何を言えばいいのかわからず、声を出そうとしても、まるで餌を欲しがる金魚のように口をパクパクさせるしかなかった。青年はこちらを向いているので、ばっちり見られており、羞恥心が湧く。
「校内をうろついていたら、ふいに胸騒ぎがしたんだ」
 しびれを切らしたのか、青年は吐き捨てるように理由を述べた。どうやら通りすがりに助けてくれたらしい。
「お前もいやなら、いやって言えよ。ったく……」
 それから、青年はひとつため息をつく。
「で、名前なんだっけ?」
 そして衝撃のひとことを口にした。自己紹介は知っていて、肝心の名前は知らないとはどういうことだろうか。頭の中では「ズコーッ」というマヌケな効果音が鳴り響いた。
「た、高吹楓音」
「……も、もう一回言って」
「へ?」
「いいから」
 うまく聞き取れなかったのか、青年は聞き返しながら私の手を取り、自分の耳の方へと引き寄せてきた。一気に距離が近くなり、心臓は無意識に早鐘を打つ。
「……た、高吹楓音」
 突然のことに口が震えた。緊張しすぎて、どうにかなってしまいそうだ。
「……あ、ごめん」
 ほどなくして我に返ったのか、彼は私から少し距離を取り、視線を逸らした。その耳が赤く染まっているのが見え、少しだけおかしくなる。自分も同じように赤くなっているんだろうなと思うと、気恥ずかしさが募った。
「俺は譜久原奏翔(ふくはらそなた)、1年」
 彼はこちらを向くこともなく、つぶやくように名乗った。その名の響きには、どこか古風で優雅さが漂っていた。
「えっと……譜久原くんでいい?」
「ダメ」
「え」
「奏翔って呼んで」
 彼はようやくこちらを向き、射抜くような眼差しを向けてきた。髪色が明るいせいか、チャラく見える。でも、真剣だ。
「そ……やっぱり、くんづけでいい?」
 さすがに呼び捨てはハードルが高い。初対面なうえに、相手は異性だ。それに私は普通クラスの幼馴染の陽川未弦(ひかわみお)としか話し慣れていない。