そんな感じで俺の世界は真っ暗だったが、そこに一筋の光が差し込もうとしていた。
 中学1年生になったある日、逃げ場を求めて海を挟んだ隣の県の田舎町を歩いていた。すると、近所の人々がある家を恐れて後ずさりしている場面に遭遇した。何か異常を感じ、耳が聞こえないことを伝えて筆談を頼んだ。
【この家から怒鳴り声が聞こえる。虐待の心配がある】
 その瞬間、気づけば俺は交番に駆け込み、警官を連れてその家に向かっていた。ここに俺のような苦しみを抱えた仲間がいるかもしれない、そんな直感が俺を突き動かしたのだろう。
 そこにいたのが、生き別れの弟、楽采だった。
 警官が母さんに連絡を入れ、楽采の母親とも話すと、オヤジが二股をかけていたことが明らかになった。母さんは俺が一人で遠出したことには怒っていたが、最終的には手話で「よくやった、あんたはヒーローよ」と涙を滲ませながら伝えてくれた。初めて自分が母さんから認められた気がして、胸が熱くなった。
【今からでも楽采とやり直せるかな。父さんは酒を飲めば豹変する人で、楽采に暴力を振るっていた。おばさんも、父さんが教育係だったせいか仕事の人間関係がうまくいかず、残業を押し付けられたりして、そのストレスで楽采に当たってしまっていた。その仕事を辞めるから】
 楽采の母親は筆談を交わしてきた。楽采は感情すらないように無反応で何も書こうとしなかったが、血の繋がった家族であることには変わりないと思い、俺は「きっとやり直せる。楽采は俺が面倒を見るから」と伝えた。母親は深々と頭を下げた。
 ひょっとすると、俺が母さんのスパルタ教育や学校での孤立などで楽采のように感情を失っていたのかもしれない。
 そう考えると、楽采を抱きしめざるを得なかった。そしてそのまま楽采の手を引いて家に連れ帰った。
 その後、父は家を追い出され、無一文になった。
「お前の耳さえ聞こえていれば、いや、そもそもお前さえいなければ……」
 それがオヤジが俺に言い残した最後の言葉だった。ただの暴言に過ぎなかったのかもしれない。でも、俺の心には深く突き刺さった。
 そして、父は妊婦を巻き込んだ交通事故を起こした。その事故に楓音の母が巻き込まれたことを知るのは、少し後のことだった。父がどれだけ多くの人に傷を与えたのか、改めて思い知らされた。
 その時、俺は心の奥でこう感じた。殺されるべきだったのは、腹の中の子じゃなく、きっと俺の方だったと。