その言葉に、はっとした。
頬に触れ、はじめて自分が泣いていることに気づいた。
それも、ひと筋なんかじゃない。大粒の涙が頬を、顎を、伝って落ちていく。
信じられなかった。
女子の前で、こんなふうに泣くなんて。
「……うわ。……はず……」
慌てて袖で目をこすった。恥ずかしくて消えてしまいたかった。
時任さんは膝に両手を乗せ、所在なげに瞼を下ろしている。
「ごめんなさい……」
「……いや。俺、こそ……。アホで、ごめん。急にこんなふうに泣くなんて、あり得ないよな」
どうしようもなくて自分を腐してみると、時任さんは顔を上げ、大きく首を振った。
「あり得なくなんか、ない」
そう言い切って、また俺を見つめる。
「私、いま矢崎くんに振られたら、ショックで立ち直れないかもしれない。何日も泣いて過ごすと思う。好きな人に気持ちが届かないのはつらいよ……。私はまだ失恋したことないから、そんなこと言われてもなんの励ましにもならないかもしれないけど」
時任さんの口から、渉への気持ちをはっきりと聞くのははじめてだった。
泣いてしまった俺を、自分なりに励まそうとしているんだ。時任さんは、こういう話をするのは得意じゃないはずなのに。
こんなに気遣ってくれる時任さんの、その気持ちに、なによりも励まされていた。
「……ありがとう」
また泣いてしまわないように、はは、と声を出してみる。
「ごめん。時任さん、こんな話をしにきたわけじゃないのにな。……情けないけど俺、誰かを好きになったのも、失恋したのもはじめてで、どうしたらいいのかわからないのかも」
必死に目を擦り、涙を拭う。
時任さんが思い出したように、ショルダーバッグからハンカチを差し出してきた。
「……でも、かっこいい。浅見くん」
受け取ろうか迷っている俺を見て、時任さんが無理やり頬にハンカチを当てがおうとする。渉がいるのにそんなことはさせられなくて、結局受け取ってしまった。
「人を好きになって、自分から、行動したこと。すごいって思う」
まっすぐな眼差しが眩しくて、俯いた。
俺はずっと、赤い糸の相手さえいればいいと思っていた。
冒険なんか、したくなくて。傷つきたくもなくて。ただ、いつか自動的にやってくる幸せを待っていた。
そんな自分が、遠い昔のことのように思える。
いつのまにか、変わっていた。
自分の、今の気持ちに正直に生きられるようになっていた。
——そのきっかけは、間違いなく、桜庭だった。
「……ありがとう」
渉と時任さんと別れ、久しぶりにそのまま街を歩いた。
外はもう暗くなっていたけれど、街の書店はまだやっていた。よく漫画を買いに来ていた、馴染みの書店だ。
中に入り、はじめて小説の棚の前に立つ。
漫画と比べて固い色合いの背表紙が、俺を威圧する。それでも一冊、小説を手に取った。
部室に置いてあった、太宰治の小説だ。
それは俺でさえ題名を知っている、純文学の王道と思われるものだった。恋愛モノしか読んでこなかった俺だけれど、みんなが読んでいる有名どころなら俺でも読めるんじゃないかと踏んで、これを選んだ。
桜庭はきっと、あの部室にある小説をすべて読み終えていると思う。
桜庭は、純文学が好きだった。そして中学のころから小説を書きはじめるほどのめり込んでいた。文芸部に入った理由はきっと、幽霊部員になるためじゃなく、仲間を求めていたからなのだと思う。残念ながら、小説好きの生徒とは巡り会えなかっただろうけど。
小説を購入し、古めかしいデザインの表紙をそっと撫でる。
もう桜庭に、俺の気持ちは届かない。
桜庭を救うことも、笑わせることも、できない。そばにいることさえも許されない。こんなことをしても、意味なんてない。
それでも俺は、少しでも桜庭とのつながりを求めていた。
どんなに拒否されても……俺は、まだ。
……桜庭のことが好きなんだ。
