「奏翔！」
　茶色いベンチに座ろうとする彼の腕を強く掴んで叫んだ。そして、問い詰めるように続けた。
「いつまでごまかしてるの？本当はつらいんでしょ？」
　そして彼の目をじっと見つめ、きっぱりと尋ねた。しかし、彼の表情は少しも曇ることなく、むしろ穏やかだった。
「それより、楽采と作った曲、せっかくだから聞かせてよ。俺はここで聞いてるから」
　彼は話をはぐらかそうとして、ベンチを指さした。どうやら、話は後回しにしたいようだ。
「いや、奏翔の話が先！」
　そう叫びながら、奏翔の腕を掴む力を強めた。片手で掴んでいたところを両手でしっかりと掴み、逃がさないように力を込めた。だが、彼は体の力を使って私の手を振り払い、あっけなく私の両手は離された。再び掴もうとするも、奏翔にペシリと強く叩くように手を跳ねのけられた。
　彼からこんな風に強く扱われたのは初めてで、私は背筋が凍りつくような感覚を覚え、思わず後ずさった。
「ごめん。俺は楓音と話をするために来たんじゃない。ただ、ピアノを聞くために来ただけなんだ」
　奏翔は優しい口調でそう言いながら、ベンチに腰を下ろした。どうやら話をするつもりはないらしい。
「どうして……？」
　彼に拒絶され、少々怖気ついたものの、そう問いただすしか道はなかった。
「母さんの旧姓を使ってるおかげで、世間じゃ普通に見られてるし、普通に生きてる。でも、楽采から聞いただろ？俺は佐竹暁則の息子だ。楓音の母さんを轢いた、あの男の血が流れてる。そんな俺の顔なんて、見たくないだろ？だから仮に、楓音のおばあちゃんが天国から“楓音にぴったりの人”を探していたとして、それが俺だとしたって、俺には楓音の隣にいる資格なんてない。どうして俺を選んだのかそのおばあちゃんに聞きたいところだな。だって恨まれても仕方ないやつなんだから。俺も、楽采も、この運命を背負って生きるしかないんだ」
　奏翔は口元に笑みを浮かべながらも、濃い琥珀色の瞳は遠くを見つめていた。冷静さを保ちながら、自己犠牲的な覚悟がにじむ重たい言葉――それは正論でしかなかった。