テンションが落ち着いた私たちは次の広間に辿り着く。
先ほどの部屋では明確に命を奪おうという殺意のある罠が存在した。
これにより、どこかピクニック気分だった気の弛みは引き締められ、注意深く行動するよう二人で示し合わせる。

「さっきみたいに扉はあるけど、他は何もないねー?」

そうなのだ。
今度はどんな謎解きをと身構えていた私たちを待っていたのは何もない部屋。
拍子抜けすると同時に、途中で何かを見落としたのだろうかという不安が頭をよぎる。

「もういちど詳しく調べてみようか?」

今度は這いつくばって地面を調べまでしたのに、やはり結果は芳しくなかった。

二人して部屋の中央で頭を捻っていると……
みしり
小さく何かが軋む音が聞こえた。
その音は徐々にリズムを短かくしながら断続的に続いていき、音の出所を探って上を見上げた瞬間

「危ない!!!!」

横からの強い衝撃で弾き飛ばされ、世界がゆっくりに切り替わる。
カメラが引くように視界が広まっていき、最後に映ったのは天井から落ちてきたであろう様々な大きさの岩やタイルと、両手を突き出したポーズでどこかホッとしたような表情をしたアカリだった。

轟音とともに岩煙が巻きあがり、世界の速さが元に戻る。
地面に倒れこんだ痛みも忘れ、唖然と煙の方を見つめてしまう。

「アカリ!」

煙が晴れるのも待たず、手が傷つくこうとも瓦礫を必死にかき分けると、頭から血を流し意識を失っている彼女を見つけ出すことができた。
幸いなことに頭部以外の目立った怪我は見られないが、素人診断に過ぎない。
安静にしてアカリが目覚めるのを待つか、背負ってでも前に進んで他の人に出会えるチャンスに賭けるのか。
人の生き死にに関する決断を、自分ひとりで決めなければならない。
そのことに気が付いて身体の震えと冷汗が止まらなくなる。

そもそも、なんでこんな訳の分からない洞窟に閉じ込められなければならないのか?
どうしてせっかく仲良くなれそうだった子がこんな目に合わなければならないのか?
なぜ私はあの時全力でその場から離れなかったのか?
頭はもうグチャグチャで、堪えきれずにその場でしゃがみこんでしまう。

「私が何したっていうの……」

涙は目から溢れだし、嗚咽を漏らしながら弱音が口からこぼれ出る。
しかし、頭の中の彼女がそれを許さない。
もし逆だったら彼女はどうするだろう?
活力に溢れ、バックのギアを忘れてきたような子だ。
きっと這ってでも前に進もうとするだろう。

乱暴に目元を拭い、頭に包帯代わりにブラウスを巻いた彼女を背負い、扉の方へ向かった。
皮肉なことに奥の扉は開いており、この罠を作った人間のせせら笑いが聞こえたような気がして頭に血が上る。
しかし、ぶつける先など無いのだ。
そのエネルギーを足に込め、たった一人で再び道を進み始めた。


 *


リズムの乱れた荒い呼吸が廊下を木霊し続ける。
脱力しきった人間を背負っての移動は、身体の成熟しきっていない女子高生にはさすがに厳しかった。
いや、きっと成人女性であっても大変であろう。
それに嫌らしいことに、前の部屋を出てからの道なりはずっと緩やかな登り傾斜を描いている。
何度も転んで身体の至る所に打ち傷、切り傷、擦り傷の三冠王が出来上がっていた。
それでも、酸素が足りずぼんやりしてくる頭を振り払って生気を絞りながらとにかく前に進む。
次の広間に辿り着いたとき、アカリを地面に横たえて自分も倒れこんだ。

荒い呼吸で節操なく酸素を取り込みながらふと考える。
この場所に迷い込んでどれくらいの時間がたったのだろう?
酸素不足は顕著だが、腹の虫が不平を言ってくる様子はない。
数時間のような気もするし、数日経っていると言われても納得できそうな気もする。