頬に触れ、はじめて自分が泣いていることに気づいた。
それも、ひと筋なんかじゃない。大粒の涙が頬を、顎を、伝って落ちていく。
信じられなかった。
女子の前で、こんなふうに泣くなんて。
「……うわ。……はず……」
慌てて袖で目をこすった。恥ずかしくて消えてしまいたかった。
時任さんは膝に両手を乗せ、所在なげに瞼を下ろしている。
「ごめんなさい……」
「……いや。俺、こそ……。アホで、ごめん。急にこんなふうに泣くなんて、あり得ないよな」
どうしようもなくて自分を腐してみると、時任さんは顔を上げ、大きく首を振った。
「あり得なくなんか、ない」
そう言い切って、また俺を見つめる。
「私、いま矢崎くんに振られたら、ショックで立ち直れないかもしれない。何日も泣いて過ごすと思う。好きな人に気持ちが届かないのはつらいよ……。私はまだ失恋したことないから、そんなこと言われてもなんの励ましにもならないかもしれないけど」
時任さんの口から、渉への気持ちをはっきりと聞くのははじめてだった。
泣いてしまった俺を、自分なりに励まそうとしているんだ。時任さんは、こういう話をするのは得意じゃないはずなのに。
こんなに気遣ってくれる時任さんの、その気持ちに、なによりも励まされていた。
「……ありがとう」
また泣いてしまわないように、はは、と声を出してみる。
「ごめん。時任さん、こんな話をしにきたわけじゃないのにな。……情けないけど俺、誰かを好きになったのも、失恋したのもはじめてで、どうしたらいいのかわからないのかも」
必死に目を擦り、涙を拭う。
時任さんが思い出したように、ショルダーバッグからハンカチを差し出してきた。
「……でも、かっこいい。浅見くん」
受け取ろうか迷っている俺を見て、時任さんが無理やり頬にハンカチを当てがおうとする。渉がいるのにそんなことはさせられなくて、結局受け取ってしまった。
「人を好きになって、自分から、行動したこと。すごいって思う」
まっすぐな眼差しが眩しくて、俯いた。
俺はずっと、赤い糸の相手さえいればいいと思っていた。
冒険なんか、したくなくて。傷つきたくもなくて。ただ、いつか自動的にやってくる幸せを待っていた。
そんな自分が、遠い昔のことのように思える。
いつのまにか、変わっていた。
自分の、今の気持ちに正直に生きられるようになっていた。
——そのきっかけは、間違いなく、桜庭だった。
「……ありがとう」
渉と時任さんと別れ、久しぶりにそのまま街を歩いた。
外はもう暗くなっていたけれど、街の書店はまだやっていた。よく漫画を買いに来ていた、馴染みの書店だ。
中に入り、はじめて小説の棚の前に立つ。
漫画と比べて固い色合いの背表紙が、俺を威圧する。それでも一冊、小説を手に取った。
部室に置いてあった、太宰治の小説だ。
それは俺でさえ題名を知っている、純文学の王道と思われるものだった。恋愛モノしか読んでこなかった俺だけれど、みんなが読んでいる有名どころなら俺でも読めるんじゃないかと踏んで、これを選んだ。
桜庭はきっと、あの部室にある小説をすべて読み終えていると思う。
桜庭は、純文学が好きだった。そして中学のころから小説を書きはじめるほどのめり込んでいた。文芸部に入った理由はきっと、幽霊部員になるためじゃなく、仲間を求めていたからなのだと思う。残念ながら、小説好きの生徒とは巡り会えなかっただろうけど。
小説を購入し、古めかしいデザインの表紙をそっと撫でる。
もう桜庭に、俺の気持ちは届かない。
桜庭を救うことも、笑わせることも、できない。そばにいることさえも許されない。こんなことをしても、意味なんてない。
それでも俺は、少しでも桜庭とのつながりを求めていた。
どんなに拒否されても……俺は、まだ。
……桜庭のことが好きなんだ。