカウンターに向かう。でも、爺さんも婆さんも手を動かしながら客と話してて忙しそうだ。
どうしたもんかと情けなくオロオロしているところに、スタッフオンリーのドアから濃紺のエプロンをつけた眼鏡が降りてきた。
「あ……」
「どうしました」
困り果てていることがすぐに伝わったらしい。
大和は長めの前髪を揺らして静かに首を傾げた。
俺は藁にもすがる気持ちで注文したおじさんのいるテーブルを指差した。
「び、ビール、3つだって」
「瓶? ジョッキ?」
「え」
知るかそんなこと。
答えられずに固まった俺を見て、大和は店の中を見回した。ほとんど席は埋まっていて、みんな親しげに喋りながら食べている。
その光景を見ただけで、大和は頷いた。
「分かりました。ここに居てください」
何が分かったんだ。俺が使えないことがか。
大和はカウンターに入ったかと思うと、ビール瓶を三本持って出てきた。
ぼんやりと大きな体が動くのを見ていると、客のおじさんは笑って受け取っている。そのまま周りの小さいコップにビールを注ぎ始めた。
よく見たらそのテーブルには既に空のビール瓶があったみたいで、大和はそれを持って戻ってきた。
「こっちへ来てください」
全くこちらを見ず、抑揚のない声で告げられた。
俺が言えたことじゃないけど、本当に無愛想だ。客とのやりとりでも一つの笑顔も見せなかった。
大丈夫なのか、こいつに接客を手伝わせて。
でもそれを指摘する必要もないので、心の中で思うだけにして指示通りついて行く。
調理場の奥にある裏口を出て、デカいゴミ箱のある暗い路地を歩く。
もちろん、お互いずっと無言だ。
すると、車の音や人が行き交う明るい道へ出た。
見慣れた通学路の商店街だ。
「帰れなくなってすみません。じゃあ」
「お、あ……ああ」
どうやら、俺の状況を察して助けてくれたらしい。
そう気づいた時にはもう路地の闇に消えてしまっていて、礼を言うことすらできなかった。
向こうも、そんなものは望んでないだろう。
あれだけこっちと仲良くする気がない相手だと、逆に気が楽だ。
それも俺がこんな形だからではなく、誰にでもそうであることがあの短い間だけでも伝わってきたしな。
なんだか不思議な気持ちで、俺は無事帰路に着いたのだった。
どうやら店の制服らしい婆さんと揃いのエプロンをつけた爺さんは、軽快に包丁の音を立てながらずっと喋りかけてくる。俺が相槌を打とうが打つまいが御構い無しだ。適当にした返事が婆さんと被ってしまった時の気まずさと言ったらない。
婆さんも婆さんで「これ食べてあれ食べて」と、皿が空になる度に食べ物を持ってきた。絶対店で出さないようなスナック菓子まで登場してしまって、わんこ蕎麦でも食べてるみたいだ。
美味いけど、流石にもう帰りたい。なんだこの時間。
俺は勇気を振り絞って腰を上げる。
「あの、俺そろそろ」
「ただいまー。祖父さん、頼まれてたの……あれ」
このタイミングで新しい人物が登場してしまった。
ガラガラと引き戸が開く音がして、紺色の暖簾が動く。
現れたのは、スラリと背が高い眼鏡を掛けた高校生だった。
(……エリート様だ……)
クリーム色のニットベストに赤と紺のストライプネクタイ、グレーのスラックス。俺なんか門前払いだろう有名な進学校の制服を見て思わず緊張してしまう。
「おお、大和すまんな!」
カウンターから、シワシワの分厚い手が伸びてきた。反射的に体を逸らすと、大和と呼ばれたそいつが青い買い物袋を爺さんに渡す。
俺が座っているせいか、近くで見ると異様にデカく見える。
間違いなく、こいつが俺と同い年の孫のようだ。
さっきは軽く聞き流したけど、本人の制服を目の前にすると妙に格式高い名前に感じた。
「あのね大和。この子は蓮くんっていって、さっきおじいちゃんを助けてくれたの! 同い年なのよー!」
「へぇ。ありがとうございます」
俺の両肩に手を置いてニコニコと嬉しそうな婆さんとは正反対に、表情筋死んでるのかって真顔で大和は軽く頭を下げる。
すぐに俺たちに背を向けて、店の奥にあるスタッフオンリーと書かれたドアへと消えていった。
「もー! ごめんなさいね、愛想がない子で!」
婆さんは眉を下げたけど、俺は安心した。
この夫婦みたいにガツガツ話しかけてくるような孫じゃなくて良かった。
「じいちゃんを助けてくれてありがとう! この辺の学校なの? 今度遊ぼうよ! 連絡先は?」
なんて、距離感バグった宇宙人が現れてたら胃痛で救急車を呼ぶ羽目になっていただろう。
とにかくなんとなくキリがいいし、そろそろ夕飯を食う人が来るぐらいの時間になってきた気がする。皿も湯呑みも空っぽだ。
(今だ!)
