楽采はいつも無表情で、まるでロボットのようだったが、俺はそんな彼の世話を焼いていた。彼が心を開いてくれたら、自分は死のうと思っていた。毎日一緒に食事をし、一緒に寝ながら、俺なりに罪を償おうとしていた。ただ、必死な俺の姿が楽采にはどう映っていたのかはわからない。ただ黙ってそばにいることが、少しでも彼を救う方法だと信じていた。
　日々が過ぎるうちに、楽采は少しずつ言葉を話せるようになり、ある日突然こう問いかけてきた。「なんでそんなに優しくするんだ？ 父さん、二股かけてたのに」。俺はずっと自分を責めていたが、それを悟られないように「それがどうした？」と返した。楽采は驚いた表情を見せたが、俺は続けた。「父さんは父さん。楽采は楽采だろ」。その言葉を聞いた瞬間、彼の目に涙が浮かび、それがポロポロとこぼれ落ちた。
　その涙を見た時、俺は胸が熱くなり、何も言えなくなった。ただ、彼が心を開いてくれたことが嬉しくて、思わず抱きしめて一緒に泣いた。楽采も震えながら涙を流していたが、その瞬間、何かが少しずつ変わっていくのを感じた。
　その後、楽采は筆談で過去を語り始め、そうして、初めて「兄貴」と呼んでくれた。最初は頑なに名前を呼ぼうとしなかったのに、手話を教えてほしいと頼んできた。嬉しさが込み上げ、思わず「口は大体読める」と答えると、楽采は「大体はすべてじゃないだろ。いいから教えろ」と一蹴した。その強気な態度に少し笑ってしまったが、やっぱり楽采が前に進もうとしていることが嬉しくてたまらなかった。
　母さんのように厳しくならないように、気をつけながら教えることにした。楽采が手話を覚えるたびに、褒めると彼の笑顔がぱぁっと花開くように輝く。その笑顔を見る度、俺の日常は少しずつ色を取り戻していった。楽采がようやく笑顔を見せてくれるようになったその瞬間、俺は本当に幸せだと思った。
　ある日、楽采が俺に尋ねてきた。どんな過去を過ごしてきた、と。
　その問いに答えるのは辛かった。脳裏にはつらい記憶が一瞬で走馬灯のように蘇り、話すべきか迷った。しかし、楽采が優しく手を繋ぎ、背中を叩いてくれたことで、溢れそうになった涙が引っ込んだ。楽采はそれを視認すると、俺を優しく包み込むように抱きしめてきた。以前俺が楽采にそうした時のように。その温もりが何よりも安心をくれた。
　過去のことは、ほとんど話したけれど、俺が自殺を考えていたことや、オヤジの最後の言葉については伝えなかった。それでも、楽采はいつも俺を守ってくれた。学校でからかわれたり、何か嫌なことがあったり、時には危険な目に遭ったりする度に、まるでボディーガードのように俺を守ってくれた。「危ないから、そんなことはしないでくれ」そんな気持ちもあったが、楽采が守ってくれていることがとても心強かった。
「兄だ」と言うと、楽采は無言でうなずいた。「僕は弟として兄貴の隣にいたいから、少しは守らせてよ」と、そう言いながらも、俺の話を頑なに聞こうとしなかった。そんな彼を見て、俺は少し笑って「ありがとう」とだけ言った。
　自殺の衝動に駆られるたび、楽采がその度に俺を引き止めてくれた。それが何度目でも、俺は心の中で本当にありがとうと言った。しかし、そのたびに世界が刑務所のように感じられた。自由がないと思った。だけど、楽采がいる限り、どんなに苦しくても耐えられると思った。
　また楽采は音楽に興味を持ち始めた。水を得た魚のように曲作りに夢中になり、俺にピアノを弾いてほしいとせがんできた。久しぶりにピアノに触れると、鍵盤が音階を教えてくれるように感じ、手は自然と動き出した。その瞬間、初心に帰ったような新鮮さを感じ、楽しかった。楽采の曲を弾くことが、今の俺にとって一番の楽しみになった。
「自分で聞けもしない曲なんて弾きたくないだろ？ 兄貴がどんな曲かもわかりもしないのに、そんな兄貴に僕は曲を作っていて、おまけに弾かせてるなんて、嫌がらせじゃないか？」
　ある日、楽采は手話でそう伝えてきた。俺はそれを聞いて、心から答えた。「楽采には笑っていてほしい。それが一番大事だよ」そう言うと、彼は少し安心した顔を見せたけれど、時々不安そうな表情を浮かべることもあった。その度に、俺は作り笑いを浮かべながら、優しく背中を叩いてやった。