それより……。
「授業、いいの?行かなくて?」
 さっきチャイムが鳴ったのだから、遅刻なのは明らかだ。彼が私を気にかけてくれているのは申し訳ない気がした。
「行けるわけねぇだろ。お前がこんな風にうずくまってるのを見ちまったらさ。それに、奏翔が朝から無断欠席してるし、僕に連絡もよこさない。定期演奏会だってもうすぐなんだから、授業なんか気にしてる場合じゃねぇんだよ」
 当然だと言いたげな言葉で、泉平くんは言った。心配してくれているのはわかるが、口調が相変わらず棒読みだ。顔も真顔だし、感情を表に出すのが苦手な人なのかもしれない。
「いつ?定期演奏会」
 とりあえず率直な疑問を単刀直入に問いただす。
「今週の木曜日の祝日。高校入ってから初の定期演奏会だから、かなり緊張してるんだよな」
 真顔で、頭を軽くかきながら泉平くんは言った。その途端、あと3日しかないのかと焦りが生まれた。私が一緒に演奏するわけでもないのに。
「で、奏翔のカノジョさんだよな。確か名前……楓音さんだっけ?」
 そんな私を置いて、泉平くんは問いかけてきた。そこで、そもそも名乗っていなかったことを思い出す。彼はなぜ私の名前を知っているのだろうか。
「どうして……」
「藤井先生とか、奏翔がそう呼んでたから」
 質問の意図を汲み取ったかのように、泉平くんは理由を述べた。確かに、それは納得のいく説明だった。
「そっか」
「もし僕でよければ、話を聞かせてくれないか?たぶん、奏翔のことだろ?」
 泉平くんは廊下に座り込み、私と目線を合わせて言った。その口調はやや柔らかく、優しさを感じるものだった。不器用な人だなと思いつつ、私も人見知りで口数の少ない性格なので、お互い様だと割り切る。
 しかし、私が今もたれかかっている引き戸の向こうは図書室であり、奏翔が閉じこもっている。声を潜めれば大丈夫かもしれないが、もし奏翔に聞こえたらどうしようという不安がよぎった。その可能性を考えると、言葉を選ばずにはいられない。
「場所を変えよう。ここに奏翔いるから」
 私は引き戸を指差しながら立ち上がった。しかし、泉平くんは「気にしなくていいから」と首を横に振り、制してくる。
「え、でも……」
「いいからいいから」
 呟くように言い、彼は大丈夫だからと少し安心させるように促してきた。
「いやいや、ダメでしょ」
「声を潜めればいいだろ」
「それはそうだけど……」
 どうやら、いくら場所を変えようとしても埒が明かないようだ。泉平くんにはデリカシーのかけらもないのかもしれない。