その時、自分が来た入口と反対の通路から何かの気配を感じた。

「人!?人がいるわよ!!」

驚いた声を皮切りに幾人もの男女が雪崩れ込んでくるが、返事を返そうとした身体が凍り付く。

「あなた、影山?」

「高菱……さん?」

他の6名ほどの男女にも当然見覚えがあった。
絶望の最中で待望した自分たち以外との出会いは、よりにもよって自分をイジメているグループそのものだった。


その瞬間、周りの景色がサッと教室になった気がする
机で囲まれている私。
それをぐるりと囲ってニヤニヤ小突き回してくる高菱たち。
まるで見えない壁があるかのように距離をとって気の毒そうな目線を向けてくる他のクラスメイト。
授業を終えた教師は現行犯を目にしたくないのか、まるで妻の出産立ち合いに向かいますとでもいうような速さで後片付けをして教室を出ていった。

「おいっ、なんでお前まだ学校に来てんだよ?」

机を叩いて高菱が舐るように顔を近づけてきて、私の髪の毛を掴む。

(痛い!やめて!)

本能的な反応の言葉は、腹の奥にどっしり構えたまま出ていこうとはしなかった。
掴まれた頭を左右に揺さぶられ、世界がシェイクされる。

「その面見せんなって昨日言ったよなぁ?」

(そんなの私には関係ない!だったら、あなたがどっか行け!)

ギュッと目を瞑り、身体を震わせながら暴力が過ぎ去るのを待つ。
あと何分で次の授業だろう?
目を閉じるほど周囲の嘲笑が大きく聞こえ、心臓は早鐘を打ち続ける。

「そんなんだから日向だって酷い怪我したんでしょ?」

(ちょっと待って……)

なぜ高菱が紹介もしていない他校生のアカリのことを知っているのか?
その瞬間、気を失う前に彼女の姿が、掛けてくれた言葉が呼び起される。

「突っかかってくる奴なんて気を遣う必要無いって」

そうだった。
幾度となく私に恐れずぶつかってきてくれたし、こんな私を前向きに引っ張ってくれた。
そんな彼女だって、なにかしら怖かったに決まっているじゃないか。
今の私を見たらアカリはなんていうだろう?

そう思ったとき、身体はピタリと震えるのを止めていた。
冷たい鉛のようにしか感じたことのないお腹の底に、熱い何かが沸き立ち、全身に力が行き渡る。
頭の手を振り払って、椅子が吹き飛ぶのも気にせず立ち上がった。

「いい加減にして」

始めて強引に手を払われて呆気にとられる高菱を睨みつけて言葉を紡ぐ。

「身の程ってなに?じゃあ、あなたは何様なの?」
「臭いだなんだ?その香水の方がよっぽど臭いわよ!」
「不細工が移る?そっちのみっともないイジメよりよっぽどマシよ!」

間髪を入れずにこれまで飲み込んできた言葉たちが、悦びながら口から飛び掛かっていく。

「急にイキってんじゃないよこのブス!」

振り上げられた手が私の頬を打って乾いた音を上げる、
遅れてジンジンと痛み出したが、今の私は程度の痛みには屈しない。

「二度と私に関わってくるな!」

大きく手を振り上げ、万感の思いを込めて振りぬいた。
掌が彼女の頬を打ちぬいた瞬間、ビシリと世界にひびが入りガラスのように砕け散る。
キラキラとまるで光る雪のような欠片が舞う中、私が立っていたのは何もない真っ白な世界だった。


 *


「やるじゃん」

後ろからかけられた声に思わず振り返る。

「アカリ!!目が覚めたの!?」

そこに立っているのはどこか見慣れたギャルっぽい見た目の女の子だった。

「うん……」

そう言って寂しそうな雰囲気でその場に佇む。
そもそもその見た目はどうしたのか?
頭が疑問で埋め尽くされる。

「この見た目にびっくりしてるよね?ウチもそう。でもね、こっちがウチの本当の姿。今までがただ逆だっただけ」

いったいアカリは何を言っているのか?
そう思い、自分の身体を見渡すと、これまでアカリが着ていた制服と同じ制服を纏っていることに気が付いた。

顔をぺたぺた触ると決定的な感触がある。
眼鏡だ。
どうやらいま私は眼鏡を掛けている。
その瞬間、これまで所々で覚えた行動の違和感が線となって繋がり、入れ替わりという信じられない現象を事実として受け入れてしまった。
メイクの習慣なんてなかったから、いきなり顔を水で顔うことに躊躇がなかったのだ。

