「大変です、岩崎部長——」
十月十四日、月曜日。爽やかな秋風の吹く月曜日の朝に優希が出勤すると、部下の一人が血相を変えて優希の元に飛んできた。挨拶の一つもなく話しかけられて、優希は驚く。一体何事だ? まだ朝礼も始まる前の時間だ。その前に部下が仕事の要件で話しかけてくることはあまりない。どうしたんだと鋭い視線を向けると、彼は額に汗を浮かべながら自らのスマホを差し出してきた。
「この記事、見てください。炎上しています」
「記事?」
何のことだ、と訝しく思いながら、部下が差し出してきたスマホの画面を覗き込む。どうやら画面はつぶやき投稿のできるSNSを映し出しているようだった。優希も使用している。自分で発信することはほとんどないが、その時々の世間のトレンドを追うのに便利なのだ。
そんなSNSで部下が表示していたのは、見知らぬアカウントの投稿画面だった。アカウント名は「Zen」。プロフィール画面は青く澄み渡る海の写真で、怪しいところは何もない。「記事」と言われたのでニュース記事のようなものを想像していたが、どうやら違うらしい。部下が言う「記事」は、どうやらその「Zen」という人物が書いたブログのようだ。
「『双子の弟を轢き殺された兄の叫び』」
タイトルを読み上げて、優希は絶句する。頭の中で「Zen」という名前が「善」という漢字に変換された。
恐る恐る、記事のURLをタップする。リンク先で表示されたのは個人のブログが投稿できるサイトの画面だ。先ほどのタイトルの下に、ずらりと文章が綴られている。文字数にすると三千字ぐらいだろうか。そこには一年前の春に、双子の弟を轢き殺されたという兄の心境がびっしりと綴られていた。
『タイトルを見て、この記事にたどり着いてくださった皆様、ありがとうございます。僕は現在、東帝大学の三年生です。RESTARTという会社で長期インターンをしています。タイトルとインターンの話は関係ないと思われたかもしれませんが、どうしても、書かなければならない理由があるので、言及しました。会社名を晒してしまうことは、申し訳ないと思っています』
「なんだ、これは……彼が、どうしてこんなことを——」
優希の動揺に、部下は何も答えない。固唾をのんで優希が記事を読むのを見守っている——そんな気配がひしひしと伝わってきた。
『一年前の春、僕は双子の弟を失いました。とある会社の営業車に乗っていた人物に轢き逃げをされたんです。営業車を運転していたと思われる人物はいま、刑務所にいます。去年、ニュースにもなったので知っている人も多いかもしれません。事件は容疑者が捕まることで解決した——そんなふうに思っていました。世間もこの事件に関してはもうほとんど関心を寄せていません。みんなの心から、忘れ去れています。でも、実際はまだ解決していないのかもしれない。そんなことを考え出したのは、ある人物に出会ってからでした』
「彼」が綴った文章を、一つ一つ目で追っていく。段落が進むごとに、心臓の動きがどんどん速くなっているのを感じた。
『その人——Mさんはこの事件の容疑者として捕まった人の娘です。僕と同じ歳でもともと知り合いでしたが、RESTARTの宿泊型インターンで同じグループになり、交流を再開しました。そのMさんの父親は弟の元職場の上司でした。弟はMさんの父親の会社を去ったあと、RESTARTに転職したんです。でも弟はRESTARTの仕事内容で不審に思う点に気づいて、RESTARTのことをMさんの父親に相談していたようです』
優希の頭の中で、二年前に就職してきた「彼」の姿がフラッシュバックする。
仕事ができそうな人間だとは最初から思わなかった。思ったとおり、「彼」はパソコン業務もままならず、任せられることは少なかった。だが、優希の予想とは裏腹に、物事に対する着眼点には目を瞠るものがあった。
——岩崎部長、ホームレスの人たちに提供する施設サービスのことなんですけど、ちょっとおかしいと思う点があって。
彼は、人事部長である自分にも、臆することなく意見をしてきた。入社してまだ一ヶ月やそこらの若者の意見としては、あまりにも鋭い。優希は、そんな「彼」を脅威だと感じるようになっていった。
