すると、奏翔は涙を滲ませながら、わなわなと口を開いた。
「……俺が悪いんだ、全部。楽譜を見れば、クラシックかどうかとか、サビの部分ぐらいは何となくわかるんだ。たぶん、楽譜を読みまくってたから自然にそうなったんだと思う。でも、実際に弾いてみると、曲の本当の意味が全然わからない。弾いてるとき、鍵盤に触れる感触が気持ちよくて、想像するのは楽しいんだけど……現実には何も感じ取れないんだ。結局、俺はちゃんと理解できてないんだよ。ごめんな……」
 数秒の沈黙の後、奏翔は途切れ途切れに話し始めた。その不可解な言葉に、思わず「へ?」と声が上擦る。
 彼が弾いているかどうかに関わらず、私が隣で音を聞いているから、どんな曲かはわかるはず。 
 そう思っていたけれど、彼にとっては違うらしい。
 彼の顔をちらりと見ると、声にならない声をなんとか上げようと口をぱくぱくさせていた。一体何を言おうとしているのか、得体のしれない恐怖が胸に湧いてくる。
「……ないんだ。」
 しばらくしてやっと出てきた言葉は、主語がなくて意味がわからなかった。しかし、奏翔はなんとかその言葉を補った。
「俺……耳が聞こえないんだ。生まれつき……だからせっかく作ってくれた曲も、どんな音かはわからない。ごめん……」
「へ……うそ」
 信じられなくて、思わず声が震えた。耳を見ても補聴器のひとつもつけていなかったから。
 奏翔は静かに応じるように、制服のポケットから何かを取り出して耳につけた。その瞬間、私の心臓は跳ねた。確かに、それはイヤホンのように見える補聴器だった。
「隠してて……ごめん。でも信じられないかもしれないけど、楓音の声だけが聞こえてたんだ。それに、ずっと依存してた。もっと近くで聞きたいと思ってた。でも、その気持ちを知られたくなくて、弱い自分を隠してたんだ……今はもう、全然聞こえないけどさ。さっき、たぶん会話が通じてたのは、俺が楓音の口を読んでいたからだ。それだけなんだ……」