「でもな、母さんの笑顔を見る度に幸せを感じていた反面、もし母さんに何かあったら許さねぇって思ってた。楓音が母さんの足首を蹴ったせいで、父さんの中では念願だった男の子が亡くなり、頭に血が上ったんだ。それで、母さんを轢いた飲酒運転のドライバーと話をして、楓音のしたことを隠蔽するためでもあったが、進学校の特進クラスに在籍し、将来は医者か看護師か介護士になるという条件を出したんだ。母さんを目覚めさせ、その後の世話をさせるために楓音の演奏を聞くことなんて無理だって諦めた」
 父さんは揺るぎない瞳で、淡々と事実を語っていく。
「そのせいで、父さんは楓音のことを必要以上に責め、勉強の面でも追い込んだ。そして、楓音の耳がバグったことで薄々責任を感じ始めたんだ。追い込ませたのは父さんなんだし、今更だよな。だから罪滅ぼしのつもりで未弦と弓彩の演奏を録音し、母さんに聞かせていたんだ。あと、母さんを轢いた佐竹暁則はもうこの世にいない。それはつまり、父さんの独断で条件を諦めてもいいってことだ。今まで本当にすまなかった」
 心の底から申し訳なさそうな顔をして床に手をつき、父さんは正々堂々と土下座をかましてきた。スーツ姿のため、一層辺りには鉛のように重たい緊迫感が広がる。ここは私の家のはずなのに、会社の社長室と錯覚せざるを得なかった。
「条件を諦めるからって、楓音がしたことを世間に漏らすつもりはない。佐竹暁則は事故当時、飲酒運転で激しく暴走していたから、誰が事故の犠牲になってもおかしくなかった。それが偶然お前が蹴った母さんだっただけだ。それに、楓音を追い込ませた責任も負うつもりだ。謝って許して貰おうなんて気持ちは滅相もない。そんなのただの自己満足に過ぎない。それにこうしなきゃ何も終わらないし始まらないんだ」
 父さんは床にゴンッと額をこすりつけながら、重い言葉を吐いた。その真面目さに度肝を抜かれ、私は言葉を失ったまま放心したように座っていることしかできなかった。