【8月2日 お前のせいで母さんが困ってるじゃないか。父さんがどう言葉をかけたらいいかわかなくなってしまうじゃないか。いい加減にしろよ。もう高校も父さんの言うとこに進学させてしまおう。いくら何言われてもそうするからな。お前の意見は聞かないからな】
【8月16日 覚えとけよ。もし母さんにお前が何かしたらその時、お前の人生は終わりだ】
 父さんの日記にはこのように罵倒の言葉が羅列していた。
 そのひどさに涙に明け暮れる日々が続いた。枕がどれだけ濡れたかは測り知れない。父さんはもう我慢できないと言わんばかりに私を毎日のように怒鳴ってきて生き地獄に生きているような気さえした。
 無意識に死にたい気持ちが強くなり、1日が過ぎる度にスケジュール帳のその日を真っ黒に塗りつぶした。
 事故があった2ヶ月後には未弦がいる地元に戻り、それから約4年経った今でもその習慣は変わらなくて、墨汁で塗りつぶしたようで傍から見れば恐怖のものにしかならない。
 赤点当たり前の学年最下位のバカだった私はそこから途方もない不安にかられ、勉強への過労癖が治らなくなってしまった。その果てに合格したと同時にスイッチが入ったように聴覚がおかしくなってしまった。
 そして現在へと至ることになる。


 
 涙が滲みながらも私は奏翔を睨みつけ、すべてを吐き出した。飲食店でのことも駅前でのことも、全部。その間ずっと奏翔は掴んでいた手の力を緩めようとはしてくれなかった。時々彼の嗚咽が聞こえてきて、涙が頰を伝っていた。どうして泣いているのかはわからない。けれどそれが彼なりの優しさなんだろうと割り切った。