────ふとした瞬間に嬉しくなって、

些細なことで悲しくなって。

────思い返すとなんでもない時間が一番楽しくて、

だけどそれらが全部心から消えるくらい今はすごく苦しい。


きっと人生なんてそんなもの。だけどそれだけじゃだめなの?って。

その小さな積み重ねが幸せなんだとしたら、君は、人は、他に何を世の中に望むの?って。

あの日、僕に言ったよね。


だから僕はこうして今を精一杯生きている。


死にたくない。生きたいって。

今ここにあるその気持ちを尊重することが、

僕にとっては何より大切なことだから。

その優先順位さえ守れば、僕は幸せだから────




それはたった3分ちょっとの曲だった。

だけどそこに詰まった彼の言葉の重みは心の奥深くへと沈み、
その瞳に気づいた時にはもう、


────恋に落ちていた。





「ハルって本当かっこいいよねー」
「この写真とかやばくない?」


夕方のごった返している渋谷駅の構内。
電車のアナウンスや行き交う人の会話、数え切れない音が狭い空間を飛び交う中、
女子高生たちの声は周波数の高さからかしっかりと聞こえた。

声の方へ目をやると大きな看板にスマホを向けて写真を撮っているのが見える。
すぐに写真をチェックして角度を変えてまたカメラを向ける。
私が見ていた数十秒間で少なくとも2回はその動作を繰り返していて、
あんなに分かりやすく人前で自分の気持ちをさらけ出すことは私には到底できないと思った。


────まもなく3番線に電車がまいります


聞き慣れたメロディーと声質を合図に足を進め、電車に乗り込む。
奇跡的に空いていた向かい側シートの端っこは私の前にいたサラリーマンに座られてしまい、
私は仕方なくその真横のドアに背中を預けた。

電車が走り出すよりも先にポケットから出したスマホ。
カメラマークの赤紫のアプリをタップして開くと、
そこには先程女子高生たちが撮っていた彼の画像がいくつも並んでいる。
スクロールしていくうちに見つけた看板を撮ったとは思えないほど綺麗に撮影された画像。
すぐさまハートマークを押して保存をする。

開いたカメラロールに並ぶのは上下左右、その上の段も気持ちがいいほど同じ顔だった。

看板を撮っていた女子高生を冷めた心で眺めていたけれど結局は自分だってその中の一人でしかなくて、
それどころか私の場合は努力もせずにボタン一つでその写真をスマホの中に収めてしまっている。

これでいいのか、上手く撮れなかったとしても一応ファンなんだから、
一度くらいは自分で看板を撮りに行くべきじゃないのか。
そう心の隅で思う自分と、そんな努力をしたところで何になるのかと思う自分。
その二つがいつも小さな衝突を起こしていて、そして最後に勝つのは決まって後者だった。




彼のことを知ったのは2年前の春、高校生になったばかりの頃のことだった。
初めて目にしたその人はテレビの中で歌を歌っていて、
その表情はとても同い年とは思えないほどキラキラと輝いていた。
くっきりとした二重からカメラに向けられる眼差しは力強いのにマイクに乗った声は驚くほどに優しくて、
綴られた歌詞には目には見えない不思議な重みがあった。

電車がトンネルに入り窓の外が真っ暗になったガラスにぼんやりと自分の顔が反射して映り込む。
髪が少し乱れているのが気になり手櫛で整える姿は、やっぱり彼と同じ年数を生きているようには見えなかった。




あの曲を聴いた時、私は彼に救われた。
歌詞に綴られた彼の言葉、




「人生なんてそんなもの。だけどそれだけじゃだめなの?」


────決して大人な大人なふりをしないハルらしい言葉だとファンは言った。



「その小さな積み重ねが幸せなんだとしたら、君は、人は、他に何を世の中に望むの?────」


────どんなに有名になっても初心を忘れたくないというのがハルの口癖だった。



そんな彼の言葉や表情からは「今僕は幸せなんだ」というメッセージが痛いほど伝わってきて、
彼の声で世間に投げかけられた問いは、多くの人の心に刺さった。



だけど私があっけないほど簡単に恋に落ちたのは、彼の人生観に衝撃を受けたからじゃない。

むしろそう感じているのは自分だけじゃなかったんだと、
初めてそう思えたから。


私の独自の人生観。幸せの概念がいつどこで作られたかは分からない。

一つ言えるのは、上司の愚痴ばかりこぼす父親と上手くいかないことに対して自己否定が基本の母親。
幼い私にとってそんな二人はお世辞にも幸せそうには見えなかったこと。


その姿を見る度に私はいつも思っていた。

どうしてそんなに完璧を求めようとするの?

