渉の言葉に、少し驚く。

「え? ……俺?」
「そう。なんの話かは聞いてない。でも、陽斗の体調が悪いならまた今度にしてもらうから」

 渉の気遣いに、少しだけ考える。
 また、恋バナだろうか。
 今はそんな気分にはなれないけれど、せっかくここまで来てくれたのなら少しくらいなら話したい。ふたりにとってはじめての夏なのだから、またなにか相談ごとでもあるのかもしれない。
 ……でも。
 そういう話じゃない、気もする。
 承諾すると、渉は時任さんを呼びに行った。
 戻ってきたのは時任さんだけだった。渉は空気を読んだのか、健康遊具に掴まり、熱心に懸垂をしている。
 走ってきた時任さんは、俺と目が合うと決まりが悪そうに視線を下げた。

「ごめんなさい。……体調悪いって、聞いたんだけど」
「いや……」

 どこか漂う緊張感に、首を振って答える。
 時任さんはベンチの端に座り、ひと呼吸を置くと、すぐに本題へ入った。

「彩葉ちゃん、学校辞めるんだって。……なにか理由、知ってる……?」

 ——辞める?
 閉じていた唇が、そっと開いた。
 でも、頭が働かなくてなにも言葉が出てこない。ただ、おうむ返しに答えることしかできなかった。

「辞める……」
「あ、……うん。知らない、よね」

 時任さんは戸惑いつつも、察したように説明をはじめる。

「最近、彩葉ちゃんからチャットが返ってこないの……。夏のはじめはちゃんと返事があって、遊びに行ったりもしてたのに、なんか不思議でね。クラスメイトの子も同じらしくて、どうしたんだろうって心配してた。私、吹奏楽部だから夏休みもちょこちょこ学校に行ってて、そこでも彩葉ちゃんのこと話してたの。そしたら、偶然担任の先生にそれを聞かれて」

 唾を呑み込む、自分の喉の音がやけに大きく聞こえる。

「二学期から、学校来ないんだって。……本人の都合で、急に辞めることになったって」

 体から力が抜けた。
 ……病状が、悪くなったんだ。
 もう、学校に行ける状態じゃない。それくらい、桜庭は弱っているんだ。
 病気のことは、最後まで隠すつもりなんだろう。
 みんなに心配をかけないように。
 来年には受験生になる、大切なクラスメイトにショックを与えないように。
 ……じゃあ、今の桜庭は。
 たったひとりで、病気と向き合っているのか……?

「転校、とかじゃなくて、自主退学っていうのも気になってるんだけど……先生はなにも教えてくれないの。たぶん言えない事情があるんだよね。ただ、こんな別れ方なんて寂しすぎる……。私、彩葉ちゃんにたくさん救われたから。二年生になって、一年生のときの友達がみんないなくなって、最初に声をかけてくれたのが彩葉ちゃんだったから……。でも、返信はなくて。浅見くんならまだ会えてるかなって、思ったんだけど」

 時任さんの言葉が、頭に入った途端に通り抜けていく。
 桜庭は今、どうしてるだろう。
 病院にいる?
 安静に、できてる?
 それとも、まさか……もう。
 気づくと、時任さんがじっと俺を見つめていた。
 はっとしてベンチに座り直し、無理やり気力を奮い立たせる。

「……ごめん。俺は……なにも、聞いてない」

 隠している、ということは、話してほしくないということだ。だから俺から言えることはなにもなかった。

「そっか……」

 時任さんは当てが外れたのか、残念そうに俯いている。
 罪悪感が湧いた。
 桜庭には、こんなにも慕ってくれる友達がいる。休み明け、彩葉がいないと知ったらB組のみんなも寂しがるだろう。
 だけど、俺はなにもできない。
 知っていても、なにも話すことができない。
 桜庭に対しても、桜庭を知る人たちに対しても、なんの助けにもなれない。
 俺は……なんのために、桜庭のそばにいたんだろう。

「……俺、桜庭に振られたんだ」

 気づくと、どうでもいいことを話していた。
 なにも、話すことはできない。
 それでも、俺の言える範囲だけでも話すことが、せめてもの誠意だと思った。

「はっきり言ってなくて、ごめん。別に俺、桜庭と付き合ってたわけじゃなくてさ。俺が桜庭のことを一方的に好きだっただけだったんだ。それで、告白しようとしたんだけど……だめで。俺のこと、好きじゃない、みたいで。……だからごめん。俺、桜庭のこと、なにも知ら……」
「——ごめんなさい!」

 時任さんが急に立ち上がった。
 驚いて、顔を見上げる。時任さんはひどく焦ったように、瞼を強く閉じていた。

「勘違いして……無神経に、彩葉ちゃんのこと聞きにきちゃってごめんなさい。つらいこと、蒸し返すみたいなことさせて、ごめんなさい……。……あの、だから」

 時任さんが静かにベンチに座る。そして、ゆるゆると視線を下げた。

「泣かないで……」