——俺は、なんてことをしてしまったのだろう。
 ただ、彼女を元気づけたいだけだった。
 自分の死後の話をする彼女に、生きる喜びを思い出してほしいだけだった。
 いつまでも、笑っていてほくて。希望を持ってほしくて。そんな浅い気持ちで、俺は、俺たちだけの小さな花火大会を企画した。
 でもそれが、逆に彼女を傷つけたのかもしれない。

 短い、儚い夢を見させてしまった。夢はいずれ覚めてしまう。どんなに楽しい夢だったとしても、目覚めた先にあるのは、以前と変わらない無慈悲な現実だけ……。
 なにも言えなかった。
 俺には、桜庭を救うことなんてできない。
 ほかの誰も、桜庭のつらさをわかってあげることなんてできない。
 そんなこと、知っていた。
 知っていたのに。
 ……それでも、俺は。
 今も、この瞬間も。桜庭の中にあるはずの明るさを、諦められないんだ。

「……持って帰ろうか」

 線香花火を自分のもとへ引き寄せ、胸の前に置いた。
 桜庭は静かに俺の目を見ている。

「また、続きをやろう。終わったりしない。花火なんて、いつでもできるから。何回だって、できるんだから」

 それは嘘なのかもしれない。でも、嘘じゃないと信じたかった。
 だって桜庭は、運命にしばられたりしない。
 神さまが決めた、こんなくだらない運命に負けたりしない。恋をして、思いのまま遊んで、自由に生きる。生き続ける。
 それが、桜庭彩葉なんだ。

「……ううん」

 桜庭が小さく首を振った。
 人形のように心を凍らせていた表情はもう、消えていた。

「今、やる。やりたい。線香花火、好きなんだ。私」

 闇の中でやさしく微笑む。でも、目の奥に悲しみを押し込めているのが見えてしまった。
 息が、苦しい。
 ……こんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
 線香花火に火を灯すと、やさしい光が俺たちを包み込んだ。
 火玉が落ちると、次の光を灯す。消えたって、消えたって、灯し続けた。終わりなんて来ないと言い聞かせるように。
 それでも、最後の光は消えていく。
 黒く炭化した火玉が固まって、落ちる。俺たちの体もひとつに固まって、落ちて消えてしまえればいいのにと思った。
 気づくと、あたりは黒ずんだ闇に覆われていた。
 桜庭の提案で、一駅だけ歩いて帰ることになった。桜庭の体に負担をかけたくなかったけれど、一方で、断ることもできなかった。
 歩いている途中で桜庭が泣きはじめたからだ。

「……ごめん、ね」

 どう声をかければいいのか迷っている間に、桜庭が先に口を開いた。
 ヘタレな自分に嫌気がさす。

「ごめん……。なんかね、ときどき、涙出てくるの。今日のはあれだね、感動したから」

 感動……。
 そんなの、強がりだ。今の桜庭は、おもちゃが壊れて泣きじゃくっている子どものように見える。
 小さな子どもは、ほんの少し悲しさを感じただけで世界の終わりが来たかのように泣き続ける。でも、桜庭は違う。
 ……本当に、終わりが近づいているのを感じているのかもしれない。
 どうすることもできず、震えそうになる手を伸ばし、彼女の指先に触れた。
 そこには、柔らかい、そしてあたたかい、命があった。

「そんなに泣くと……転ぶから」

 必死に、声をかける。でも桜庭はなにも答えなかった。
 掴んだ手のひらを握り返してもこない。ただ迷ったように、指の先が時折、俺の手の甲に当たるだけだ。
 もう俺は、桜庭の助けにもなれないのかもしれない。
 彼女の笑顔を取り戻したかった。
 でも無理だった。
 なんの力にもなれない。彼女の心を軽くする言葉も見つからない。俺は、無力だ。
 桜庭もそれを知ったのだろう。つないだ手を握り返してこないのだから。
 情けなさに、目の奥が痛んでくる。
 一番苦しいのは桜庭なのに、俺はなにをしてるんだろう。
 俺が、折れてる場合じゃないのに……。

「……手汗。すっごいね」

 気づくと、桜庭が俺を見上げていた。
 いつのまにか桜庭の指が、俺を包み返していた。
 桜庭は笑顔を浮かべている。その顔を見て、ほっとする。でもそれは最後の灯火だった。
 次の瞬間には瞳が潤み、仮面が崩れはじめた。
 そこに、花火にはしゃいでいた桜庭はいなかった。
 目の前にいるのは、現実と向き合い、今にも崩れそうになっているひとりの少女だった。

「ねぇ、浅見くん。私、死ぬの、怖い」

 暗闇の中に言葉が落ちた。
 それはぬるい風に吹かれて、彼方へと吹き去られていく。