私は安心させようと背中をトントンと軽くたたいた。すると、奏翔がちらりとこちらを見てくれたので、私は優しい笑みを浮かべながら頷いた。その距離が近すぎて、心臓が爆発しそうだった。落ち着けと自分に言い聞かせながら、それを合図に視線をピアノに戻す。
 最初の音合わせをしようと、ラの鍵盤に手を伸ばした。しかし、奏翔はピアノに触れようとしたものの、鍵盤まであと1ミリのところで手が空振りし、すとんと落ちてしまった。楽譜立てにはもちろん、泉平くんと一緒に作った曲の楽譜が置かれている。それを見れば、初めて弾く曲でも奏翔なら弾けるはずだ。一緒に弾いてと言ってきた張本人なのに、どうしたんだろうと思いながらも、彼の顔を覗き込んだ。
「悪いけど、やっぱりひとりで弾いててくれないか?正直、今はピアノを弾けそうにないんだ。その理由は、弾いてくれたら必ず話すから。お願いだ」
 すると奏翔は穏やかな口調でありながらも、私をまっすぐ見て懇願してきた。顔の前で両手を合わせている。おそらく表情には出していないが、よっぽどつらいのだろう。そのことを一目で感じ取った。濃い琥珀色の瞳がどこか泣きそうに揺れていて、本当は泣きたいのを堪えているようにも見える。
「わかった」
 だからこそ、私はピアノをひとりで弾くことに決めた。泣いていいんだよと心の中で囁きながら、優しく指を動かしていく。昨日、泉平くんからズバズバと鬼のように指摘されながら弾いた旋律。手にはすっかり馴染んだ旋律なのに、奏翔が近くにいるせいか、それだけで心なしか手の動きはぎこちなかった。
 焦りと緊張、モヤモヤした気持ちを抱えながらも、なんとか弾き終わった頃、奏翔は俯いていた。鍵盤から手を離し、顔を覗き込むと、彼の顔はつらそうに歪んでいて、零れそうな涙を必死に我慢するように歯を食いしばっていた。濃い琥珀色の瞳には大粒の涙が浮かび、今にも溢れそうだ。
 それを見た私は、無意識に奏翔の手を握り、もう片方の手で彼の背中を優しく擦った。その中にある苦しみに寄り添うように。