今こうしてここにいられるだけで幸せなんじゃないの?

欲しかった本を読んで感動したり、たまたま見た映画がすごく良かったり、
好きな人ができてその人のことを考えたり、それだけで私は今幸せだよ?

そんな訴えに近い問いかけが、いつも心には浮かんでいた。

実際、その人生観のおかげで私が日々幸せを感じながら生きていたのは事実。
だけど私も所詮人間で、弱音を吐きたくなる日も当然あった。


小学校から中学。中学から高校。
成長と共に時々感じるようになった途轍もない不安。

この暗い生活がこれからずっと続くのかもしれない、
”幸せ”なんてこの先一生ないかもしれない。

自分を信じられないから、今だけはせめて一歩先を光で照らしてほしい。
できることなら、誰かに前を歩いてほしい。
たまには誰かに支えてほしい。

ただ一人自分だけを信じてひたすら突き進むなんて十代の若者には無謀な話で、
幸せそうに生きる姿をいつか誰かに見せてほしかった。



そして偶然にも高校に入学したあの頃の私は家庭環境、学校生活や将来への不安、
それらのバランスが今まで以上に大きく崩れている状態で、


そんな時に現れた彼は、まるで救いの手のようだった。


自分は一人じゃない。
相手が何者であったとしても、同い年で、同じ東京で、
同じように感じている人間が確かに一人はいる。


「人生なんてそんなもの。だけどそれだけじゃだめなの?」

「その小さな積み重ねが幸せなんだとしたら、君は、人は、他に何を世の中に望むの?────」


その言葉に、私は心底救われた。





だけど当然、そんな思いを直接彼に伝えることは一生できない。

私の存在なんて彼にとってはただの「ひとりのファン」でしかないのが当たり前で、
私にとって彼の存在がどんなに特別だろうが関係ない。

その特別という感情は”リア恋”という現代語句のピースに綺麗にはまり、
そこがその感情の終着点であり末路なんだと悟った時はどうしようもなく虚しくなった。

そしてそんな揺るぎない現実に対する虚しさだけは、彼の歌を聴いてもいつまでも晴れることはなかった。


スマホを握りしめたまま気づけばもうすぐ降りる駅。

画面を少し持ち上げると彼の綺麗な笑顔がそこにあって、
私はその笑顔を守るようにそっと指で撫でた。



「この後どうする?」
「あ、カラオケ行かない?」


ちょうど向かい側のドアの前。
静かな車内で楽しそうに話す高校生の男女の声が耳に届く。
恥ずかしいけれど、もしあんな風にハルが同級生にいたら、しかも幼なじみだったらって考えたことがないと言ったら嘘になる。


駅に着き、電子音と共に開くドア。
連なってホームに降りる人に続くとふいにドサッと音がして、私の少し前に手帳が落ちた。
落とし主はおそらくその前を歩いている若い男性らしき人だろう。

「あの、すみません」

こういういつもは起こらないことがあるとやっぱり私は思ってしまう。
振り向いた若い男性がハルだったらなって。


「…ありがとうございます。」


だけどボソボソとした声も、温もりの感じない瞳も、
振り向いた先にあった何もかもが明らかにハルとは違った。
そんなことある訳ないと分かっていながらも、学習せず毎度浮ついてしまう私の心をどうにかして欲しい。

いつもの帰り道、景色、人々。
心の浮つきは家に近づくにつれて自然と奥へと沈んでいき、そして案の定玄関を開けて入ると昨夜からの重たい空気に一気に現実に引き戻されていく。

今は誰も居ないけれど、おそらく今夜も昨日の揉め事が家族の団欒を飲み込むんだろう。
帰ってきた時点でそう察しが着いてしまうほど、目の前の現実は固くて揺るぎないのだ。