十月十四日、月曜日。爽やかな秋風の吹く月曜日の朝に優希が出勤すると、部下の一人が血相を変えて優希の元に飛んできた。挨拶の一つもなく話しかけられて、優希は驚く。一体何事だ? まだ朝礼も始まる前の時間だ。その前に部下が仕事の要件で話しかけてくることはあまりない。どうしたんだと鋭い視線を向けると、彼は額に汗を浮かべながら自らのスマホを差し出してきた。
「この記事、見てください。炎上しています」
「記事?」
何のことだ、と訝しく思いながら、部下が差し出してきたスマホの画面を覗き込む。どうやら画面はつぶやき投稿のできるSNSを映し出しているようだった。優希も使用している。自分で発信することはほとんどないが、その時々の世間のトレンドを追うのに便利なのだ。
そんなSNSで部下が表示していたのは、見知らぬアカウントの投稿画面だった。アカウント名は「Zen」。プロフィール画面は青く澄み渡る海の写真で、怪しいところは何もない。「記事」と言われたのでニュース記事のようなものを想像していたが、どうやら違うらしい。部下が言う「記事」は、どうやらその「Zen」という人物が書いたブログのようだ。
「『双子の弟を轢き殺された兄の叫び』」
タイトルを読み上げて、優希は絶句する。頭の中で「Zen」という名前が「善」という漢字に変換された。
恐る恐る、記事のURLをタップする。リンク先で表示されたのは個人のブログが投稿できるサイトの画面だ。先ほどのタイトルの下に、ずらりと文章が綴られている。文字数にすると三千字ぐらいだろうか。そこには一年前の春に、双子の弟を轢き殺されたという兄の心境がびっしりと綴られていた。
『タイトルを見て、この記事にたどり着いてくださった皆様、ありがとうございます。僕は現在、東帝大学の三年生です。RESTARTという会社で長期インターンをしています。タイトルとインターンの話は関係ないと思われたかもしれませんが、どうしても、書かなければならない理由があるので、言及しました。会社名を晒してしまうことは、申し訳ないと思っています』
「なんだ、これは……彼が、どうしてこんなことを——」
優希の動揺に、部下は何も答えない。固唾をのんで優希が記事を読むのを見守っている——そんな気配がひしひしと伝わってきた。
『一年前の春、僕は双子の弟を失いました。とある会社の営業車に乗っていた人物に轢き逃げをされたんです。営業車を運転していたと思われる人物はいま、刑務所にいます。去年、ニュースにもなったので知っている人も多いかもしれません。事件は容疑者が捕まることで解決した——そんなふうに思っていました。世間もこの事件に関してはもうほとんど関心を寄せていません。みんなの心から、忘れ去れています。でも、実際はまだ解決していないのかもしれない。そんなことを考え出したのは、ある人物に出会ってからでした』
「彼」が綴った文章を、一つ一つ目で追っていく。段落が進むごとに、心臓の動きがどんどん速くなっているのを感じた。
『その人——Mさんはこの事件の容疑者として捕まった人の娘です。僕と同じ歳でもともと知り合いでしたが、RESTARTの宿泊型インターンで同じグループになり、交流を再開しました。そのMさんの父親は弟の元職場の上司でした。弟はMさんの父親の会社を去ったあと、RESTARTに転職したんです。でも弟はRESTARTの仕事内容で不審に思う点に気づいて、RESTARTのことをMさんの父親に相談していたようです』
優希の頭の中で、二年前に就職してきた「彼」の姿がフラッシュバックする。
仕事ができそうな人間だとは最初から思わなかった。思ったとおり、「彼」はパソコン業務もままならず、任せられることは少なかった。だが、優希の予想とは裏腹に、物事に対する着眼点には目を瞠るものがあった。
——岩崎部長、ホームレスの人たちに提供する施設サービスのことなんですけど、ちょっとおかしいと思う点があって。
彼は、人事部長である自分にも、臆することなく意見をしてきた。入社してまだ一ヶ月やそこらの若者の意見としては、あまりにも鋭い。優希は、そんな「彼」を脅威だと感じるようになっていった。