「……お、おはよう」
 しばらく間を置いて、ようやく絞り出した声は驚くほど小さかった。奏翔と学校で朝の挨拶を交わすのはこれが初めてで、妙に緊張してしまったのだ。きっとその初めての状況に動揺して、しどろもどろな挨拶になってしまったのだろう。自分の声が頼りなく響いたことに気づいて、さらに恥ずかしさが募る。
「……」
 そんな私に対し、奏翔はなぜかショックを受けたのか、急に人が変わったように項垂れ、俯いたまま階段を駆け足で上がっていった。
 しかも彼が向かう先は教室ではなく、これから私が向かうはずの最上階だった。不審に思った私は、胸に何か引っかかるものを感じながらも、無意識にその背中を追いかけ始めた。
 どう声をかければいいのだろう。私がちゃんと声を出して挨拶をしなかったのが悪かったのだろうか。
 それとも……。
 その理由がなんであれ、早く教室に行かないと奏翔は遅刻扱いになってしまう。
「ちょっ、待ってよ!奏翔」
 焦って叫びながら追いかけるも奏翔はまるで私の声が聞こえていないかのように駆け上がっていった。足音が階段に反響し、私との距離はどんどん広がる。そして、間髪入れずにバン!と重い扉が閉じる音が耳に響いた。その音の激しさに、思わずイヤーカップに両手を押し付ける。心臓が高鳴り、息が苦しくなる。この状況がただ事ではないと直感し、足が震えたが、止まることはできなかった。
 階段を上り終え、音がした右の方に目を向けると、そこには図書室があった。奏翔は間違いなくその中に閉じこもっている。
 突然、彼との間に見えない壁が築かれたような気がして、私は一瞬怖気づいた。
 しかし、今日から図書室登校をすることになった自分の立場を思えば、引き下がるわけにはいかなかった。
 意を決して、サビだらけの古びた引き戸に手をかけて開けようとしたが、扉は少しも動かなかった。どうやら奏翔が向こう側から押さえているらしい。