「それでね?」

衝撃的な事実をあたかも前座と言わんばかりにアカリは告白を続ける。


「ここがゴールみたい」


そう言われた瞬間、自分の後ろに途轍もない気配が生じる。
振り返るとそこに鎮座していたのは、これまでに見たことのない大きさの扉だった。
あまりに超常現象が過ぎるが、何故か本能的に理解できた。

「なら早く一緒に出よう!?」

アカリに駆け寄って手を掴もうとするが、私の右手は悲しく空を切る。

「それは無理なの。だって……もうウチ死んじゃってるから……」

「えっ……?」

告げられた言葉が、理解できない。

「覚えてる?ウチは陸部の合同練習でヨルちゃんの高校に行ったって」

たしかに、初めて出会ったときにそんなことを聞いた気がする。

「その帰りにね、バスが事故を起こしたんだ」

告げられた言葉が、事実として受け入れられない。
でも、否応なしにわからせられてしまった。
彼女の身体が透き通り始めていたから。

「ヨルちゃんはね、私が事故で死んじゃった時と同じタイミングでマンションから落ちちゃったみたい」

その言葉に反応して霞に包まれていた記憶が蘇る。
共働きの両親が殆どいない伽藍洞の部屋。
学校から帰ってきて、そのままベランダから何かに吸い込まれるように落ちてしまった。
状況は分からないが、どうやら私の身体は一命を取り留めたらしい。

「私がこの扉から出ていったら、アカリはどうなるの?」

その問いに、彼女は答えず、寂しそうな笑顔をさらに深くしただけだった。

「じゃあ、わたしもここに残るよ」

「それはダメ。私はもう死んじゃった。でもあなたはまだ生きてる。生きてる以上前に進まなきゃ?」

わかっている。
自分は駄々をこねているだけだって。
なぜなら身体が徐々に扉のほうに引っ張られているから。

「あのね、アカリ。短い時間だけだったけど、アカリと一緒にいて本当に救われたの。あなたのこと友達と思ってもいいかな?」

目からは涙が溢れ出て、気が付けば嗚咽も止まらなくなっていた。
それでも、俯かずにジッと彼女の目を見つめる。
決して目を逸らさずに。

彼女は驚いた表情の後、ぐしゃりと顔を歪めて
「あったりまえじゃん!」
渾身のタックルを全身に感じた。

どれくらい抱き合っていたのだろう?
少しだけ、まだもう少しと弱音を上げる心に、自分で終止符を打つ。

「それじゃあ行くね」

身体が離れて、彼女の体温がなくなっていく。
彼女の泣きはらした、でも笑顔を瞼の裏に焼き付けて、自分の足で扉に向けて歩き始めた。
決して情けない、アカリが不安になるような姿は見せたくなかった。
一歩一歩、力を込めて足を踏み出していく。

扉の手前に辿り着いたとき、後ろから大きな声が響き渡った。

「ヨルちゃんの啖呵、超カッコよかったよ!」

振り返りそうになる心を必死に押し殺し、私も叫び返す。

「絶対、また逢おうね!!」
私は、真っ白なあかりの先へと足を踏み出した。


 *


目を覚ますと、そこはおそらく病室と思われる真っ白な部屋で寝かされていた。


身体からのびるチューブの鬱陶しさを、窓からの心地良い風が薄めてくれる。


さっきまでの体験が夢だったのか本当だったのかわからない。


でも、胸にはこれまでには無かった小さな火が灯っていた。


誰もいない部屋で小さく呟く


「先ずはギャルメイクのやり方、勉強しようかな」