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 よく晴れた次の日、俺は一番歩きやすいスニーカーを履いて家の外に立っていた。
 門を開け、左手を伸ばし、行き先を見据える。赤い糸はまっすぐに東へと向かって走っている。いつもと変わらない光景だ。
 俺は今日、赤い糸を追って、運命の相手に会いにいく。
 あの子と会ったのは、花火をしていた荒川の近くだった。ということは、彼女も比較的近くに住んでいるのかもしれない。今まではこの糸がどこまで続いているかわからず、追おうとも思わなかったけれど、今なら会えるチャンスがあるんだ。
 でも、俺が彼女に会いにいくのは運命の恋をしたいからじゃない。
 桜庭の願いを叶えたいからだ。
 赤い糸の相手と幸せになって、桜庭を安心させたかった。
 俺が桜庭にできることは、もうそれしかない。それで、少しでも桜庭の気持ちが晴れるなら。桜庭がいなくなったあとも俺はやっていけるんだと、桜庭が安心してくれるなら、俺はそうしたいと思った。
 もし運命の彼女と出会えたら、冴子さんにそのことを話して、伝えてもらう。
 それで、終わりだ。
 俺が次の恋に進むことが、桜庭の望みなのだから……。
 門を閉じ、赤い糸の進むままに歩き出した。
 いつも登下校で使う道を進み、最寄り駅を抜け、さらに先へと進む。不思議な赤い糸は、俺が追っても弛むことなく、俺の歩幅に合わせて縮んでいく。
 やがて、まったく知らない景色になる。
 駅の向こうも行ったことはあるけれど、こんなに先まで来たことはなかった。自分の住む街といえども、知らない場所は多いものだ。

〝知らない場所を歩くのって刺激になっていいと思う!〟

 桜庭がいつか、そう言っていた。
 あのあと俺はネットで、知らない街を歩くことは本当にいいことなのか調べていた。科学的根拠があるかはわからないけれど、たしかに一定の効果はあるみたいだ。
 ストレス発散。
 脳の活性化。
 そして。
 ——想像力の向上。
 桜庭はきっと、小説を書くためにいろんなことを試していたのだと思う。
 俺と、偽物の恋をして。
 知らない道を歩いて。
 そういえば時任さんが、桜庭は人を観察することも好きだと言っていた。それも、小説のための行動だったのだろう。
 いつもスマホを触っていたのも、もしかしたら、小説を書き進めていたからで……。

〝本当に、熱心に書いてたのよ……〟

 桜庭の中心には、いつも小説があった。
 そのことを、俺は知らなかった。桜庭のことなんて、なにひとつわかっていなかった。
 それでも俺は、恋をした。
 桜庭が、俺を変えてくれた。
 だから……桜庭にとっての俺がもうどうでもいい存在だとしても、俺は、最後までやり切りたいんだ。
 無我夢中で歩を進めた。
 見たことのない景色を縫うようにして歩き続け、気づくと、知っている道に出ていた。
 あれ、と思う。
 ここは、高校のすぐそばだ。

「……電車に乗ってくればよかった」

 つい、笑ってしまった。ここまで赤い糸がつながっていたのは知っていたのに、無駄に歩いてきてしまった。
 ……でも、知らない道を歩くことはいいことなのだから、よしとするか。
 高校のフェンスに沿って歩く。
 夏休みだけれど、人がいる気配がする。吹奏楽部も活動はあると言っていたし、野球部もきっと練習中だろう。うちの学校の部活動は活発だ。文芸部、以外は。
 不意に、元気に練習に勤しむ生徒たちと、桜庭の状況を比較しそうになって、振り切るように早足になった。
 屋上から見えた、あの道へと向かう。
 桜庭とはじめて会った場所。
 あそこを通ることを想像すると、思いのほかつらくなった。でも糸は、この道に続いているのだ。
 ……通り抜けないと。
 息を止め、思考を止めて歩く。
 赤い糸の進む通り、桜庭と出会った公園の脇を進む。薬を飲んで元気を取り戻した、桜庭の笑顔がリプレイされる。
 やめよう。
 やめないと。
 あの笑顔を求めても、俺は、もう……。