「兄貴ってさ、不思議なくらい優しいんだよ。父さんが二股かけてたことも、人を殺したことも、全部知ってるのに、ずっと僕を気にかけてくれて。だから、ある日、思い切って聞いてみたんだ。なんでそんなに優しくできるんだよ?同じ"人殺しの息子"だからか?ってさ。そしたら、兄貴、ためらうことなくそれがどうした?ってさ。驚いて理由を尋ねたら、あいつはこう言ったんだ。父さんは父さん、お前はお前だって。その一言で、俺の中の何かが一気に吹っ切れたんだよ」
 泉平くんは自慢げに話した。まるで「うちはうち、よそはよそ」みたいで、思わず「母さんか!」とツッコミたくなってしまう。きっと彼は、物事にあまりこだわらない性格なんだろう。 
 そういえば奏翔は私にも「楓音は楓音だ」と言ってきていたっけ。人殺しの息子だろうが耳に問題があろうが、それがどうしたって。
「でも、実際はさ兄貴の笑顔なんてほとんど作り笑いだよ。平気なフリしてるだけなんだ。さっきの声だってそう。大したことないなんて大嘘だよ。兄貴は昨日早退してさ、家に帰ったら、カッターで首を切ろうとしてたんだ。慌てて止めて取り上げたけど、たぶん、楓音さんから取り上げたカッターだと思う。ごめんって、それだけしか言わなくて、動機なんて一言も話してくれなかった。今日もずっと部屋にこもってるし、定期演奏会の出演も辞退しようとしてる。相当つらいんだろうな……。兄貴が何考えてるか、僕にはバレバレなんだよ」
 泉平くんは表情を曇らせ、重い口調で話した。私との関係はまだ短いけれど、これは大事なことだとすぐに理解できた。あんなにピアノが大好きな奏翔が、せっかくの晴れ舞台を辞退しようとしているなんて、悲しい話だ。そう考えると、やはり奏翔の中には大きな苦しみがあるのだろう。
「兄貴が出ないなら、今回の定期演奏会は中止だ。兄貴が出演しない舞台なんて、僕は立ちたくない」
 泉平くんはきっぱりと言い放った。
「あたしだって立ちたくないよ〜!だって、譜久原くんのピアノが大好きなんだから」
 三羽先輩も便乗するように言う。
「そんなの、いや……」
 気づけば私は声に出していた。定期演奏会が中止になるということは、未弦と弓彩の晴れ舞台も失われることになる。今も未弦は音楽室で練習しているのに、その努力を無駄にするわけにはいかない。それに、私だって奏翔のピアノが好きだ。音楽室に引き寄せられたあの特別な感覚は、今でも忘れられない。
「あたしだって中止なんてイヤ〜!だって、3年生だから夏には引退なんだもん!」
 三羽先輩は突然、私に便乗するように手のひらを返した。傍から見ると彼女の意見は矛盾しているように思えるが、彼女自身、どうすればいいか分からなくなっているのだろう。