「そこでだ。今の兄貴をどうやって立ち直らせるか、ずっと悩んでた。でも、結局僕にはこれしかないんだよな。もう迷ってる暇なんてないんだ」     
 泉平くんはクリアファイルから一枚の紙を取り出しながら言った。その紙には五線譜が描かれていたが、まだ音符は一つも書かれていない。どうやら彼は、奏翔に曲を作って、それで立ち直らせようとしているらしい。 「定期演奏会はあさってだよ。練習もあるし、そんな短期間で曲なんて作れるの?それに、ただ話を聞くだけでもいいんじゃない?」  
 三羽先輩が心配そうに言った。私は練習がどれほど大変かは分からないが、スケジュールが詰まっていることくらいは理解できる。 「でも、僕じゃ兄貴とちゃんと話ができないんだ。だから、楓音さん」  
 泉平くんは真剣な眼差しで私を見つめ、突然話の矛先を私に向けた。「はい?」と思わず声が強張る。
「僕と一緒に曲を作ってくれないか?」
「え?」  
 その提案に私は驚いた。確かに、時間が限られているから手助けが必要なのは分かるけど、私は楽譜の作り方すら知らない完全な素人だ。むしろ、三羽先輩や未弦さんに頼む方がよっぽどいい。彼女たちの方が音楽に詳しいし、役に立つはずだ。
「そんなのムリです」
「じゃあ、そこで指でもくわえてトーク画面をじっと見てろ」   
 泉平くんはそう言いながら、五線譜に音符を書き始めた。その偉そうな態度に、思わず癪に障る。真顔で淡々と話しているのに、棒読みのような口調が逆に不快感を増す。まるで、彼にとってはすべてが当然のように感じているかのようで、私の中に少しずつ苛立ちが募っていった。
「え、あたし一緒に作るよ?それか未弦さんに――」
「お前らじゃ意味ねぇだろ」  
 三羽先輩が私の言いたかったことを代弁してくれたが、泉平くんはさらりとそれを遮り、まったく意に介さない様子だった。 「楓音さん、知りたいんだろ?兄貴に拒絶された理由を」  
 泉平くんは音符を書きながら問いかけてきた。その答えは言うまでもない。このまま奏翔を放っておくなんてできない。
「……知りたい」
「その気持ちが生半可なら、やめとけよ」   
 泉平くんは釘を刺すように言った。まるで、私と奏翔の間にある壁の厚さや高さを知っているかのようだった。彼は奏翔の弟だから、その壁がどれだけの意味を持つか、分かっているのだろう。   
 でも、私はその中に踏み込まなければならない。覚悟は既に決まっている。おばあちゃんと同じような終わり方なんて、絶対に嫌だ。
 そもそも、泉平くんの話では奏翔は既に自殺未遂をしている。彼が止めなければ、手遅れになっていたに違いない。
「生半可じゃない。ちゃんと知りたいの。知って、これからは隣にいたい。だから、手伝わせて」  
 私は思い切って席を立ち、泉平くんの隣に座り直した。一緒に曲を作るのなら、隣に座った方がやりやすいだろう。それに、素人の私には作り方が分からないから、教えてもらわなければならない。
「そうこなくちゃな」   
 泉平くんはニヤリと口角を上げた。