俺は今度こそ立ち上がった。
「えっと、俺はそろそろ」
帰ります、と確かに言った。言ったのに、小さすぎたその声はガラガラガラガラッという無遠慮な音に掻き消されてしまった。
と、同時に、もっとけたたましい声が店内に響き渡る。爺さん二号の登場だ。
「おーい! 大将ー! 今日、大人数で入って大丈夫かー?」
「おー! 珍しいな! 町内会でなんかやったんか!」
なんで爺さんって叫びながら会話するんだろう。
せっかく立ち上がったのに出口を塞がれて動けなくなった俺に、爺さん二号が日焼けした顔を向けてきた。
「そうそう! お、なんだ派手な兄ちゃんだな! 大和の友だちか?」
そんなわけあるか。
お前は大和を知ってんのか。俺みたいな不良もどきと友だちやるわけないだろ眼鏡のエリート様だぞ。
「この子は蓮くんって言ってなー」
爺さん、紹介しないでくれ俺は帰りたい。
でもどう言って良いのか分からない。
作り笑いもせずに立ち尽くしていると、ゾロゾロと、それはもうゾロゾロと人が店に入ってきた。
この入る波が終わったらやっと帰れる。
そう思っていたんだけど。
「すまん蓮くん! ちょっとこれそっちに」
「は、はい」
「にいちゃんにいちゃん! ビール頼んでくれ! 3つ!」
「え、あ、はい」
何故か俺は皿の乗ったお盆を持って店の手伝いをしていた。
本当になんで?
この店は和食中心の定食屋らしい。
6人座りのテーブルに焼き魚定食を置いてから、俺はカウンターに向かう。でも、爺さんも婆さんも手を動かしながら客と話してて忙しそうだ。
どうしたもんかと情けなくオロオロしているところに、スタッフオンリーのドアから濃紺のエプロンをつけた眼鏡が降りてきた。
「あ……」
「どうしました」
困り果てていることがすぐに伝わったらしい。
大和は長めの前髪を揺らして静かに首を傾げた。
俺は藁にもすがる気持ちで注文したおじさんのいるテーブルを指差した。
「び、ビール、3つだって」
「瓶? ジョッキ?」
「え」
知るかそんなこと。
答えられずに固まった俺を見て、大和は店の中を見回した。ほとんど席は埋まっていて、みんな親しげに喋りながら食べている。
その光景を見ただけで、大和は頷いた。
「分かりました。ここに居てください」
何が分かったんだ。俺が使えないことがか。
大和はカウンターに入ったかと思うと、ビール瓶を三本持って出てきた。
ぼんやりと大きな体が動くのを見ていると、客のおじさんは笑って受け取っている。そのまま周りの小さいコップにビールを注ぎ始めた。
よく見たらそのテーブルには既に空のビール瓶があったみたいで、大和はそれを持って戻ってきた。
「こっちへ来てください」
全くこちらを見ず、抑揚のない声で告げられた。
俺が言えたことじゃないけど、本当に無愛想だ。客とのやりとりでも一つの笑顔も見せなかった。
大丈夫なのか、こいつに接客を手伝わせて。
でもそれを指摘する必要もないので、心の中で思うだけにして指示通りついて行く。
調理場の奥にある裏口を出て、デカいゴミ箱のある暗い路地を歩く。
もちろん、お互いずっと無言だ。
すると、車の音や人が行き交う明るい道へ出た。
見慣れた通学路の商店街だ。
「帰れなくなってすみません。じゃあ」
「お、あ……ああ」
どうやら、俺の状況を察して助けてくれたらしい。
そう気づいた時にはもう路地の闇に消えてしまっていて、礼を言うことすらできなかった。
向こうも、そんなものは望んでないだろう。
あれだけこっちと仲良くする気がない相手だと、逆に気が楽だ。
それも俺がこんな形だからではなく、誰にでもそうであることがあの短い間だけでも伝わってきたしな。
なんだか不思議な気持ちで、俺は無事帰路に着いたのだった。