「父さん、あれ……見せてあげて」
「これか?」
母さんのかすれた声に、父さんが反応してベッド横のチェストを開け、一通の封筒を取り出した。その封筒は赤、橙、黄、黄緑と、秋の紅葉を思わせる色合いで染められている。それを私に渡され、慎重に封を切った。
 その中に入っていた手紙にはこう書かれていた。
楓音へ
 この手紙は、楓音がまだ小さい頃、7歳のときに書いたものです。未弦がバイオリンを始めて2年、弓彩もバイオリンを始めたばかりの頃でした。
 母さんは子どもの頃、寂しい思いをたくさんしてきました。おばあちゃんはいつも働いていて、父さんが家事をしていたけれど、母さんにとっておばあちゃんは父さんがしてくる虐待や育児放棄に気づけなかった人でした。ベランダに閉じ込められることもよくあって、学校でもいじめに遭い、孤立していました。
 だから、自分の子どもには絶対に同じ思いをさせないと決めていました。
 楓音が生まれたとき、病室ではオルゴール調の「カノン」が流れ、窓の外には紅葉したカエデの木が見えていました。あの曲と木のように、穏やかで美しい子に育ってほしい、少なくとも母さんよりも幸せで笑顔の絶えない人生を送ってほしい、そう願って「楓音」と名付けました。
 でも、未弦や弓彩にかかりきりになっていくうちに、楓音はおばあちゃんと仲良くしていて、本当の家族のように見えました。おばあちゃんは楓音の面倒をよく見てくれて、母さんはなかなかそれにうまく対応できず、時にはおばあちゃんを困らせることもありました。父さんは仕事で家を空けることが多かったですしね。
 だから、楓音が私よりおばあちゃんと一緒にいたほうが幸せなんだろうと思い、楓音をおばあちゃんに任せることにしました。本当は、母さんが楓音を育てたかったのに。たくさん話をしたかった。でも、バイオリンも大切でした。
 寂しい思いをさせたこと、辛い思いをさせたこと、いつかは謝りたいです。母親らしくない母親で、本当にごめんなさい。
 せめてものお詫びとして、ディアスシアの花を毎日欠かさず送り続け、おばあちゃんにはそれを食卓に飾ってもらうように頼んでいました。ディアスシアの花言葉は「私を許して」。
 どうか頼りない母さんを許してください。
      母さんより
 信じられない内容だった。でも、頭の中で点と点がつながっていくのがわかった。おばあちゃんがいた頃、食卓にいつも飾られていたあのディアスシアの花。あれは、実は母さんからのメッセージだったのだ。
「母さん……」
 思わず、私は手紙を父さんに預け、母さんに抱きついた。涙が止まらず、次々と頬を伝っていく。その涙は、まるで宝石のようにきらめいていた。